†
翌日――。
十二月十七日、十二時三十分。
百合泉乃中高等学園に昼休みを告げるチャイムが流れる。
「聖花!」
愛莉が教室の正面扉の一番前の席から聖花の席へと駆け寄ってきたかと思えば、甘えたような声で聖花の名を呼び、右腕を下にして聖花に抱き着く。
愛莉は大阪へ住んでいた影響なのか、共働きの両親により人肌恋しい幼少期をおくってきた反動からきているのか、ハグなどのスキンシップが日常に溶け込んでいた。
「愛莉。今日も元気やね」
「もちろん! もれなくテンションも高めにお送りしています」
「それは何より。なんかええことがあったんやね」
大きく頷き笑顔で答える愛莉に、聖花は優しく微笑む。
「聖花、お昼一緒に食べよう。というか付き合って? 昨日、黒崎先生とランチをご一緒するって約束できたんよ。それがうちに起こったええことやねんけどね。せやけど、三年生一人だけって目立ちすぎるやろう?」
「まぁ、相手は一年生の担任ですから」
「そこで助けとなるのは聖花様。二人いれば怖くない。ってことで頼むわぁ」
合唱した手の先を顎に当ててお願いする愛莉は、見目も相まって小動物のようだった。聖花は愛莉のお願いに弱い。だが今は聖花の一存では行動できない身。
『問題ない』
どうしたらよいのかと悩む聖花に白の声が届く。
白の言葉を聞いた聖花は愛莉に同意の意を示した。
「分かった。ECでええんやろ? 私も黒崎先生に会ってお礼がしたいと思ってたんよ」
「ぇ? もしかして、聖花も黒崎先生狙ってます?」
掌で口を覆って息を飲む愛莉。
「え? ちゃうちゃう。ちゃうに決まってるやないの」
聖花は顔の前で両腕を重ねてバツ印を作り、何度も首を左右に振りながら全力で否定する。
「いや……そこまで否定せんでええやんやない? そんなに拒否られたら黒崎先生が可哀そうやわ」
「ぁ……にひひひ」
聖花は愛莉の言葉に対し、それもそうだ。と、可笑しな愛想笑いでごまかした。
「いやいや。その笑い方はなんなんよ」
愛莉は呆れの滲む笑みを浮かべるも、すぐ話を元に戻す。
「さっきお礼がしたい。ってゆうてたけど、黒崎先生となんかあったん?」
「うん。昨日危ないところを助けてもらったんよ」
「ぇ⁉ 襲われたん? 誰に? 木刀持っとらんかったんか? 最近木刀始めたって言うてたんやないの?」
愛莉は鬼気迫る顔で聖花の両肩を掴み、前後に揺らす。愛莉には珍しく、落ち着きの欠片もない。
「い、いややいや、襲われてへんし。それに私、いつでも木刀持ってへんよ。しかも、木刀始めたってなんなん? せめて剣道とか言うてくれません? 物騒ですぅ」
聖花は与えられる身体の揺れに耐えながら、どぉどぉ~とでも言うように指先を上下させ、愛莉を落ち着ける。
「ぁ、そうなん? じゃぁ、どないしたんよ? ぁ、剣道ね。了解了解。別に木刀少女でもええのに」
少し落ち着きを取り戻した愛莉は聖花の両肩から手を離す。
「猫を助けようとしたんやけど、助けられたんわ私やったって話よ。木刀少女になるには実力不足やね」
「なんとなく理解したような……できひんような……」
愛莉は腕を組んで小首を傾げる。聖花の返答にいまいち納得できていないようだ。
「もう行こう? 早う行かへんと昼休みの時間が減ってまうよ?」
「せやね。行こか」
聖花に急かされた愛莉は話を切り上げる。
かくして二人はECに足を向けるのだった。
†
「黒崎先生!」
愛莉は黒崎を囲む女子生徒の輪に声をかける。
「あぁ。守里愛莉さんと碧海聖花さんですね。ようこそ」
黒崎は柔らかな笑みを浮かべる。その両眼は黒い。カラーコンタクトをしっかりと着用しているようだ。
黒崎を囲んでいた女子生徒達が二人に振り向く。
メンバーは昨日と変わらない。ただ、昨日聖花から視線を合わせなかった女子生徒の姿はなかった。
その子に変わって座っていたのは二年生の女子生徒。聖花達の知らない生徒だ。そのことに気がついた聖花はどこか申し訳ないような、悲しいような、なんとも複雑な気分になった。
「聖花先輩!」
その気分を吹き飛ばすかのような可愛らしい声音と笑顔が聖花に向けられる。西条春香だ。どうやら懐かれたようだ。
「春香ちゃん。こんにちは」
「こんにちは。今日もご一緒出来て嬉しいです! 隣に座って下さいっ。ぁ! テーブル運びお手伝いしますね」
春香は明るい雰囲気を振りまきながら、空いているテーブルに駆け寄った。
「聖花、随分とあの子に懐かれてるんとちゃうの?」
「せやろか? せやったらええけど」
「まぁ、仲良くできそうな子ができて良かったやないの」
愛莉は聖花の広がる交流関係を素直に喜び、春香の後に続く。
「うん!」
頷く聖花もまた二人の後に続く。
黒崎はそんな三人の姿を微笑ましそうに眺めていた。
こうしてまた、二脚の椅子と大円形の木製机を加えたトライアングル形式の大所帯。黒崎と六人の女子生徒の昼食会が始まるのだった。
「聖花先輩、聖花先輩」
嬉しそうに七時の方角に座る春香が右隣に座る聖花に話しかける。
聖花と愛莉と春香の席と黒崎の席は昨日と同じになっていた。
「どないしたん?」
聖花は優しい口調で問う。
「う~ん……なんでも聞いてええんですか?」
「……私で答えられることなら」
春香の言葉に聖花は少し戦々恐々してしまい、返事に少し間が開いてしまう。
「聖花先輩ってハーフとかクォーターとかなんですか?」
「あぁー残念ながら一〇〇パーセント日本人なんよ。こんな瞳してんのにな」
聖花はそのことかと、苦笑いを浮かべながら答える。
「聖花~。そこは、クォーターってことにしとったらええのに。いっつも正直に答えてからに」
愛莉はどこか呆れたように話に割り込んでくる。
「いやいや、嘘なんてつかれへんよ。両祖母の写真見せてってなったらアウトやからね」
「嘘も方便。嘘は自分を守る盾にも剣にもなりましょうぞ」
掌に胸を当てた愛莉は至極真面目に言った。
「なにその悪徳業者みたいな台詞。というか何キャラなんよ。変な物でも食べたんやないの?」
苦笑いを浮かべる聖花は少し身を引く。
「そないなもん食べ取らんよ! 失礼な人やねぇ」
「あっははは」
目を白黒させて聖花達の掛け合いを見ていた春香は、耐え切れないとばかりに声を上げて笑う。その春香の様子に、聖花と愛莉はぽかんとする。いつもの調子で話しているだけの二人にとって、何故笑われているのか分からないのだろう。
「先輩達面白いですね。息がぴったりです!」
春香はそう言いながら、目尻に少し潤む涙を人差し指で拭い取る。
「まぁ、中一の時から一緒におるからね。春香ちゃんも仲良うしたってえなあ。ぁ! うちとも仲良うしてな」
愛莉はまるでフォローを入れるように笑顔で言う。
聖花がこの学園でも色々あっていたことを知っている愛莉は、色々なことが心配なのだろう。
「はい!」
春香は満面の笑みで頷いた。その笑顔につられるように、聖花と愛莉にも笑顔の花が咲く。
「帰国したばかり。初めましての学校。そんな中で上手くやれるか心配でしたが……こんなにも心強くて面白い先輩がお二人もいていただけるのだと思うと、なんだか頼もしいです」
「なんかあったらうちらに言うてきてな。一応三年やから、怖いもんはあらへん。うちが怖いんはテストや。それを考えたら憂鬱になってまうわ」
愛莉は両腕で自分を抱きしめながら身震いさせる。
「……私は愛莉が勇ましすぎて。三年と言う権力でぶいぶい言わせたらあかへんよ」
「うっわ。でたな平和主義。というか、ブイブイって虫みたいに言わんといてーな」
懸念するように言う聖花に対し、愛莉は少し身を引きながら言った。
中学になるまで大阪に住んでいたためか、愛莉は思ったことはストレートに口から出てしまうことが多々ある。レスポンスの早さはこの学校で一、二を争うかもしれない。
聖花はマダムよろしく、いやいや。と、右掌を前後に泳がす。
「こっちこそお化けが出たみたいに言わんといてくれません? 私は真っ当なことを言うてるだけやからね?」
聖花は苦笑いしながら言った。
「あはは! 本当に息がぴったりですね。私もお二人みたいになれるお友達が早く欲しいです」
と、楽しそうに笑う春香を見る愛莉と聖花もつられて笑う。なんとも平和である。
「春香ちゃんはずっと外国に住んではったん?」
聖花は小首を傾げながら問う。
「いえ。ずっとってわけではないんです。小学校を卒業してすぐにフランスの田舎の方へ。久しぶりの日本なので、今は全てが懐かしいです。でもここを卒業したら青森
に引っ越さなきゃいけないんですよ」
小首を傾げていた聖花に対し、春香は丁寧に答える。
「せやねんね。あと一年で京都を離れてしまうのは、寂しぃなるなぁ」
「そうなんです。だから、あと一年とちょっと。たっぷり学生生活を楽しまなきゃなのです」
『碧海聖花。命を狙われている自覚はあるのか? 少しは外敵から我が身を守る壁を作ろうと思わないのか?』
左耳から流れる白の魅惑的ボイスに、不本意ながら聖花の心臓が跳ねる。が、すぐに冷静になって口を開く。もちろんその相手は白ではない。もし聖花がこの状態で白と会話をしようものならば、変人扱い決定だ。
「せやね。いっぱい楽しんでいかなあかんなぁ。それに、京都のお味も味わいつくしとかな。といっても、今の時代はネットがあれば、京都のお料理や他県のお料理関係なく味わい尽くせるんやけど。やっぱり、その場その場で味わっていったほうがええもんなあ」
穏やかな口調でそう話す聖花は柔らかな笑みを浮かべる。
「はい!」
春香は笑顔で頷く。とても誰かの命を狙えるような子には思えない。
「生徒達の輪が繋がることはなんとも素敵なことですね」
二人の様子を見守っていた黒崎は嬉しそうに微笑む。
その後、終始和やかな雰囲気で昼食タイムが終わりを告げた。
†
「碧海聖花さん、ちょっといいですか?」
黒崎は教室に返ろうとする聖花を走って呼び止める。
ECではそれぞれの教室へ戻るために別れたはずだ。わざわざ階段を駆け上がって追いかけてきたのだろう。
「黒崎先生!」
本当はあの場でお礼を言うために話しかけたかった聖花にとって、これはありがたい話である。
「?」
聖花の隣にいた愛莉はきょとんとする。が、すぐに教室での話を思い出した愛莉は、「うち、先に教室へ戻っとくわ」と、機転を利かせる。
「ぁ、うん。私もすぐ戻る」
「OK~」
愛莉は手を振ってかけてゆく。
残された二人に刹那の沈黙が流れる。
「黒崎先生。昨日は本当にありがとうございました」
聖花は改めてお礼を言って、頭を下げる。
「いえいえ。碧海聖花さんに大事がなくて良かったです。で、昨日のことなんですけど……」
と、黒崎は左人差し指で自身の瞳を指さす。
「このこと、誰にも言わないで下さいね。バレると色々と面倒なので」
黒崎は面倒くさそうに顔を歪めて言った。聖花同様、黒崎にも色々あったのだろう。
「ぁ、はい! わかりました」
聖花は素直に頷く。
口は堅いし、約束を守る主義の聖花にとって、黙っていることや約束を守ることに関して苦痛はない。ただ、嘘をつくことが少々下手なだけだ。
「ありがとうございます」
黒崎はホッとしたような笑みを浮かべた。
「余談ですが、碧海聖花さんはコンタクトとかしようと思わないのですか?」
「ぇ?」
思いもしない黒崎の言葉に聖花はきょとんとする。
この学園ではカラーコンタクトや毛染めなどオシャレに関わることは原則禁止とされている。その校則を破ることを進めるような言葉に疑問が浮かばないわけがない。
「いや、そうすればもっと生きやすくなるだろうにと思っただけです。ど真面目に生きていくだけでは、この先苦労するかも知れませんね。身を守るためには我が身を隠すことも大切です。でなければ、バレたくないこともバレてしまう」
黒崎は意味深な言葉を言いながら、口端をそっと上げた。普段は笑うと無邪気に感じたり、幼さを感じさせる黒崎だが、この笑顔にはどこか妖艶さが含まれていた。
「それは……」
どういう意味ですか? と問う前に、黒崎が口を開く。
「ぁ! どうかお気になさらないで下さい。私情を挟みすぎましたね」
微苦笑を浮かべた黒崎は、「では、失礼します」と言って去ってゆく。
その場に残された聖花は複雑そうに左手で左目を覆う。
『碧海聖花。授業をサボるつもりか?』
「ぇ⁉ ぁ!」
白の声で我に返った聖花は慌てて教室に戻るのだった――。
翌日――。
十二月十七日、十二時三十分。
百合泉乃中高等学園に昼休みを告げるチャイムが流れる。
「聖花!」
愛莉が教室の正面扉の一番前の席から聖花の席へと駆け寄ってきたかと思えば、甘えたような声で聖花の名を呼び、右腕を下にして聖花に抱き着く。
愛莉は大阪へ住んでいた影響なのか、共働きの両親により人肌恋しい幼少期をおくってきた反動からきているのか、ハグなどのスキンシップが日常に溶け込んでいた。
「愛莉。今日も元気やね」
「もちろん! もれなくテンションも高めにお送りしています」
「それは何より。なんかええことがあったんやね」
大きく頷き笑顔で答える愛莉に、聖花は優しく微笑む。
「聖花、お昼一緒に食べよう。というか付き合って? 昨日、黒崎先生とランチをご一緒するって約束できたんよ。それがうちに起こったええことやねんけどね。せやけど、三年生一人だけって目立ちすぎるやろう?」
「まぁ、相手は一年生の担任ですから」
「そこで助けとなるのは聖花様。二人いれば怖くない。ってことで頼むわぁ」
合唱した手の先を顎に当ててお願いする愛莉は、見目も相まって小動物のようだった。聖花は愛莉のお願いに弱い。だが今は聖花の一存では行動できない身。
『問題ない』
どうしたらよいのかと悩む聖花に白の声が届く。
白の言葉を聞いた聖花は愛莉に同意の意を示した。
「分かった。ECでええんやろ? 私も黒崎先生に会ってお礼がしたいと思ってたんよ」
「ぇ? もしかして、聖花も黒崎先生狙ってます?」
掌で口を覆って息を飲む愛莉。
「え? ちゃうちゃう。ちゃうに決まってるやないの」
聖花は顔の前で両腕を重ねてバツ印を作り、何度も首を左右に振りながら全力で否定する。
「いや……そこまで否定せんでええやんやない? そんなに拒否られたら黒崎先生が可哀そうやわ」
「ぁ……にひひひ」
聖花は愛莉の言葉に対し、それもそうだ。と、可笑しな愛想笑いでごまかした。
「いやいや。その笑い方はなんなんよ」
愛莉は呆れの滲む笑みを浮かべるも、すぐ話を元に戻す。
「さっきお礼がしたい。ってゆうてたけど、黒崎先生となんかあったん?」
「うん。昨日危ないところを助けてもらったんよ」
「ぇ⁉ 襲われたん? 誰に? 木刀持っとらんかったんか? 最近木刀始めたって言うてたんやないの?」
愛莉は鬼気迫る顔で聖花の両肩を掴み、前後に揺らす。愛莉には珍しく、落ち着きの欠片もない。
「い、いややいや、襲われてへんし。それに私、いつでも木刀持ってへんよ。しかも、木刀始めたってなんなん? せめて剣道とか言うてくれません? 物騒ですぅ」
聖花は与えられる身体の揺れに耐えながら、どぉどぉ~とでも言うように指先を上下させ、愛莉を落ち着ける。
「ぁ、そうなん? じゃぁ、どないしたんよ? ぁ、剣道ね。了解了解。別に木刀少女でもええのに」
少し落ち着きを取り戻した愛莉は聖花の両肩から手を離す。
「猫を助けようとしたんやけど、助けられたんわ私やったって話よ。木刀少女になるには実力不足やね」
「なんとなく理解したような……できひんような……」
愛莉は腕を組んで小首を傾げる。聖花の返答にいまいち納得できていないようだ。
「もう行こう? 早う行かへんと昼休みの時間が減ってまうよ?」
「せやね。行こか」
聖花に急かされた愛莉は話を切り上げる。
かくして二人はECに足を向けるのだった。
†
「黒崎先生!」
愛莉は黒崎を囲む女子生徒の輪に声をかける。
「あぁ。守里愛莉さんと碧海聖花さんですね。ようこそ」
黒崎は柔らかな笑みを浮かべる。その両眼は黒い。カラーコンタクトをしっかりと着用しているようだ。
黒崎を囲んでいた女子生徒達が二人に振り向く。
メンバーは昨日と変わらない。ただ、昨日聖花から視線を合わせなかった女子生徒の姿はなかった。
その子に変わって座っていたのは二年生の女子生徒。聖花達の知らない生徒だ。そのことに気がついた聖花はどこか申し訳ないような、悲しいような、なんとも複雑な気分になった。
「聖花先輩!」
その気分を吹き飛ばすかのような可愛らしい声音と笑顔が聖花に向けられる。西条春香だ。どうやら懐かれたようだ。
「春香ちゃん。こんにちは」
「こんにちは。今日もご一緒出来て嬉しいです! 隣に座って下さいっ。ぁ! テーブル運びお手伝いしますね」
春香は明るい雰囲気を振りまきながら、空いているテーブルに駆け寄った。
「聖花、随分とあの子に懐かれてるんとちゃうの?」
「せやろか? せやったらええけど」
「まぁ、仲良くできそうな子ができて良かったやないの」
愛莉は聖花の広がる交流関係を素直に喜び、春香の後に続く。
「うん!」
頷く聖花もまた二人の後に続く。
黒崎はそんな三人の姿を微笑ましそうに眺めていた。
こうしてまた、二脚の椅子と大円形の木製机を加えたトライアングル形式の大所帯。黒崎と六人の女子生徒の昼食会が始まるのだった。
「聖花先輩、聖花先輩」
嬉しそうに七時の方角に座る春香が右隣に座る聖花に話しかける。
聖花と愛莉と春香の席と黒崎の席は昨日と同じになっていた。
「どないしたん?」
聖花は優しい口調で問う。
「う~ん……なんでも聞いてええんですか?」
「……私で答えられることなら」
春香の言葉に聖花は少し戦々恐々してしまい、返事に少し間が開いてしまう。
「聖花先輩ってハーフとかクォーターとかなんですか?」
「あぁー残念ながら一〇〇パーセント日本人なんよ。こんな瞳してんのにな」
聖花はそのことかと、苦笑いを浮かべながら答える。
「聖花~。そこは、クォーターってことにしとったらええのに。いっつも正直に答えてからに」
愛莉はどこか呆れたように話に割り込んでくる。
「いやいや、嘘なんてつかれへんよ。両祖母の写真見せてってなったらアウトやからね」
「嘘も方便。嘘は自分を守る盾にも剣にもなりましょうぞ」
掌に胸を当てた愛莉は至極真面目に言った。
「なにその悪徳業者みたいな台詞。というか何キャラなんよ。変な物でも食べたんやないの?」
苦笑いを浮かべる聖花は少し身を引く。
「そないなもん食べ取らんよ! 失礼な人やねぇ」
「あっははは」
目を白黒させて聖花達の掛け合いを見ていた春香は、耐え切れないとばかりに声を上げて笑う。その春香の様子に、聖花と愛莉はぽかんとする。いつもの調子で話しているだけの二人にとって、何故笑われているのか分からないのだろう。
「先輩達面白いですね。息がぴったりです!」
春香はそう言いながら、目尻に少し潤む涙を人差し指で拭い取る。
「まぁ、中一の時から一緒におるからね。春香ちゃんも仲良うしたってえなあ。ぁ! うちとも仲良うしてな」
愛莉はまるでフォローを入れるように笑顔で言う。
聖花がこの学園でも色々あっていたことを知っている愛莉は、色々なことが心配なのだろう。
「はい!」
春香は満面の笑みで頷いた。その笑顔につられるように、聖花と愛莉にも笑顔の花が咲く。
「帰国したばかり。初めましての学校。そんな中で上手くやれるか心配でしたが……こんなにも心強くて面白い先輩がお二人もいていただけるのだと思うと、なんだか頼もしいです」
「なんかあったらうちらに言うてきてな。一応三年やから、怖いもんはあらへん。うちが怖いんはテストや。それを考えたら憂鬱になってまうわ」
愛莉は両腕で自分を抱きしめながら身震いさせる。
「……私は愛莉が勇ましすぎて。三年と言う権力でぶいぶい言わせたらあかへんよ」
「うっわ。でたな平和主義。というか、ブイブイって虫みたいに言わんといてーな」
懸念するように言う聖花に対し、愛莉は少し身を引きながら言った。
中学になるまで大阪に住んでいたためか、愛莉は思ったことはストレートに口から出てしまうことが多々ある。レスポンスの早さはこの学校で一、二を争うかもしれない。
聖花はマダムよろしく、いやいや。と、右掌を前後に泳がす。
「こっちこそお化けが出たみたいに言わんといてくれません? 私は真っ当なことを言うてるだけやからね?」
聖花は苦笑いしながら言った。
「あはは! 本当に息がぴったりですね。私もお二人みたいになれるお友達が早く欲しいです」
と、楽しそうに笑う春香を見る愛莉と聖花もつられて笑う。なんとも平和である。
「春香ちゃんはずっと外国に住んではったん?」
聖花は小首を傾げながら問う。
「いえ。ずっとってわけではないんです。小学校を卒業してすぐにフランスの田舎の方へ。久しぶりの日本なので、今は全てが懐かしいです。でもここを卒業したら青森
に引っ越さなきゃいけないんですよ」
小首を傾げていた聖花に対し、春香は丁寧に答える。
「せやねんね。あと一年で京都を離れてしまうのは、寂しぃなるなぁ」
「そうなんです。だから、あと一年とちょっと。たっぷり学生生活を楽しまなきゃなのです」
『碧海聖花。命を狙われている自覚はあるのか? 少しは外敵から我が身を守る壁を作ろうと思わないのか?』
左耳から流れる白の魅惑的ボイスに、不本意ながら聖花の心臓が跳ねる。が、すぐに冷静になって口を開く。もちろんその相手は白ではない。もし聖花がこの状態で白と会話をしようものならば、変人扱い決定だ。
「せやね。いっぱい楽しんでいかなあかんなぁ。それに、京都のお味も味わいつくしとかな。といっても、今の時代はネットがあれば、京都のお料理や他県のお料理関係なく味わい尽くせるんやけど。やっぱり、その場その場で味わっていったほうがええもんなあ」
穏やかな口調でそう話す聖花は柔らかな笑みを浮かべる。
「はい!」
春香は笑顔で頷く。とても誰かの命を狙えるような子には思えない。
「生徒達の輪が繋がることはなんとも素敵なことですね」
二人の様子を見守っていた黒崎は嬉しそうに微笑む。
その後、終始和やかな雰囲気で昼食タイムが終わりを告げた。
†
「碧海聖花さん、ちょっといいですか?」
黒崎は教室に返ろうとする聖花を走って呼び止める。
ECではそれぞれの教室へ戻るために別れたはずだ。わざわざ階段を駆け上がって追いかけてきたのだろう。
「黒崎先生!」
本当はあの場でお礼を言うために話しかけたかった聖花にとって、これはありがたい話である。
「?」
聖花の隣にいた愛莉はきょとんとする。が、すぐに教室での話を思い出した愛莉は、「うち、先に教室へ戻っとくわ」と、機転を利かせる。
「ぁ、うん。私もすぐ戻る」
「OK~」
愛莉は手を振ってかけてゆく。
残された二人に刹那の沈黙が流れる。
「黒崎先生。昨日は本当にありがとうございました」
聖花は改めてお礼を言って、頭を下げる。
「いえいえ。碧海聖花さんに大事がなくて良かったです。で、昨日のことなんですけど……」
と、黒崎は左人差し指で自身の瞳を指さす。
「このこと、誰にも言わないで下さいね。バレると色々と面倒なので」
黒崎は面倒くさそうに顔を歪めて言った。聖花同様、黒崎にも色々あったのだろう。
「ぁ、はい! わかりました」
聖花は素直に頷く。
口は堅いし、約束を守る主義の聖花にとって、黙っていることや約束を守ることに関して苦痛はない。ただ、嘘をつくことが少々下手なだけだ。
「ありがとうございます」
黒崎はホッとしたような笑みを浮かべた。
「余談ですが、碧海聖花さんはコンタクトとかしようと思わないのですか?」
「ぇ?」
思いもしない黒崎の言葉に聖花はきょとんとする。
この学園ではカラーコンタクトや毛染めなどオシャレに関わることは原則禁止とされている。その校則を破ることを進めるような言葉に疑問が浮かばないわけがない。
「いや、そうすればもっと生きやすくなるだろうにと思っただけです。ど真面目に生きていくだけでは、この先苦労するかも知れませんね。身を守るためには我が身を隠すことも大切です。でなければ、バレたくないこともバレてしまう」
黒崎は意味深な言葉を言いながら、口端をそっと上げた。普段は笑うと無邪気に感じたり、幼さを感じさせる黒崎だが、この笑顔にはどこか妖艶さが含まれていた。
「それは……」
どういう意味ですか? と問う前に、黒崎が口を開く。
「ぁ! どうかお気になさらないで下さい。私情を挟みすぎましたね」
微苦笑を浮かべた黒崎は、「では、失礼します」と言って去ってゆく。
その場に残された聖花は複雑そうに左手で左目を覆う。
『碧海聖花。授業をサボるつもりか?』
「ぇ⁉ ぁ!」
白の声で我に返った聖花は慌てて教室に戻るのだった――。