八月十三日。納涼祭り当日。
やっとこの日を迎えた。夏織は一週間と少しの間この街にいなかったので会うのも久しぶりだ。
そして昨日なぜかお父さんに浴衣を買ってもらった。終業式の日は「最後の夏だからって浮かれるなよ」って言ってたくせに「最後の夏くらい思いっきり楽しめ」とまた別の事を言っていた。
俺らの集合場所は神社。屋台から外れた場所にあるのだが、実は穴場で去年俊介としょぼい花火に飽きた俺らは「いつか彼女と祭りに来る日のために」と二人だけの穴場を探して見つけた場所がこの神社である。少し土地が高いため、首が痛くなるほど花火を見上げずに済む。人も全くいないので、人混みの中で花火を見るよりも二人だけの世界って感じがなにより良い。
さらに自分でも珍しいと思うのだが、集合の三十分前に来てしまった。集合場所に夏織はまだ来ていなかった。
「楽しみにしすぎた……」
俺が集合場所に先にいた事を知れば夏織は驚くだろうな。それに浴衣も着ている。夏織の驚く顔が目に浮かび一人で笑っていた。
「そうだ! 屋台でなんか買って行こう」
お父さんからお小遣いも貰えた事だし、待ってても暇なだけなので焼きそばとか、たませんとか、唐揚げとか、夏織の好きそうな綿飴も買いに行こう。そうと決まればすぐに行動だ。
家を出たは時下駄の歩きづらさが少し嫌だったが、コツコツとなる音が今の浮かれた自分の気持ちを表しているようで心地よかった。
屋台のある通りに着くとなんだか人が少ない気がした。さっきチラッと見えた時はもっと人がいたし、花火が上がる前こそ人が多くなるのだが、よくわからないけど運が良かったと思う事に。早速目に入った焼きそばから買いに行くことにした。
「すいません、焼きそば二つお願いします」
「あいよ!」
点々の汗を顔にたくさん浮かべながら、何人分になるのだろうか、大量の焼きそばを混ぜている。
「二つで八百円ね」
「千円でお願いします」
「あい! 二百円のおつりね」
「ありがとうございます」
「関係ないんだけど、すぐそこの交差点で事故があったみたいだよ」
「あ、そうなんですね」
人が少ないのはこの理由だろう。野次馬やらでたくさん人が流れたんだ。どっちにしろ自分には関係ないのでラッキーだ。
「あんちゃんも事故には気をつけなよ」
「すいません。ありがとうございます」
袋に入った焼きそばと心配の声を受け取った。コロナの制限が少なって屋台の数も増えた。コロナ前の祭りの賑わいが戻って来た気がする。
「すいません、唐揚げの中を二つ!」
「あい、千円ね」
山ほどある唐揚げをカップに入れている。計算ミスだったのが、二つ頼むと両手が塞がってしまう事。
「たませんは……いっか」
持ちづらいのでたませんは却下となったがこの時点でビニール袋に入った焼きそばに、両手に唐揚げの入ったカップを持っていた。他は何を買おうか……。辺りを見渡すとりんご飴を見つけた。焼きそばの袋にりんご飴一つ入れて、あとは袋の綿菓子を買いに行こう。
「すいません、りんご飴一つください」
「好きなやつ取ってね」
人生でりんご飴なんか食べた事ないな……。今更だけど食べた事ないので良い機会だなと思いながら、隣の袋に入った綿飴のお店に行った。
「すいません、綿飴一つください!」
「どのやつにします?」
子供が好きそうな有名なキャラクターのビニールに包まれた綿飴がたくさんあった。この歳でキャラクターのビニールを持つのは少し恥ずかしい。
「ふ、普通のビニールに入ったやつあります?」

「買いすぎたかな……」
たくさんの食べ物が俺の腕と手に並んでいる。集合時間より早く来たり、買いすぎたりと楽しみな気持ちがバレバレじゃないか。まぁ祭りだしいっかと割り切った。
神社の入り口に着くとまだ夏織は来ていなかった。
「よかった間に合った」
近くのベンチに腰をかけ買ったものを置いた。
近くのベンチに腰をかけ買ったものを置くと、久しぶりの両手の自由に感動した。唐揚げを一つつまみ食いして、携帯の時計を見ると集合時間から十分過ぎていた。
「おかしいな……」
夏織が遅刻することなんてないと思うし、連絡も一つもないってのもおかしい。もしや俺が屋台に行ってる間に夏織は来て、待ってる間何か屋台に買いに行こうと思ったのではないか。いやもしかしたら先に神社の中にいるかもしれない。
「うーん……」
もう少し待って来なかったら神社の中に行ってみよう。五分ほど待ったが夏織は現れなかったので結局三つ食べてしまった唐揚げや焼きそばなどを持ち、神社の方に行ってみることに。
苔の生えた石の階段を登り進めると、一気に広がった参道と鳥居が出てくる。黄昏時から時間が経って辺りは少し暗くなっているので不気味な雰囲気を醸し出している。
「ちょ、ちょっとこえぇ……」
参道を少し進んだ後茂みの方へ行くとベンチがある。ここで座ってみる花火は去年の規模の小さい花火でさえも美しく見える。そして神社で見るってのがまた儚くて良い。
「あぁ、そういえば夏織を探しに来たんだった」
景色に見惚れていて忘れていた。すると鳥居の方から聞き馴染みのある声が聞こえた。
「ごめーん!」
夏織は下駄を鳴らして参道を走って来た。階段を上がる音なんて聞こえなかったのに。いやでもそれどころではない、夏織の着ている浴衣がなんとも儚くて美しい。
「ごめんごめん!」
「あぁ、全然大丈夫!」
「本当にごめん、ちょっと家を早く出たから神社に行く前に屋台でなんか買って行こうと思ったら、交通事故があったみたいで、人だかりを抜けるのが大変だったの」
合間合間に空気を吸いながら申し訳なさそうな顔で話している。
「全然大丈夫だってば。俺も今来たところ」
「それはよかった……って! なんか買ってるじゃん!」
「いや、まぁ……ちょっと早く来て暇だったから……」
「早く来てたんだね……。待たせてごめんね」
「全然大丈夫だよ!」
頭を下げて謝る夏織。遅刻常習犯の俺でもこんなに謝ったことはない。夏織は優しい心の持ち主だ。「大丈夫だから頭を上げて」と言うと夏織は照れるように笑った。
「あ、飲み物買いに行くの忘れた。買いに行く? 喉乾いたでしょ」
「いや大丈夫! 遅れて来たのにわがまま言えない」
「なんでそんなに気を遣ってるの?」
「いやいや! いつも通りだよ」
「なんかいつもと違う気がするなー」
謎の違和感を問い続けていたら公園の方が光り、爆発音が聞こえた。
「あ! 始まった!」
「お、始まったな〜」
暗かった神社も俺らの顔も花火に照らされた。二人はベンチに座り空に咲く花を眺めた。
「わあ……きれい……」
「今年はやっぱでかいな……」
「なんで神社にしたのかわかった気がする」
「地元の祭りなんだから穴場くらい知っておかないとね」
次々と空を彩りながら咲いて散っていく花たち。夏の終わりが近いのか気づかなかったが、空は完全な夜空となっており公園の方は櫓の周りを提灯が輝いて、屋台やキッチンカーなど並んで光るLEDも美しかった。
「そういえば久しぶりだね……」
「久しぶりだね。会うの楽しみにしてたんだ」
「俺も今日がすっごく楽しみだった」
「おばあちゃんの家にいる時、ずっと考えてたよ」
「俺も部屋で夏織と過ごした時間を思い出してた」
「ベッドにいる時とかね」
「うわ! いやらしいな〜」
「そーゆー意味じゃないー!」
「冗談冗談。ミャーコは元気?」
「蓮に会いたくて寂しそうだったよ」
「そうか。また会いに行かなきゃな」
「そうだね」
「この穴場さ去年俊介と見つけたんだよ」
「そうなんだ。人がいないから二人きりだね」
「俊介には邪魔しに来ないでって言ってあるから」
「じゃあずっと二人きりだ」
「そう。布団の中と一緒だよ」
二人とも同じことを考えたのか笑ってしまった。
「浴衣綺麗だね」
「ほんと! これお母さんが学生の頃着てたやつなの」
「そうなのか、おばあちゃんの家行ったからか」
「そうそう! 白色ってのもいいし、なによりこの花!」
「朝顔だよね」
「そう! 朝顔の花言葉何か知ってる?」
「んー、小学生が育てやすいとか?」
「ぶっぶー。正解は儚い恋って意味!」
「儚い恋……か。良いね」
浴衣の白色は夏織の純粋な純白を表しているようで、水色の朝顔の花言葉も含めて、浴衣全体的に夏織そのものだった。浴衣を褒めると夏織はすごい嬉しそうだった。
そしてしばらく二人は花火を見つめていた。たまに夏織の方を見ると、夏織はどこか遠い目をしている。よほど花火に見惚れているんだろう。ここを見つけれて、夏織とここに来れて良かった。
高校三年生の最後の夏。夏織と再会して、ミャーコと再会して青春という大きいな歯車が回り始めて、俺の中で何かが変わった。これまでにない経験をたくさんして色んな感情になった。ここ数年はしてなかった緊張という胸のドキドキに夏織の笑顔を見ると恋という胸のときめき。あの時俊介が俺の背中を押してなければ、俺が弁当を忘れてなければ、何も変わらない夏だったろう。そして隣に座っている夏織に十数年もの間待っててくれたことに感謝だ。
「そーいえば綿飴買ったよ」
「えー! そうなの!」
「夏織好きそうだから買っておいたよ」
「えー! なんでわかったのー!私綿飴大好きだよ!」
袋に入った綿飴を渡すと嬉しそうにそのまま膝の上に乗っけた。俺は唐揚げをつまみながら焼きそばも開けた。
「これ中に夏織のために買った焼きそばとりんご飴が入ってるからさ、食べたくなったら食べて」
「こんなにもたくさん! ありがとうー!」
夏織が喜ぶ姿はいつまでも見ていられる。人を喜ばすのがこんなにも素敵だって事に気づかせてくれたのは夏織だ。
『おぉー!』
花火も中盤に差し掛かったのか大きい花が上がった。小さい花と大きい花が交互に上がったり重なったりしていてとても美しい。空を埋め尽くすように大きく咲く花も、大きい花に負けないくらいに綺麗に咲く小さな花も、どちらにも儚さを感じる。
『あのさ』
夏織と声が重なった。同タイミングで話したのだ。
「今の感じ、あの時と一緒だね」
「うんうん。私も思い出して笑った」
夏織と再会したあの日。西校の近くの公園。あの時も二人だったな。それからも二人きりだった。そして思い返せば出会ったあの頃も二人だった。この夏も昔の頃もほとんどの時を二人で過ごしていた。
「先に言っていいよ」
「いやいや私の話どうでも良かったから先に話して」
「俺さ、就職する事にしたんだよね」
「進学やめたんだ」
「うん。俊介に言われて色々考え直したんだけど、夏織のように何かやりたい事や学びたい事があるわけじゃないからさ、手に職をつけておこうかなって思って」
「仕事は辞めても大きな経験になるもんね」
「うんうん。これからは夏織との夢を見たいんだ」
「私との夢……?」
「うん。夢って言ったらお金持ちになるとか、あの仕事がしたいとか大きな夢が多いと思うんだけど、別に夢はでっかくなくても良い。普通でも良いって事に気が付いたんだ。ただ夏織と過ごせれば良い。そんな願いが俺の夢なんだ」
「良い夢だね。私も応援するから一緒に叶えようね」
「ありがとう」
ベンチの上で少し距離があったので俺は夏織の真隣に移動した。肩をくっつけて夏織の匂いや体温、愛までを感じた。
「夏織が話したかった事はなに?」
「私が言いたかったのはもう少し後に言うね」
「わかったよ。花火でも見てゆっくり待つよ」
肩を並べしばらく花火を見た。目を閉じてみるとテンポ良くなる爆発音に虫の鳴き声が響いている。夏の終わりの一日の終わりは物語の終わりのようなもの寂しさを感じる。そしてこの花が終わりを彩っている気がまた儚い感じがする。
ふと目を開け夏織の浴衣を見た。裾の長さはちょうどよくて、体を細く見せれる綺麗な巻き方。うなじが少し見えていてそれもまた美しい。先ほど感じた夏の終わりの儚さと浴衣の朝顔がどちらも俺を見ている。儚いものがこんなにも美しく見えるのはきっと夏織のおかげだろう。
そんな純白を示す浴衣に見惚れていると、夏織の脇腹の部分から黒いのが滲んできていた。俺はなにか自分のせいで浴衣を汚してないから心配で周りを見渡すも汚してしまいそうなものはなかった。これは言ったほうがいいのか、言わないほうがいいのかと少し迷ったが言うことに決め声をかけようとした。
「今からする話、静かに聞いてて欲しいんだけど」
そう言いながら夏織は花火を見ながら立ち上がった。
「私ね蓮と初めに出会った時、猫をいじめてるのかと思って声をかけたの。だけど少し話して遊んでるうちにわかったの。蓮はとっても優しい人なんだって。見ず知らずの私を受け入れてくれて、たくさん遊んでくれた。そんな優しさに惹かれて毎日会いに行ってた。あの時は猫よりも蓮に会いたかった」
俺は浴衣の染みの事や花火など忘れて夏織の話を夢中になって聞いた。
「それでも猫を引き取ってから蓮と会えなくなって、私はすごい悲しかった。蓮は猫を取った私に怒ってもう会わないようにしたんだと思ったりもしてた。けれどもう一度だけで良いから会いたかった。もう一度私に優しくしてほしかった。そう思い続けて高校に入って蓮を見つけて、どうやって話そうか必死に考えてやっと話せた時には二年経ってた。数十年ぶりの蓮は何も変わってなくて、優しくてかっこよくてそばいると安心したの」
夏織の話を聞いていたが浴衣の染みは体中至るところにできていた。
「なあ夏織その染みどうしたんだよ」
「もう少し聞いてて」そう言って夏織は話を続けた。
「私蓮と出会えたあの日からすっごく楽しかった。ずっと笑っていたし、ずっと幸せだった。でも幸せは長くは続かないって言葉があるの知ってる?」
俺の目にはいつのまにか涙が溜まっていた。
「知らない! 知らない!」
「懐かしいよね。再会した時なんて私すごい緊張して、勇気を出して家に誘ってみたりしてさ。それから毎日遊ぶようになって、ミャーコと遊んではベッドに行ってね」
夏織と会った時からの違和感の糸は繋がってしまった。不幸にもどこかで聞いた交通事故の糸も繋がった。
「違うよね……違うよね!」受け入れたくなくて夏織の手を取り振り返らせると大粒の涙を流していた。
「冷たい……さっきまであんなに暖かったじゃないか」
「私想い出したの。ここに来る前の事を……」
「なんにもなかった……手だって握ってるじゃないか! 」
「私もわからない。ただ子供が飛び出したから……」
「ほらほら! 花火だって今一番良いところだよ!」
「うん……。綺麗だね」
「違う……何かの間違いだよ」
俺は膝から崩れ落ちた。今自分が手を握っているのが空にいる人だとでもいうのか。白かったはずの浴衣は赤い花を咲かせている。青い朝顔の意味を信じたくなかった。
「そろそろ花火も終わっちゃうね……」
「嘘だと言ってくれ……」
「この夏はあっという間だった。蓮と過ごすようになって何もかもが夢のように感じた。私神様に一緒にいる時に覚めないでってお願いしてたはずなんだけどね」
「夏織のいないこの先なんて考えれないよ!」
「ごめんね……私は蓮の夢をずっと応援してる。蓮が忘れない限り私はずっと蓮のそばにいる」
「まってくれ……まって!」
(だいすき)
真っ暗闇の空に大きく光る花。儚い花も最後に愛を残して花の光と共に消えてしまった。