まさか高校に進学して、千種と再会するとは思わなかった。
「君、いつも音楽聴いてるよね。何を聴いてるの?」
遠足のグループ決めが終わった直後だった。音楽を聴くために右耳にイヤホンを付けようとしたところで、千種は話しかけてきた。それも、俺達が初めて会話をした日と同じ言葉で。
「……覚えてたのかよ」
「忘れないよ。だって、君のおかげでロックが好きになったんだから」
初めて話したあの日と変わらない、優しい笑みを浮かべて千種が言った。
「ねえ」彼女が顔を近付けた。「もっと君のおすすめのバンド教えてよ」
「別に君に勧めたわけじゃない。ただ俺が聴いてたバンドを言っただけなんだけど」
「同じだよ。君が聴いてるってことは、きっといいバンドなんだよ。ね、いいでしょ?」
いいバンドってなんだよと心の中で思いつつ、千種の迫力に負けた俺は、仕方なくさっきまで聴いていたバンドを教えることにした。彼女はとても楽しそうに俺の話を聞いていた。まさか本当に彼女がロックを聴くとは思わなかったので、驚いたは驚いたが、悪い気はしなかった。
それから俺達が会話をすると、大体バンドの話になった。
「なんて言うのかなぁ。自分でいいバンドを見つけたいと思うんだけど、どうにも有名なバンドばっかりになるんだよね……」
千種はそう言って、恥ずかしそうに小さく笑った。俺には、彼女がそこで笑う理由が理解できなかった。
「たくさんの音楽を聴くことだけが楽しみ方じゃないだろ。一つのバンドを好きでい続けるのだってありだし、たまには流行の音楽を聴くのもありだ。なんだっていいんだよ。好きなら胸張って好きって言えばいい。それに、メジャーかマイナーかで自分の中での印象が変わるのは、一番つまらないことなんじゃねーの」
そんなのは、当たり前のことだ。何も恥じることなんてないはずだ。
「……蓮らしいね」
「俺らしい? どこが?」
「他人の意見なんて気にしないで、自分に正直でいるとこ。そういうの、憧れる」
そんなんじゃない。羨ましがられるようなことなんて、何一つしていない。ただ俺は、ロックが好きなだけだ。
「好きなことに妥協なんてしないだろ、誰でも。それだけだよ」
「無理だよ。私は、誰かに否定されるのが怖い」
「そんなの、俺だって怖いさ。でも、否定されて、自分が好きなものを自信もって好きだって言えなくなることの方が、もっと怖いだろ」
俺が言うと、彼女は面食らった表情をしていた。
「ははっ。ほんと、蓮はぶれないなぁ。……私はやっぱ、蓮が羨ましいよ」
彼女は勘違いしている。俺には何もない。惰性で生きてるだけの人間だ。彼女が思っているほど、器用なんかじゃない。好きなバンドを悪く言われたら腹が立つし、マイナーだったバンドがバズって、メディアに露出することが増えると、嬉しい反面寂しさを覚えることだってある。単純な人間だった。こんな俺なんかよりも、千種の方がよっぽど器用に生きている。
「蓮はさ、バンドやらないの?」
突然の一言に、顔の筋肉が引きつった。
「……俺が? やるわけねーよ」
「どうして? 好きなんじゃないの?」
「どうしてって……やるのと聴くのはまた違うだろ。楽器なんてリコーダーくらいしかやったことないし、歌も下手だし、そもそもメンバーがいない。俺は聴いてるだけで満足なんだよ」
嘘じゃない。確かに今は楽器など触っていない。リコーダーですらまともにできない。……けれど、憧れないわけがなかった。俺の部屋の隅には、中二の時に自分で買ったエレキギターが、今でも眠っている。飾ってあると言うにはあまりにぞんざいな扱いを受けているが、部屋に入ると、そいつは必ず視界に入る場所にある。まだどこかで俺は、覚めない夢に取り憑かれているのかもしれない。
ガキみたいだ、と思う。ガキのまま何一つ成長してない。夢物語に溺れて、現実に向き合おうとしていない。世の中を俯瞰したつもりでいる、ダッサいクソガキだ。
「ふーん、もったいないなぁ」
俺の本音など知る由もなく、千種は言った。
「別に、やりたいとも思ってないさ。バンドなんてしても、何かが変わるわけじゃない。夢に縋った馬鹿がすることなんだよ、そういうのは。俺は音楽がやりたいわけでもない。だから何一つ、もったいないことなんてない」
さっきまであれだけ大口叩いていた奴が言えた台詞とは思えない。好きなことに妥協なんてしない? 俺がしてんじゃねーかよ。好きなくせに、中途半端にまともでいようとしている。音楽をやるなんて夢だと言って、始める前から逃げ出している。そういう自分が、どうしようもなく嫌いだった。
さっさとこんな話切り上げてしまいたかった。これでは俺が、心の中でどんどん自分を卑下するだけだ。身が持たない。
なのに――
「夢って言い方、私は好きじゃないな」
予想もしなかった言葉が出てきて、俺は彼女を見た。至って真剣な顔をしていた。
「……どういうことだよ」
「だって、叶わないことを自分で認めてしまってるみたいじゃない? 目標ならわかるけどさ。私達は、夢が覚めることを知ってる。なのにそんな言葉で言い表すのは、おかしな話だよ。それってつまり、最初から叶えるつもりがないってことなんでしょ?」
認めたくはないが、言い得て妙だと思った。少なくとも俺はそうである気がした。
「私には夢中になれるものがなかった。でも蓮は違う。ロックが好きだって、初対面だった私にも教えてくれた。それだけ好きなんだよね。好きなことに真摯でいられる君なら、やりたいこともきっとやれるよ」
「好きなものと、やりたいことは一緒じゃない。俺は、バンドがしたいなんて思ってない」
「思ってるよ」彼女は俺の声に被せて言った。
「……どうしてそう言い切れる?」
「簡単だよ。バンドの話をしてる時の蓮の目、すごい輝いてるもの」
呆気にとられた。そんなことで、そんな曖昧な変化で、彼女は俺の本心を見抜いたとでもいうのだろうか。
「でもわかるよ。だってバンド、かっこいいもん。憧れるよ。私だって憧れる」
やはり、千種は俺とは違う。改めてそう強く感じた。無邪気そうなくせして、易々と他人の心を抉ってくる。
認めざるを得なかった。
憧れていたのは、俺の方だった。誰にでも本心を打ち明けられる、そんな彼女の姿に、俺はきっと憧れていた。
「君、いつも音楽聴いてるよね。何を聴いてるの?」
遠足のグループ決めが終わった直後だった。音楽を聴くために右耳にイヤホンを付けようとしたところで、千種は話しかけてきた。それも、俺達が初めて会話をした日と同じ言葉で。
「……覚えてたのかよ」
「忘れないよ。だって、君のおかげでロックが好きになったんだから」
初めて話したあの日と変わらない、優しい笑みを浮かべて千種が言った。
「ねえ」彼女が顔を近付けた。「もっと君のおすすめのバンド教えてよ」
「別に君に勧めたわけじゃない。ただ俺が聴いてたバンドを言っただけなんだけど」
「同じだよ。君が聴いてるってことは、きっといいバンドなんだよ。ね、いいでしょ?」
いいバンドってなんだよと心の中で思いつつ、千種の迫力に負けた俺は、仕方なくさっきまで聴いていたバンドを教えることにした。彼女はとても楽しそうに俺の話を聞いていた。まさか本当に彼女がロックを聴くとは思わなかったので、驚いたは驚いたが、悪い気はしなかった。
それから俺達が会話をすると、大体バンドの話になった。
「なんて言うのかなぁ。自分でいいバンドを見つけたいと思うんだけど、どうにも有名なバンドばっかりになるんだよね……」
千種はそう言って、恥ずかしそうに小さく笑った。俺には、彼女がそこで笑う理由が理解できなかった。
「たくさんの音楽を聴くことだけが楽しみ方じゃないだろ。一つのバンドを好きでい続けるのだってありだし、たまには流行の音楽を聴くのもありだ。なんだっていいんだよ。好きなら胸張って好きって言えばいい。それに、メジャーかマイナーかで自分の中での印象が変わるのは、一番つまらないことなんじゃねーの」
そんなのは、当たり前のことだ。何も恥じることなんてないはずだ。
「……蓮らしいね」
「俺らしい? どこが?」
「他人の意見なんて気にしないで、自分に正直でいるとこ。そういうの、憧れる」
そんなんじゃない。羨ましがられるようなことなんて、何一つしていない。ただ俺は、ロックが好きなだけだ。
「好きなことに妥協なんてしないだろ、誰でも。それだけだよ」
「無理だよ。私は、誰かに否定されるのが怖い」
「そんなの、俺だって怖いさ。でも、否定されて、自分が好きなものを自信もって好きだって言えなくなることの方が、もっと怖いだろ」
俺が言うと、彼女は面食らった表情をしていた。
「ははっ。ほんと、蓮はぶれないなぁ。……私はやっぱ、蓮が羨ましいよ」
彼女は勘違いしている。俺には何もない。惰性で生きてるだけの人間だ。彼女が思っているほど、器用なんかじゃない。好きなバンドを悪く言われたら腹が立つし、マイナーだったバンドがバズって、メディアに露出することが増えると、嬉しい反面寂しさを覚えることだってある。単純な人間だった。こんな俺なんかよりも、千種の方がよっぽど器用に生きている。
「蓮はさ、バンドやらないの?」
突然の一言に、顔の筋肉が引きつった。
「……俺が? やるわけねーよ」
「どうして? 好きなんじゃないの?」
「どうしてって……やるのと聴くのはまた違うだろ。楽器なんてリコーダーくらいしかやったことないし、歌も下手だし、そもそもメンバーがいない。俺は聴いてるだけで満足なんだよ」
嘘じゃない。確かに今は楽器など触っていない。リコーダーですらまともにできない。……けれど、憧れないわけがなかった。俺の部屋の隅には、中二の時に自分で買ったエレキギターが、今でも眠っている。飾ってあると言うにはあまりにぞんざいな扱いを受けているが、部屋に入ると、そいつは必ず視界に入る場所にある。まだどこかで俺は、覚めない夢に取り憑かれているのかもしれない。
ガキみたいだ、と思う。ガキのまま何一つ成長してない。夢物語に溺れて、現実に向き合おうとしていない。世の中を俯瞰したつもりでいる、ダッサいクソガキだ。
「ふーん、もったいないなぁ」
俺の本音など知る由もなく、千種は言った。
「別に、やりたいとも思ってないさ。バンドなんてしても、何かが変わるわけじゃない。夢に縋った馬鹿がすることなんだよ、そういうのは。俺は音楽がやりたいわけでもない。だから何一つ、もったいないことなんてない」
さっきまであれだけ大口叩いていた奴が言えた台詞とは思えない。好きなことに妥協なんてしない? 俺がしてんじゃねーかよ。好きなくせに、中途半端にまともでいようとしている。音楽をやるなんて夢だと言って、始める前から逃げ出している。そういう自分が、どうしようもなく嫌いだった。
さっさとこんな話切り上げてしまいたかった。これでは俺が、心の中でどんどん自分を卑下するだけだ。身が持たない。
なのに――
「夢って言い方、私は好きじゃないな」
予想もしなかった言葉が出てきて、俺は彼女を見た。至って真剣な顔をしていた。
「……どういうことだよ」
「だって、叶わないことを自分で認めてしまってるみたいじゃない? 目標ならわかるけどさ。私達は、夢が覚めることを知ってる。なのにそんな言葉で言い表すのは、おかしな話だよ。それってつまり、最初から叶えるつもりがないってことなんでしょ?」
認めたくはないが、言い得て妙だと思った。少なくとも俺はそうである気がした。
「私には夢中になれるものがなかった。でも蓮は違う。ロックが好きだって、初対面だった私にも教えてくれた。それだけ好きなんだよね。好きなことに真摯でいられる君なら、やりたいこともきっとやれるよ」
「好きなものと、やりたいことは一緒じゃない。俺は、バンドがしたいなんて思ってない」
「思ってるよ」彼女は俺の声に被せて言った。
「……どうしてそう言い切れる?」
「簡単だよ。バンドの話をしてる時の蓮の目、すごい輝いてるもの」
呆気にとられた。そんなことで、そんな曖昧な変化で、彼女は俺の本心を見抜いたとでもいうのだろうか。
「でもわかるよ。だってバンド、かっこいいもん。憧れるよ。私だって憧れる」
やはり、千種は俺とは違う。改めてそう強く感じた。無邪気そうなくせして、易々と他人の心を抉ってくる。
認めざるを得なかった。
憧れていたのは、俺の方だった。誰にでも本心を打ち明けられる、そんな彼女の姿に、俺はきっと憧れていた。