ある時学校から家に帰ると、家の中が散乱していた。飾ってあった写真立てが落ちていたり、食器が割れていたりと、地震が起きたかあるいは動物が暴れまわったかのような散らかり具合だった。でも、地震は起きていないし、うちはペットも飼っていない。となると、理由はひとつだった。
 流し台の水道から水が流れたままだった。その下で、お父さんが包丁を持って座り込んでいた。壁にもたれかかりながら、目を閉じていた。血はどこにも付いてない。刺したり切ったりした痕もない。荒れた心のまま包丁を手に持ったけど、一歩が踏み出せなかったんだろう。
 惨めだと思った。逃げるのなら潔く逃げてほしかった。これ以上、憐れだと思わせないでほしかった。
 そんな惨めなお父さんの姿を見た時、私は、忘れかけようとしていたことを思い出した。
 いっそ誰かが私を殺してくれればいいのにな。最近、ずっとそう思っていた。きっと私は抵抗しない。だってそのほうが自分で死ぬより楽だ。そいつに責任を転嫁できる。
 でも違う。私には、誰かに殺される権利なんてない。自分で始末を付けなきゃいけない。お母さんが死んだ日から、クラスメイトのあの子が死んだ日から、ずっとそのつもりでいた。人を殺した人間は、自分でその罪を償わなきゃいけない。
 少々、現を抜かし過ぎていたんだ。ずっと幸せに憧れていて、それに近い感覚を味わえていたせいで、つい浸りすぎていた。でも、私は幸せになってはいけなかった。忘れてしまいそうだった。忘れようなんて思いを抱きつつあった。私にそんな資格なんてないのに、みんなの輪に加わろうとしていた。
 そんなの、いいわけがない。お母さんやあの子が赦しても、私自身が赦せない。もう後悔するのはウンザリだ。

 ここに改めて決意を記そう。もう二度と迷わないように。道を踏み外したりしないように。ちゃんと最期を迎えられるように。

 私は、飛んでやる。