休日に、二人で映画を観に行った。誘ったのは千種のほうからだった。
 観たのは巷で話題になっていた恋愛映画だった。典型的なボーイミーツガールもののようだったが、彼女がこういった作品に興味があるとは意外だった。
 公開からもう何週も経った作品だというのに、席はほとんど満席状態で、その大多数が若いカップルだった。僕らは後方右端の席に座り、一切会話をせずに上映されるのを待った。僕は、席に座った瞬間から、エンドロールが終わって他の観客が全員いなくなるまで映画を楽しみたい人間だったので、千種が話しかけてこないことがありがたかった。
 映画は、やはりよくある男女の恋模様を描いたものだった。二十代前半の男女が出会い、恋に落ち、愛し合い、けれど長くは続かずに、最後には別れる。ありきたりな物語。感動はしない。映画でも小説でも、僕は何度もこういった作品に触れてきた。
 ただ、今まで触れてきたそれらとは比べ物にならないくらい、それはリアルだった。どうしてだろうかと考えた時に真っ先に思い当たるのが、演者の演技力の高さだった。特に主演の男女二人だ。声や表情、息遣い、目線の動きなど細部に至るまでが偽りのない自然なものだった。何が上手いか下手かなんてことはわからないが、彼らの演技は、言ってしまえば演技ではないように思えた。作品が終わった後に初めてこれがフィクションだと気付くような、それほどに圧巻なものだった。なるほど確かに人気な理由もわかる気がする。
 世の中の大抵の作品は「良」以上だと考えている僕にとっては十分満足だったが、どうやら彼女には刺さらなかったようだった。劇場を出た後も、不満そうに口を尖らせていた。

「人気なのはわかるんだけど、自分の肌には合わないものってあるからな」

 帰りの電車の中で、横に座る千種に言った。休日だというのに、数えるほどしか乗客はいなかった。

「もしかして、気遣ってる?」

「あからさまに面白くなさそうな顔してるから」

「別に面白くなかったわけじゃないよ。そもそもそんなに期待してなかったし」

「じゃあなんで不満そうなんだよ」

「不満なんじゃない、悔しいんだよ」

 映画を観て悔しいという感想が出てくることが不思議だった。本当に同じ映画を観ていたのかと疑いたくなる。

「本当はさ、なんだこのクソ映画! って言ってやるつもりだった。私にはどうせ合わないって思ったから、鼻で笑ってやるつもりだった。でも、ちゃんと見入ってた。目が離せなかった。それが悔しいの」

 なるほどそんなことが理由だったのか。彼女は呆れるほどに正直だ。自分の本性を隠しているという一点を除けばだが。

「それが千種のいいところだと、僕は思う。君は色んなものに興味を抱くけれど、絶対に浅薄な考えで評価しない。ちゃんと自分の目で見て、触れて、感じたことを素直に話している。それって意外と難しいことじゃないか」

「嬉しいことを言ってくれるね」

 満更でもなさそうに、千種は笑った。

「でも、別に褒められたことじゃないよ。雑食なだけ。音痴なだけ」

 千種はすぐこうやって自分を卑下する。皆といる時は以前と変わらないというのに、僕と二人だと何かと自信がなさそうだった。ただ、それが不快だというわけではなかった。僕にだけは弱みを見せることを許しているということが、原因はどうであれ、彼女との距離を密接にしているような気がしていた。それに何より、この時間が好きだった。友達になろうと言われた時のあの目を見てから、僕は彼女のことがずっと気になっていた。そして今こうして、不健全かつ異質な関係ではあるものの、二人で遊びに出かけることができている。それが単純に嬉しかったのだ。

「……ねえ、まだ時間ある?」

 千種が遠慮気味に訊いた。

「大丈夫だけど」

 そう僕が答えると、彼女はぱあっと顔を明るくした。

「私、本屋寄りたい。あの映画の原作買いたい」

 彼女はやっぱり正直だった。