「希望がない人間は、死んだも同然なんだよ。翼を失った鴉が、死んでいるのと同じようにね」
千種はどこか遠くの、この世界の端でも見据えるような目でそう言った。四畳半ほどの広さしかない僕の部屋の隅で、膝を抱えて小さくなりながら。
あの秘密を知った日から、彼女は僕にだけこうやって本音を言うようになった。きっと、ずっと一人で抱えていたから、誰かに言うことで発散したかったのかもしれない。
「だから私はとっくに死んでいるんだよ。地面に這いつくばって、他人に餌を乞うことしかできない惨めな存在なんだ」
千種はゆっくりと視線を落とし、机の上に置いてあった文庫本を手に取った。それは僕が中学の頃、どの本で読書感想文を書こうか迷っていた時に、学校の図書館でたまたま手に取った小説だった。適当に書いて、そのまま返すのを忘れて、今日に至るまで借りパク状態になっている。確か、主人公がろくに金も持たずに世界中を一人旅する――みたいな内容だった気がする。今でこそ僕は小説を好いているが、中学の頃は活字を見るのが大の苦手だった。
千種は僕の部屋に来ると、よくその本を読んでいた。一度貸してあげようかと言ったことがあったが、彼女は断った。公共の物を盗む趣味は私にはない、だそうだ。僕だって好きで盗んでいるんじゃない。
「これ読んでるとさ、人ってその気になれば意外とどこにでも行けるんだなって思えるんだよね。いい本だよ」
「君は読書になんか興味ないと思ってた」
「ないことないよ。小説は魅力的だよ」
「どんなとこが?」
「ほら、小説なんか書いてる人に、ろくな人間なんていないじゃない?」
「まずその前提がどうかと思うけど」
「だって、人生に満足してたら小説なんて書こうと思わないよ。何かが足りないから、求めているから、小説を書くんでしょ? で、そんなろくでもない人が書いた物語を読むのって、その人の歪んだ心に触れてるみたいで刺激的じゃない?」
「……まあ、確かに、わかる気はする」
「でしょ? やっぱり尋とは気が合うなぁ」
千種はそう言ってはにかんだ。いつも皆に見せる笑顔とは少し違う、どこか影を感じる笑顔だった。
「でも、私は人生に物語みたいな衝撃的な展開なんて望んでない。特別な環境なんて望んでいない。ただ、私は、ここからいなくなってしまいたいだけなの。それなのに、私にはそんなことすらもできない。鳥かごの中で飼われていることしかできないんだ」
まただ。また、彼女は自分を嘲る。誇張でも何でもなく、彼女はいつも死んでしまいそうな雰囲気を漂わせている。
「生きてるよ。君は、それでも生きてる」
「どうだろうね」
もう何度こんなやり取りをしたことだろう。あのメモを見た日から、僕らは数えきれないほど似た会話を交わしていた。それまで彼女に抱いていた印象など、もう残滓ほどしかありはしなかった。
彼女が微笑む。そして、いつものようにこう言うのだった。
――私はもう、空を飛べない。
千種はどこか遠くの、この世界の端でも見据えるような目でそう言った。四畳半ほどの広さしかない僕の部屋の隅で、膝を抱えて小さくなりながら。
あの秘密を知った日から、彼女は僕にだけこうやって本音を言うようになった。きっと、ずっと一人で抱えていたから、誰かに言うことで発散したかったのかもしれない。
「だから私はとっくに死んでいるんだよ。地面に這いつくばって、他人に餌を乞うことしかできない惨めな存在なんだ」
千種はゆっくりと視線を落とし、机の上に置いてあった文庫本を手に取った。それは僕が中学の頃、どの本で読書感想文を書こうか迷っていた時に、学校の図書館でたまたま手に取った小説だった。適当に書いて、そのまま返すのを忘れて、今日に至るまで借りパク状態になっている。確か、主人公がろくに金も持たずに世界中を一人旅する――みたいな内容だった気がする。今でこそ僕は小説を好いているが、中学の頃は活字を見るのが大の苦手だった。
千種は僕の部屋に来ると、よくその本を読んでいた。一度貸してあげようかと言ったことがあったが、彼女は断った。公共の物を盗む趣味は私にはない、だそうだ。僕だって好きで盗んでいるんじゃない。
「これ読んでるとさ、人ってその気になれば意外とどこにでも行けるんだなって思えるんだよね。いい本だよ」
「君は読書になんか興味ないと思ってた」
「ないことないよ。小説は魅力的だよ」
「どんなとこが?」
「ほら、小説なんか書いてる人に、ろくな人間なんていないじゃない?」
「まずその前提がどうかと思うけど」
「だって、人生に満足してたら小説なんて書こうと思わないよ。何かが足りないから、求めているから、小説を書くんでしょ? で、そんなろくでもない人が書いた物語を読むのって、その人の歪んだ心に触れてるみたいで刺激的じゃない?」
「……まあ、確かに、わかる気はする」
「でしょ? やっぱり尋とは気が合うなぁ」
千種はそう言ってはにかんだ。いつも皆に見せる笑顔とは少し違う、どこか影を感じる笑顔だった。
「でも、私は人生に物語みたいな衝撃的な展開なんて望んでない。特別な環境なんて望んでいない。ただ、私は、ここからいなくなってしまいたいだけなの。それなのに、私にはそんなことすらもできない。鳥かごの中で飼われていることしかできないんだ」
まただ。また、彼女は自分を嘲る。誇張でも何でもなく、彼女はいつも死んでしまいそうな雰囲気を漂わせている。
「生きてるよ。君は、それでも生きてる」
「どうだろうね」
もう何度こんなやり取りをしたことだろう。あのメモを見た日から、僕らは数えきれないほど似た会話を交わしていた。それまで彼女に抱いていた印象など、もう残滓ほどしかありはしなかった。
彼女が微笑む。そして、いつものようにこう言うのだった。
――私はもう、空を飛べない。