三階の空き教室は、もはや私達のものになっていた。

「ありがとう。陽葵がいなかったら、どうなってたかわからなかったよ」

 礼を言ってきたのは遥太だった。律儀にお辞儀までしていた。

「やめてよそんなの。私はただ、あんな光景見てられなかっただけだから。それより、ねえ、何があったの?」

 顔を上げた彼は、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。よくないことが起こったのはわかるけど、田伏があれほど激昂するのには、相当な理由がありそうだった。
 遥太が尋のいる方を見たので、私もそちらに視線を向けた。机にもたれ掛かっている彼の正面には蓮がいた。険悪そうな雰囲気が、二人から感じられた。

「お前、無理に思い出させようとするのはよくないんじゃないかって、言ったよな」

 いつものぶっきらぼうな調子とは違って、蓮の声は淡々としていた。

「……ああ」

「俺だって、千種のことを忘れようとしている奴らのことをよくは思ってねぇよ。ただ、あんなやり方で強要するのは、どう考えても間違ってるだろ」

「ならお前は、千種のことなんてどうでもいいのか?」

「そうは言ってねぇよ。だけどな、他人を殴って解決できる問題でもないだろ」

「え……?」

 衝撃だった。尋が人を殴った? 嘘じゃないかと思った。でも尋は、否定しなかった。

「どうして、そんなこと……」

「僕のほうから説明するよ」

 遥太が言う。彼の顔色は、依然優れないままだった。

「実は尋、中島さんに話を聞こうとしたらしいんだ」

 中島というのは、私達と同じクラスの女子生徒だ。クラスの中心的人物だったので、私でも名前と顔くらいは知っている。

「けど、その子に断られちゃったみたいで。しかもそれがかなり適当にあしらわれた感じみたいだったんだよ。それに尋がカッとなって、口論になったんだ。そこまではまだどうにか救いようがあったんだけど……その子が、千種を蔑むようなことを言っちゃったのが、結果として尋の火を付けてしまったみたいで、ね……」

「そんな……」

 何とも言い難い出来事だった。誰も責めることなんてできない。ただ、暴力は駄目だと言った手前、尋のやったことを許していいのか難しいところだった。彼が千種のことを想う気持ちを考えると、仕方ないとも思ってしまう。
 もし私が尋の立場だったら、どうしていただろう。彼と同じように、手を上げていただろうか。
 尋は、苦しそうだった。痛みを独りで抱え込んで、千種の無念を晴らすためだけに生きているようだった。あるいはその目的によって、生かされているようであった。自分の身を削ってでも、千種に何もかもを捧げていた。
 それなのに、現実は思うように進まない。周りの協力を得られないどころか、クラスメイト達には煙たがれている。故に気が立ってしまう。きっとそれは、尋だけじゃない。表には出さないだけで、蓮と遥太だって苦しんでいる。今の彼らの顔を見ているとわかる。みんなこの状況に、不安を滲ませていた。
 私だけじゃないんだと、どこかほっとしている自分がいた。尋も、蓮も遥太も、みんな不安なんだ。自分達のやっていることが、本当に千種のためになるのかどうか。悩んで、苦しんで、行動している。

「ねえ、尋」

 だからこそ今は、気持ちを共有させる必要があった。願っていることは、みんな同じなんだ。

「今日の放課後、私に付き合ってくれない?」