田辺先輩はゆっくりと谷川先輩に近くと、大きくあくびしながら谷川先輩を睨みつけた。
「なんでお前たちがここにいるんだ?」
「あ?」
「女子バレー部が使用する時間だろ? なんでお前らがここにいるのか聞いてんの」
強面顔の谷川先輩に詰め寄り、普段はめったに出さない冷めた口調で田辺先輩が攻め始めた。
「いや、それは――」
「言い訳は聞くつもりはない。邪魔だからさっさと明け渡して引っ込んでろ」
食い下がる谷川先輩をばっさり切り捨て、田辺先輩が笹山先輩にコートを使用するように促した。
ヒートアップしていた男子バスケ部も、さすがに田辺先輩の登場で水を打ったように静かになっていった。
そんな光景を、私はただ唖然として見るしかなかった。けど、遅れて聞こえてきた鼓動で我に返った。田辺先輩のすごさを目の当たりにして、私の胸は破裂しそうなほど高鳴っていた。
「ちょっと待てよ」
話は終わりとばかりに背を向けようとした田辺先輩を、谷川先輩が引きとめた。
「あいつらの件はどうなるんだ?」
谷川先輩が真顔で女子バレー部を一瞥する。どうやら今回の件がどうなるか、確認しようとしているみたいだ。
「お前、頭が悪いからってそんなこともわからないのか?」
「どういう意味だよ」
「お前らがコートにいる以上、なにかを言う権利はないし、聞くつもりもない」
田辺先輩が谷川先輩を睨みながら、冷たく突き放す。けど、谷川先輩はしつこく田辺先輩の手を掴んできた。
「お前、なにに焦っているんだ?」
「あ?」
「いや、なんでそんなに意地になっているんだ?」
「どういう意味――」
「お前らしくないって意味。固くなに女子バレー部との話し合いを拒否して、お前は一体なにをやってんだよ」
冷たく言い放った田辺先輩の態度に圧倒されたのか、谷川先輩は掴んでいた手をあっさり離した。
「さ、戻るぞ」
なにもできずに立ちつくしていた私に、田辺先輩が声をかけてきた。気づくと男子バスケ部はコートから姿を消し、代わりに女子バレー部が練習を始めていた。
現れてものの数分で事態を収めた田辺先輩。犬だったら高速でしっぽを振るような勢いで、私は体育館を出ていく田辺先輩を追いかけた。
「田辺先輩、助かりました」
緊張から解放された瞬間、私は宙に浮くような感覚の中、何度も田辺先輩に頭を下げた。
「ま、三年が相手だと限界があるからな。それでも、よくやった方だ」
田辺先輩があくびをしながら頭をかく。一瞬気づかなかったけど、褒められたとわかって体中が急激に熱くなっていった。
「で、調査の状況は?」
監査委員会活動室に戻り、いつものソファーに腰をおろした田辺先輩が尋ねてくる。嬉しくて舞い上がっていた私は、緩む頬を軽く叩いてこれまでの内容を報告した。
「あの谷川が、そんなことを言ったのか」
私の報告を聞いた田辺先輩が、意味深に呟いた。
「あの、笹山先輩も言ってたんですけど、谷川先輩って自分勝手な人じゃないんですか?」
田辺先輩の反応は、笹山先輩の反応と同じだった。谷川先輩に対する私のイメージと、田辺先輩の谷川先輩に対する評価は明らかに違うのが伝わってきた。
「自分勝手どころか、あいつほど周りに気を遣う奴はいないよ。人柄の良さでキャプテンになってきたようなもんだからな」
「でも、私には信じられないです。ただの横暴な人にしか思えません」
「全国大会が近いし、練習も思うようにできなくて苛立っているのかもな。チームを全国大会に導く責務もあるし、確かにいつものあいつじゃないかもしれない」
田辺先輩が膝の上で頬杖をつきながら、思案にふけり始めた。その横顔をドキドキしながら見つめていると、迷惑そうにジロリと睨み返された。
「気になるのは、山崎の発言だな」
小さくため息をついた田辺先輩が、私の報告に話を戻した。
「はい、山崎先輩は異常なほど笹山先輩を慕っています。あの様子なら、山崎先輩が一人で犯行に及んだとしても不思議じゃありません」
「笹山の線が消えたとしても、山崎がいる以上は女子バレー部の犯行という可能性は否定できないわけか」
「ただ、私には男子バスケ部の部費は不正に徴収されていたように思えてきました」
これまでの調査の結果からして、確かに女子バレー部員による犯行の可能性は否定できない。けど、それ以上に男子バスケ部員たちの態度を見ていると、ルール違反もなんとも思っていないように思えてきた。
「確かに、全国大会に行くとなると準備が大変だろうし、隠れて不正に徴収していた部は過去にいくらでもあったらしいからな」
「そうなると、またふりだしに戻ってしまいますね」
「うーん」
田辺先輩が頬杖をついたまま気の抜けた返事を漏らした。明らかに別のなにかを考えているみたいで、思考はここにないように見えた。
「なぜ風紀委員会の活動室に部費を置いたんだ?」
しばらく黙っていた田辺先輩が、鋭い眼差しのまま口を開いた。
「それは、監査委員会に出しても返却して終わりだって、田辺先輩が自分で言ってませんでした?」
「確かにそうだけど、でも、規則違反となると風紀委員会は管轄外になる。なのに、なぜ風紀委員会に不正を発覚させようとしたんだ?」
「それは――」
改めて問われると、私も上手く説明できなかった。
「ウチが動かない可能性があるのを知って保険をかけた。風紀委員会が絡んでいるとなると、さすがのウチも動かないわけにはいかないからな。そう考えて、先に風紀委員会が動くように仕向けた」
「どういうことですか?」
「つまり、ただの不正発覚が目的ならば、直接監査委員会に告発すればすむ。けど、そうしなかったのは、ウチが動かないとわかっていたからだろう。だから、わざわざ部費を盗んで盗難事件にした。盗難事件ならば風紀委員会の管轄だから、最終的に風紀委員会がウチを動かしてくれると期待したんだろう」
田辺先輩の説明を聞きながら、私はある言葉を思い出した。
「そういえば、笹山先輩が言ってました。コート使用問題について、田辺先輩に苦情を出したって」
「あ? そんなものあったっけ?」
田辺先輩が眉間に皺を寄せながら、過去の依頼書をめくり始めた。
「ああ、確かに。気づかなかったな」
「いつも見ないで印鑑押してるからでしょ」
悪びれる様子もなく依頼書に目を落とす田辺先輩に、私はそれとなくツッコミを入れておいた。
「なるほどね」
田辺先輩が低く唸りながら、依頼書を私に差し出してくる。受け取った私は、中身をすぐに確認した。
依頼書によると、コート使用ルールについては、当初はバスケ部とバレー部男女それぞれのキャプテンが話し合って合意していた。
けど、その合意を男子バスケ部だけが破っていた。合意から一週間の間に何度も話し合いがされたけど改善はされなかったため、監査委員会に苦情という形で依頼書が出されることになった。
「田辺先輩の読みが正しいとしたら、女子バレー部の犯行の可能性がますます高まることにますね」
「そうだな。状況証拠は全て揃ったことになるな」
田辺先輩が頭の後ろで手を組みながら、小さく呟いた。
女子バレー部には犯行の動機もあるし、犯行に及んでもおかしくない人物がいる。
さらに、田辺先輩の読みが加われば、女子バレー部は一度監査委員会が対応してくれないことを、身を持って知っている。
だから、今回はわざわざ風紀委員会が動くように仕向けた。
それは、裏を返せば監査委員会が動かないことを経験でわかった女子バレー部だからこそ、考えることができた策だったのかもしれない。
直接の証拠はないけど、状況証拠は全て女子バレー部の犯行を示唆している。田辺先輩もはっきりとは言わないけど、結論に達しているだろう。
気持ちとしては女子バレー部を疑いたくないけど、疑惑が大き過ぎて否定することができそうになかった。
「ただ、男子バスケ部の部費不正問題よりも、今日のはまずかったな」
「やっぱり、そう思いますか?」
私が不安に思っていることを、田辺先輩が口にした。男子バスケ部の部費に絡む問題は疑惑の段階だけど、今日の騒ぎは言い逃れができる状況ではなかった。
「となると、処分は避けられませんか?」
「仕方ないけどな。目撃者もいるし、ある意味現行犯だから、処分しないわけにはいかないだろう」
予想していたとはいえ、田辺先輩にはっきり言われると肩が重くなってくる。笹山先輩は故意にトラブルを起こしたわけではないから、それを処分するとなると気持ちが一気に沈んでいった。
「女子バレー部に対する疑惑はまだはっきりしていませんし、今日の件も理由がありますから、処分は軽い方向でいきますよね?」
祈る想いで田辺先輩に尋ねてみた。処分をどうするかは、監査委員長が決めることになっている。その後、生徒会に申し立てて受理されれば決定となるけど、よほどの事情がない限り、監査委員長が決めた処分がそのまま受理されることになっている。
「そうだな――」
処分の内容を口にしかけた田辺先輩だったけど、なにかを思いついたかのように、しきりに顎をさすりながら何度も頷き始めた。
「揺さぶってみるか」
「え? どういう意味ですか?」
田辺先輩がポツリと意味深に呟いた言葉。
その意味がわからなくて聞き返したけど、田辺先輩は答えることなく、やけに怪しい光を瞳に宿すだけだった。
「なんでお前たちがここにいるんだ?」
「あ?」
「女子バレー部が使用する時間だろ? なんでお前らがここにいるのか聞いてんの」
強面顔の谷川先輩に詰め寄り、普段はめったに出さない冷めた口調で田辺先輩が攻め始めた。
「いや、それは――」
「言い訳は聞くつもりはない。邪魔だからさっさと明け渡して引っ込んでろ」
食い下がる谷川先輩をばっさり切り捨て、田辺先輩が笹山先輩にコートを使用するように促した。
ヒートアップしていた男子バスケ部も、さすがに田辺先輩の登場で水を打ったように静かになっていった。
そんな光景を、私はただ唖然として見るしかなかった。けど、遅れて聞こえてきた鼓動で我に返った。田辺先輩のすごさを目の当たりにして、私の胸は破裂しそうなほど高鳴っていた。
「ちょっと待てよ」
話は終わりとばかりに背を向けようとした田辺先輩を、谷川先輩が引きとめた。
「あいつらの件はどうなるんだ?」
谷川先輩が真顔で女子バレー部を一瞥する。どうやら今回の件がどうなるか、確認しようとしているみたいだ。
「お前、頭が悪いからってそんなこともわからないのか?」
「どういう意味だよ」
「お前らがコートにいる以上、なにかを言う権利はないし、聞くつもりもない」
田辺先輩が谷川先輩を睨みながら、冷たく突き放す。けど、谷川先輩はしつこく田辺先輩の手を掴んできた。
「お前、なにに焦っているんだ?」
「あ?」
「いや、なんでそんなに意地になっているんだ?」
「どういう意味――」
「お前らしくないって意味。固くなに女子バレー部との話し合いを拒否して、お前は一体なにをやってんだよ」
冷たく言い放った田辺先輩の態度に圧倒されたのか、谷川先輩は掴んでいた手をあっさり離した。
「さ、戻るぞ」
なにもできずに立ちつくしていた私に、田辺先輩が声をかけてきた。気づくと男子バスケ部はコートから姿を消し、代わりに女子バレー部が練習を始めていた。
現れてものの数分で事態を収めた田辺先輩。犬だったら高速でしっぽを振るような勢いで、私は体育館を出ていく田辺先輩を追いかけた。
「田辺先輩、助かりました」
緊張から解放された瞬間、私は宙に浮くような感覚の中、何度も田辺先輩に頭を下げた。
「ま、三年が相手だと限界があるからな。それでも、よくやった方だ」
田辺先輩があくびをしながら頭をかく。一瞬気づかなかったけど、褒められたとわかって体中が急激に熱くなっていった。
「で、調査の状況は?」
監査委員会活動室に戻り、いつものソファーに腰をおろした田辺先輩が尋ねてくる。嬉しくて舞い上がっていた私は、緩む頬を軽く叩いてこれまでの内容を報告した。
「あの谷川が、そんなことを言ったのか」
私の報告を聞いた田辺先輩が、意味深に呟いた。
「あの、笹山先輩も言ってたんですけど、谷川先輩って自分勝手な人じゃないんですか?」
田辺先輩の反応は、笹山先輩の反応と同じだった。谷川先輩に対する私のイメージと、田辺先輩の谷川先輩に対する評価は明らかに違うのが伝わってきた。
「自分勝手どころか、あいつほど周りに気を遣う奴はいないよ。人柄の良さでキャプテンになってきたようなもんだからな」
「でも、私には信じられないです。ただの横暴な人にしか思えません」
「全国大会が近いし、練習も思うようにできなくて苛立っているのかもな。チームを全国大会に導く責務もあるし、確かにいつものあいつじゃないかもしれない」
田辺先輩が膝の上で頬杖をつきながら、思案にふけり始めた。その横顔をドキドキしながら見つめていると、迷惑そうにジロリと睨み返された。
「気になるのは、山崎の発言だな」
小さくため息をついた田辺先輩が、私の報告に話を戻した。
「はい、山崎先輩は異常なほど笹山先輩を慕っています。あの様子なら、山崎先輩が一人で犯行に及んだとしても不思議じゃありません」
「笹山の線が消えたとしても、山崎がいる以上は女子バレー部の犯行という可能性は否定できないわけか」
「ただ、私には男子バスケ部の部費は不正に徴収されていたように思えてきました」
これまでの調査の結果からして、確かに女子バレー部員による犯行の可能性は否定できない。けど、それ以上に男子バスケ部員たちの態度を見ていると、ルール違反もなんとも思っていないように思えてきた。
「確かに、全国大会に行くとなると準備が大変だろうし、隠れて不正に徴収していた部は過去にいくらでもあったらしいからな」
「そうなると、またふりだしに戻ってしまいますね」
「うーん」
田辺先輩が頬杖をついたまま気の抜けた返事を漏らした。明らかに別のなにかを考えているみたいで、思考はここにないように見えた。
「なぜ風紀委員会の活動室に部費を置いたんだ?」
しばらく黙っていた田辺先輩が、鋭い眼差しのまま口を開いた。
「それは、監査委員会に出しても返却して終わりだって、田辺先輩が自分で言ってませんでした?」
「確かにそうだけど、でも、規則違反となると風紀委員会は管轄外になる。なのに、なぜ風紀委員会に不正を発覚させようとしたんだ?」
「それは――」
改めて問われると、私も上手く説明できなかった。
「ウチが動かない可能性があるのを知って保険をかけた。風紀委員会が絡んでいるとなると、さすがのウチも動かないわけにはいかないからな。そう考えて、先に風紀委員会が動くように仕向けた」
「どういうことですか?」
「つまり、ただの不正発覚が目的ならば、直接監査委員会に告発すればすむ。けど、そうしなかったのは、ウチが動かないとわかっていたからだろう。だから、わざわざ部費を盗んで盗難事件にした。盗難事件ならば風紀委員会の管轄だから、最終的に風紀委員会がウチを動かしてくれると期待したんだろう」
田辺先輩の説明を聞きながら、私はある言葉を思い出した。
「そういえば、笹山先輩が言ってました。コート使用問題について、田辺先輩に苦情を出したって」
「あ? そんなものあったっけ?」
田辺先輩が眉間に皺を寄せながら、過去の依頼書をめくり始めた。
「ああ、確かに。気づかなかったな」
「いつも見ないで印鑑押してるからでしょ」
悪びれる様子もなく依頼書に目を落とす田辺先輩に、私はそれとなくツッコミを入れておいた。
「なるほどね」
田辺先輩が低く唸りながら、依頼書を私に差し出してくる。受け取った私は、中身をすぐに確認した。
依頼書によると、コート使用ルールについては、当初はバスケ部とバレー部男女それぞれのキャプテンが話し合って合意していた。
けど、その合意を男子バスケ部だけが破っていた。合意から一週間の間に何度も話し合いがされたけど改善はされなかったため、監査委員会に苦情という形で依頼書が出されることになった。
「田辺先輩の読みが正しいとしたら、女子バレー部の犯行の可能性がますます高まることにますね」
「そうだな。状況証拠は全て揃ったことになるな」
田辺先輩が頭の後ろで手を組みながら、小さく呟いた。
女子バレー部には犯行の動機もあるし、犯行に及んでもおかしくない人物がいる。
さらに、田辺先輩の読みが加われば、女子バレー部は一度監査委員会が対応してくれないことを、身を持って知っている。
だから、今回はわざわざ風紀委員会が動くように仕向けた。
それは、裏を返せば監査委員会が動かないことを経験でわかった女子バレー部だからこそ、考えることができた策だったのかもしれない。
直接の証拠はないけど、状況証拠は全て女子バレー部の犯行を示唆している。田辺先輩もはっきりとは言わないけど、結論に達しているだろう。
気持ちとしては女子バレー部を疑いたくないけど、疑惑が大き過ぎて否定することができそうになかった。
「ただ、男子バスケ部の部費不正問題よりも、今日のはまずかったな」
「やっぱり、そう思いますか?」
私が不安に思っていることを、田辺先輩が口にした。男子バスケ部の部費に絡む問題は疑惑の段階だけど、今日の騒ぎは言い逃れができる状況ではなかった。
「となると、処分は避けられませんか?」
「仕方ないけどな。目撃者もいるし、ある意味現行犯だから、処分しないわけにはいかないだろう」
予想していたとはいえ、田辺先輩にはっきり言われると肩が重くなってくる。笹山先輩は故意にトラブルを起こしたわけではないから、それを処分するとなると気持ちが一気に沈んでいった。
「女子バレー部に対する疑惑はまだはっきりしていませんし、今日の件も理由がありますから、処分は軽い方向でいきますよね?」
祈る想いで田辺先輩に尋ねてみた。処分をどうするかは、監査委員長が決めることになっている。その後、生徒会に申し立てて受理されれば決定となるけど、よほどの事情がない限り、監査委員長が決めた処分がそのまま受理されることになっている。
「そうだな――」
処分の内容を口にしかけた田辺先輩だったけど、なにかを思いついたかのように、しきりに顎をさすりながら何度も頷き始めた。
「揺さぶってみるか」
「え? どういう意味ですか?」
田辺先輩がポツリと意味深に呟いた言葉。
その意味がわからなくて聞き返したけど、田辺先輩は答えることなく、やけに怪しい光を瞳に宿すだけだった。