放課後、私はモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、体育館に足を運んだ。名目はコートの使用状況調査だけど、それも谷川先輩が使用ルールを守っていなかったことを認めたから、あまり意味はなかった。
体育館に入ると、ちょうど男子バスケ部が女子バレー部にコートを明け渡しているところだった。おそらく、私が調査に来ることを知った上でのことだろう。その白々しいやりとりに、私は怒りしか感じなかった。
「監査委員会の花菜さん、ですよね?」
離れた場所でぼんやり練習を見ていたところに、やけにたどたどしい声で話しかけられた。
「あ、私、バレー部の副キャプテンをしている、山崎っていいます」
白い体操服姿の山崎先輩が、長身の体を深く曲げて頭を下げてきた。笹山先輩とは反対に、山崎先輩は大人しい感じの雰囲気をまとっている。僅かに緊張の色を滲ませた笑顔からも、思いきって私に声をかけたのがわかった。
「ちょっとだけ、時間いいですか?」
周りを見渡しながら、山崎先輩が体育館の外に出るように促してくる。何事かと思いつつ後ろをついていくと、体育館裏の人気のない場所で山崎先輩は足を止めた。
「た、単刀直入に聞きますね。男子バスケ部は、その、どうなりますか?」
本当に単刀直入な話だったせいで、私は言葉に詰まって口を開くことができなかった。
「ご、ごめんなさい。いきなり過ぎましたね」
私が固まっていると、山崎先輩は慌てふためきながら何度も頭を下げた。その仕草がおかしくて、私は吹き出して笑ってしまった。
「あ、すみません。いきなりで私もびっくりしてしまいました」
私が笑ったことに、目を丸くして固まった山崎先輩に慌てて頭を下げる。山崎先輩もつられてか、再び頭を下げてきた。
「男子バスケ部のことは調査中ですけど、近いうちになんらかの結果は出ると思います」
「そ、そうなんですね。それは、良かったです」
ぎこちない口調で語る山崎先輩が安堵の息を漏らす。一見したらなんともない仕草だったけど、なぜか妙なひっかかりを感じた。
「男子バスケ部の処分が気になりますか?」
「え? あ、いえ、気になるというか」
急に口ごもる山崎先輩だったけど、大きく深呼吸すると同時に、不安そうな表情を一変させて真剣な顔つきを私に向けてきた。
「私、どうしても全国大会に行って、その、笹山さんを試合に出させたいんです」
目を輝かせて語る山崎先輩。その背景には、個人的な事情があるのはすぐにわかった。
山崎先輩は小さい頃から引っ込み思案で、背の高さもコンプレックスになっていた。そのせいで不登校になっていたけど、そんな山崎先輩を無理矢理バレー部に引きずり込んだのが、笹山先輩だという。
「笹山さんのおかげで、私、毎日楽しく過ごせるようになりました。だから、笹山さんに恩返ししたくて」
顔を赤くしながらたどたどしく語る姿から、山崎先輩が笹山先輩を慕っているのが伝わってきた。
「だから、バレー部の為なら、私、なんでもするつもりなんです」
ほっこりした雰囲気に冷水をぶちまけるような一言に、私は息を飲んで山崎先輩を見つめた。
真っ直ぐに私を見つめ返してくる眼差し。その陰に、山崎先輩の並々ならぬ意思があるのがわかった。
――まさか、山崎先輩が?
脳裏に浮かぶ男子バスケ部の部費不正問題。関与を疑われる女子バレー部員は三人。その中の一人に、山崎先輩の名前があったのを思い出した。
「男子バスケ部のこと、ほ、本当に、よろしくお願いします」
再び深く頭を下げてきた山崎先輩に、私はもう笑えなくなっていた。山崎先輩は笹山先輩に深い恩がある。その想いが、凶行に走らせたのではないだろうか。
かける言葉が見つからずに黙っていると、遠くから笹山先輩の怒号が聞こえてきた。
「ご、ごめんなさい、もう行きますね」
笹山先輩に怒鳴られた山崎先輩が、背筋を伸ばして体育館へと戻っていく。突然つきつけられた現実に戸惑っていると、笹山先輩が意味深な笑みを浮かべて私の首に腕を巻きつけてきた。
「二人でなにしてたのかな?」
意地悪く笑いながら、笹山先輩が私を締め上げてくる。私は抵抗しながらも、なんとか当たり障りない言葉を並べ立てた。
「あの子はね、思い込むと激しいんだから」
笹山先輩がため息をつきながら呆れた表情を浮かべた。でも、その柔らかい瞳からは、山崎先輩を気遣っているのがわかった。
「今日、谷川先輩に会ってきました」
呼吸の乱れを整えながら、さりげなく話題を変える。ちょっと強引だったけど、笹山先輩は私の話に食いついてきた。
「谷川、どうだった?」
「最低な人でした」
思い出した瞬間に怒りがこみ上げてきた私は、谷川先輩とのやりとりを愚痴るように笹山先輩に伝えた。
「ま、確かに谷川は人を寄せつけないオーラがあるけど、そんなに悪い奴じゃないんだけどね」
笹山先輩が笑いながら谷川先輩の肩を持つ。その自然な話し方に、笹山先輩が谷川先輩を悪く思っていないことがよくわかった。
「谷川は強面顔で誤解されやすいけど、本当は気が弱い分みんなには優しくて、いいところも一杯あるよ。まあ、不器用な性格だから伝わらないのは仕方ないかな」
「そうなんですか? 私、あまりの身勝手な態度にキレてしまいましたよ」
私が反論すると、笹山先輩は再び笑いながら私の隣に並んで壁に背を預けた。
「私が泣かない女と言われているのは知ってる?」
「はい、田辺先輩から、彼氏の前でも泣かない気の強い人だとは聞かされました」
「なにそれ、なんか私がゴリラみたいじゃない」
突然の問いかけに慌てて答えると、笹山先輩は「後で田辺くんにお仕置きね」と頬を膨らませた。
「実はね、昔の私は泣き虫だったんだ」
笹山先輩が視線を前に向けて、ゆっくりと語りだした。
笹山先輩によれば、昔は嫌なことや辛いことがあると、一人でコートに残って泣いていたという。
「誰もいないと思って泣いてたら、谷川がいつの間にかコートにいて、私の隣で練習していたの」
最初は嫌がらせかと思ったけど、実際はそうではなかった。谷川先輩は、一人落ち込む笹山先輩を励ます為に、笹山先輩のそばにいたらしい。
「谷川は不器用だから、言葉にして励ますことはなかった。その代わり、谷川は私が泣き止むまで黙々と練習していた。その姿がね、泣く暇があったら練習しろって言ってるように見えたの」
谷川先輩の気遣いに気づいてからは、笹山先輩は泣くことを封印した。なにがあっても動じない谷川先輩の姿を真似て、強くなろうと決めたという。
「同じキャプテンとして、谷川なりのエールだったんだと思う。直接言葉を交わすことはあまりないんだけど、谷川からはたくさんのことを教えてもらったんだ」
「そうなんですね……」
ただの横暴な人かと思ったけど、実際は不器用な性格なりに笹山先輩を支えていたことがわかった。
「だからね、男子バスケ部を告発したことは後悔してるんだ」
笹山先輩の表情が暗く曇る。いくら苦肉の策とはいっても、告発して男子バスケ部を活動停止にしようとしたことを、笹山先輩は後悔しているみたいだった。
そんな姿を見て、私の中に膨らんでいた疑惑は急速に萎んでいった。いくら可能性があるといっても、笹山先輩の暗い表情を見る限り、男子バスケ部を陥れようとしているとは到底思えなかった。
そうなると、可能性に浮上するのは山崎先輩の単独犯説だ。異常といっても過言じゃないくらいに笹山先輩を慕っているみたいだから、笹山先輩の為にと暴走したとしてもおかしくはない。
色んな雑念がごちゃごちゃと頭を過っていく。どれも可能性の枠から出ない以上、どれもが決定打に欠けてぐるぐると頭の中を回っているだけだった。
「ごめんね、引きとめて」
不意に広がった沈黙に居心地の悪さを感じ始めたところで、物思いにふけっていた笹山先輩が我に返ったように小さく呟いた。
「いえ、お話できて楽しかったです」
さりげなく気遣ってくれる笹山先輩に、私は両手を振って素直な気持ちを伝えた。
またねと言葉を残して体育館に戻っていく笹山先輩の背中を見送りながら、なにかが見えそうな気がしながらも、いまだになにも掴めてないモヤモヤ感に、私は何度となくため息をつくしかなかった。
体育館に入ると、ちょうど男子バスケ部が女子バレー部にコートを明け渡しているところだった。おそらく、私が調査に来ることを知った上でのことだろう。その白々しいやりとりに、私は怒りしか感じなかった。
「監査委員会の花菜さん、ですよね?」
離れた場所でぼんやり練習を見ていたところに、やけにたどたどしい声で話しかけられた。
「あ、私、バレー部の副キャプテンをしている、山崎っていいます」
白い体操服姿の山崎先輩が、長身の体を深く曲げて頭を下げてきた。笹山先輩とは反対に、山崎先輩は大人しい感じの雰囲気をまとっている。僅かに緊張の色を滲ませた笑顔からも、思いきって私に声をかけたのがわかった。
「ちょっとだけ、時間いいですか?」
周りを見渡しながら、山崎先輩が体育館の外に出るように促してくる。何事かと思いつつ後ろをついていくと、体育館裏の人気のない場所で山崎先輩は足を止めた。
「た、単刀直入に聞きますね。男子バスケ部は、その、どうなりますか?」
本当に単刀直入な話だったせいで、私は言葉に詰まって口を開くことができなかった。
「ご、ごめんなさい。いきなり過ぎましたね」
私が固まっていると、山崎先輩は慌てふためきながら何度も頭を下げた。その仕草がおかしくて、私は吹き出して笑ってしまった。
「あ、すみません。いきなりで私もびっくりしてしまいました」
私が笑ったことに、目を丸くして固まった山崎先輩に慌てて頭を下げる。山崎先輩もつられてか、再び頭を下げてきた。
「男子バスケ部のことは調査中ですけど、近いうちになんらかの結果は出ると思います」
「そ、そうなんですね。それは、良かったです」
ぎこちない口調で語る山崎先輩が安堵の息を漏らす。一見したらなんともない仕草だったけど、なぜか妙なひっかかりを感じた。
「男子バスケ部の処分が気になりますか?」
「え? あ、いえ、気になるというか」
急に口ごもる山崎先輩だったけど、大きく深呼吸すると同時に、不安そうな表情を一変させて真剣な顔つきを私に向けてきた。
「私、どうしても全国大会に行って、その、笹山さんを試合に出させたいんです」
目を輝かせて語る山崎先輩。その背景には、個人的な事情があるのはすぐにわかった。
山崎先輩は小さい頃から引っ込み思案で、背の高さもコンプレックスになっていた。そのせいで不登校になっていたけど、そんな山崎先輩を無理矢理バレー部に引きずり込んだのが、笹山先輩だという。
「笹山さんのおかげで、私、毎日楽しく過ごせるようになりました。だから、笹山さんに恩返ししたくて」
顔を赤くしながらたどたどしく語る姿から、山崎先輩が笹山先輩を慕っているのが伝わってきた。
「だから、バレー部の為なら、私、なんでもするつもりなんです」
ほっこりした雰囲気に冷水をぶちまけるような一言に、私は息を飲んで山崎先輩を見つめた。
真っ直ぐに私を見つめ返してくる眼差し。その陰に、山崎先輩の並々ならぬ意思があるのがわかった。
――まさか、山崎先輩が?
脳裏に浮かぶ男子バスケ部の部費不正問題。関与を疑われる女子バレー部員は三人。その中の一人に、山崎先輩の名前があったのを思い出した。
「男子バスケ部のこと、ほ、本当に、よろしくお願いします」
再び深く頭を下げてきた山崎先輩に、私はもう笑えなくなっていた。山崎先輩は笹山先輩に深い恩がある。その想いが、凶行に走らせたのではないだろうか。
かける言葉が見つからずに黙っていると、遠くから笹山先輩の怒号が聞こえてきた。
「ご、ごめんなさい、もう行きますね」
笹山先輩に怒鳴られた山崎先輩が、背筋を伸ばして体育館へと戻っていく。突然つきつけられた現実に戸惑っていると、笹山先輩が意味深な笑みを浮かべて私の首に腕を巻きつけてきた。
「二人でなにしてたのかな?」
意地悪く笑いながら、笹山先輩が私を締め上げてくる。私は抵抗しながらも、なんとか当たり障りない言葉を並べ立てた。
「あの子はね、思い込むと激しいんだから」
笹山先輩がため息をつきながら呆れた表情を浮かべた。でも、その柔らかい瞳からは、山崎先輩を気遣っているのがわかった。
「今日、谷川先輩に会ってきました」
呼吸の乱れを整えながら、さりげなく話題を変える。ちょっと強引だったけど、笹山先輩は私の話に食いついてきた。
「谷川、どうだった?」
「最低な人でした」
思い出した瞬間に怒りがこみ上げてきた私は、谷川先輩とのやりとりを愚痴るように笹山先輩に伝えた。
「ま、確かに谷川は人を寄せつけないオーラがあるけど、そんなに悪い奴じゃないんだけどね」
笹山先輩が笑いながら谷川先輩の肩を持つ。その自然な話し方に、笹山先輩が谷川先輩を悪く思っていないことがよくわかった。
「谷川は強面顔で誤解されやすいけど、本当は気が弱い分みんなには優しくて、いいところも一杯あるよ。まあ、不器用な性格だから伝わらないのは仕方ないかな」
「そうなんですか? 私、あまりの身勝手な態度にキレてしまいましたよ」
私が反論すると、笹山先輩は再び笑いながら私の隣に並んで壁に背を預けた。
「私が泣かない女と言われているのは知ってる?」
「はい、田辺先輩から、彼氏の前でも泣かない気の強い人だとは聞かされました」
「なにそれ、なんか私がゴリラみたいじゃない」
突然の問いかけに慌てて答えると、笹山先輩は「後で田辺くんにお仕置きね」と頬を膨らませた。
「実はね、昔の私は泣き虫だったんだ」
笹山先輩が視線を前に向けて、ゆっくりと語りだした。
笹山先輩によれば、昔は嫌なことや辛いことがあると、一人でコートに残って泣いていたという。
「誰もいないと思って泣いてたら、谷川がいつの間にかコートにいて、私の隣で練習していたの」
最初は嫌がらせかと思ったけど、実際はそうではなかった。谷川先輩は、一人落ち込む笹山先輩を励ます為に、笹山先輩のそばにいたらしい。
「谷川は不器用だから、言葉にして励ますことはなかった。その代わり、谷川は私が泣き止むまで黙々と練習していた。その姿がね、泣く暇があったら練習しろって言ってるように見えたの」
谷川先輩の気遣いに気づいてからは、笹山先輩は泣くことを封印した。なにがあっても動じない谷川先輩の姿を真似て、強くなろうと決めたという。
「同じキャプテンとして、谷川なりのエールだったんだと思う。直接言葉を交わすことはあまりないんだけど、谷川からはたくさんのことを教えてもらったんだ」
「そうなんですね……」
ただの横暴な人かと思ったけど、実際は不器用な性格なりに笹山先輩を支えていたことがわかった。
「だからね、男子バスケ部を告発したことは後悔してるんだ」
笹山先輩の表情が暗く曇る。いくら苦肉の策とはいっても、告発して男子バスケ部を活動停止にしようとしたことを、笹山先輩は後悔しているみたいだった。
そんな姿を見て、私の中に膨らんでいた疑惑は急速に萎んでいった。いくら可能性があるといっても、笹山先輩の暗い表情を見る限り、男子バスケ部を陥れようとしているとは到底思えなかった。
そうなると、可能性に浮上するのは山崎先輩の単独犯説だ。異常といっても過言じゃないくらいに笹山先輩を慕っているみたいだから、笹山先輩の為にと暴走したとしてもおかしくはない。
色んな雑念がごちゃごちゃと頭を過っていく。どれも可能性の枠から出ない以上、どれもが決定打に欠けてぐるぐると頭の中を回っているだけだった。
「ごめんね、引きとめて」
不意に広がった沈黙に居心地の悪さを感じ始めたところで、物思いにふけっていた笹山先輩が我に返ったように小さく呟いた。
「いえ、お話できて楽しかったです」
さりげなく気遣ってくれる笹山先輩に、私は両手を振って素直な気持ちを伝えた。
またねと言葉を残して体育館に戻っていく笹山先輩の背中を見送りながら、なにかが見えそうな気がしながらも、いまだになにも掴めてないモヤモヤ感に、私は何度となくため息をつくしかなかった。