放課後、監査委員会活動室へ向かうと、いつも寝ているはずの田辺先輩が真面目な顔で書類とにらめっこしていた。

 その表情を見ていたら、息を飲んだ後は呼吸も忘れて田辺先輩を見つめるしかできなくなってしまう。

 普段はナマケモノだけど、スイッチが入った時の田辺先輩は輝いて見える。

 誰もそんな田辺先輩に気づかないことは残念だけど、こうして田辺先輩の姿を眺めることができるのはある意味私の幸せだった。

「人をジロジロ見て、なにが楽しいんだ?」

 ぼんやりと幸せな時間に浸っていた私に、不審者を見るような目つきで田辺先輩が声をかけてきた。

「あ、いえ、邪魔しちゃ悪いと思いまして」

 慌て言い訳すると、田辺先輩は鼻で笑って手にしていた書類を差し出してきた。

「そういえば、笹山先輩って美人ですよね?」

「それがどうした?」

「笹山先輩、田辺先輩を褒めてましたよ。やる時はやるって。よかったですね。やっぱり、笹山先輩が美人だから依頼を受けたんですか?」

 笹山先輩とのやりとりを思い出し、軽い嫉妬を込めて田辺先輩にぶつけてみた。

「あ? よせよ、彼氏がいる奴に褒められても嬉しくないんだけど」

「え、笹山先輩って彼氏がいるんですか?」

「誰だったか忘れたけどな。それに、笹山は美人だけど泣かない女って言われるくらいに気が強い奴だ。今度の怪我の件、彼氏の前でも泣かなかったらしいしな。だから、できれば関わり合いたくない。それに、依頼を受けたのはなにかとうるさい風紀委員会が絡んでるからだ、って、なんの話をしてんだよ」

 珍しく饒舌だった田辺先輩が、我に返って私の頭にチョップをかましてくる。笹山先輩に彼氏がいたことになぜか嬉しくなった私は、適当に笑って誤魔化した。

 気を取り直して受け取った書類に目を落とす。内容は、部費盗難に関する風紀委員会の調査結果だった。

 事件が発生したのは一週間前。体育の授業で着替える為、男子バスケ部キャプテンの谷川先輩は隣のクラスに移動した。谷川先輩のクラスは女子が着替えに使用していて、この間は女子しか谷川先輩のクラスにはいなかった。

 体育の授業が終わり、クラスに戻った谷川先輩が部費の徴収状況を先生に報告する為に調べようとしたところ、部費を入れていた袋がないことに気づく。

 探しても見つからないことから、盗難されたと判断して風紀委員会に届け出た。

 けど、風紀委員会が調査した直後に部費の入った袋がなぜか風紀委員会活動室で見つかったことから、事件は盗難事件として扱うべきかどうか保留になっていた。

 さらに、問題はその後にあった。風紀委員会に申告された被害額は四万二千円。けど、見つかった部費の金額は八万四千円。多すぎる金額を不審に思った風紀委員会が調べたところ、規則で定められた上限額を超過していることが判明した。

 おかげで、男子バスケ部は規則違反の不正行為をしているという疑惑を持たれることになったところで、風紀委員会の調査は終了していた。


 一連の調査結果を、頭で噛み砕きながら整理していく。風紀委員会のいうとおり、盗難事件として扱うには違和感が拭えなかった。

 まず、盗難された部費が風紀委員会の活動室で見つかった点。多分、犯人が置いたと思うけど、わざわざ風紀委員会の活動室に置いた理由がよくわからない。

 次に、盗難事件なのになぜか中身が二倍になっていたという点。最初から被害額を嘘ついた可能性もあるけど、仮に嘘でなかったとしたら、犯人はわざわざ部費を二倍にして風紀委員会の活動室に置いたことになる。

「なんだか奇妙な事件ですね」

 調査結果を読み終えた私は、感想を田辺先輩に伝えた。田辺先輩も私と同じ感想みたいで、頭をかきながら低く唸っていた。

「部費に関しては、男子バスケ部員にランダムで話を聞いてみたけど、不正に徴収しているようには思えなかった。もちろん、嘘をついている可能性もあるけど、なんというか、濡れ衣を着せられて迷惑しているというのが男子バスケ部員たちの本音にしか思えなかった」

「だとしたら、部費は四万二千円が本当で、犯人が二倍にしたことになりますよね?」

「しかも、わざわざ風紀委員会の活動室に置いたというのも変だ。けど、部費の中身を偽った上で発覚させる為と考えたらつじつまが合う」

「てことは――」

「誰かが男子バスケ部を陥れようとしていると考えたら、全て納得がいく」

 田辺先輩の言葉に、背筋を嫌な空気が流れていった。田辺先輩によれば、今回の事件は盗難目的ではなく、誰かが部費を二倍にして不正に徴収しているように細工し、男子バスケ部を不正疑惑で陥れようとしている可能性が高いという。

「ただ、最初から不正に徴収されていて、それを明るみにしようとしてやった可能性もある。けど、男子バスケ部員たちとのやりとりから、その可能性は今のところ低いと考えてる」

 田辺先輩が言い切るということは、まず間違いないということだ。となると、犯人は男子バスケ部に対してなんらかの恨みがあるということになる。

「男子バスケ部が仮に活動停止になったとして、得をするのは?」

「それは――」

 田辺先輩の問いに、頭に浮かんだのは柔らかい笑みを浮かべた笹山先輩と、体育館の使用制限問題だった。

「体育の着替えの為、谷川のクラスは女子の更衣室になった。その時のメンバーに、笹山を含めて女子バレー部の部員が三人いたことがわかっている」

 田辺先輩から突きつけられた言葉に、締め付けられるような痛みと息苦しさが胸に広がった。

 笹山先輩の明るい人柄に、一気に影が色濃く伸びていく。状況からして、笹山先輩たちが男子バスケ部を陥れようとしているとしか思えなかった。

「不正疑惑が出たところで、ウチに告発してきた。最初にウチに告発せずに風紀委員会を間に挟めたのは正解だな。仮に水増しした部費をウチに届けても、多分、返して終わりだっただろう」

「ちょっと、そこは笑う問題じゃないですよ」

 自虐的に笑いだした田辺先輩に、私は怒りを込めてツッコミを入れた。

「ただ、他にひっかかる部分もある。一概に女子バレー部の仕業と決めつけるにはまだ早い。けど、これはただの不正告発じゃないことは頭に入れておいてくれ」

 田辺先輩に念を押され、私の落胆はさらに加速した。いい人のイメージが笹山先輩には強かっただけに、男子バスケ部を陥れようとしている可能性があることは、ショックでしかなかった。

「なんだか悲しいよな?」

 話は終わりとばかりにソファーに寝転んだ田辺先輩が、両手を頭の後ろで組んで弱く呟いた。

「谷川と笹山は、小学校から同じ学校なんだ。同じタイミングで、谷川はバスケを、笹山はバレーを始めている。二人とも、小学校も中学校もキャプテンだった」

「じゃあ、幼なじみなんですか?」

「いや、特別仲が良かったわけじゃない。会えば話はする程度だ。けど、二人とも放課後の同じ時間を体育館という場所で過ごしてきた者同士だ。互いにキャプテンという立場もあるし、意識しなくても共に過ごしてきた時間の積み重ねが二人にはあったと思う」

 田辺先輩の言葉に、笹山先輩の顔が浮かぶ。男子バスケ部がどうなるか尋ねてきた時の笹山先輩の表情は、谷川先輩を心配している表情だった。

「体育館の使用制限問題なんてなかったら、二人はいがみ合うこともなかった。二人とも、チームを全国大会に導く責務を背負ったキャプテンだ。さらに、笹山には全国大会に行かなければいけない事情がある。そうしたものが二人の関係を狂わせたのかと思うと、なんだか寂しくなるよな」

 田辺先輩は話終えると、静かに目を閉じた。なんだかんだ言って二人のことを案じていることがわかり、仕方なく私は田辺先輩が寝てしまうことを見逃すことにした。

 同じ青春を同じ体育館で過ごした二人のキャプテン。

 谷川先輩と笹山先輩が背負ってしまったものを考えると、不正告発の裏に見えるものの大きさに胸が締めつけられるしかなかった。