翌日、実行委員会が置かれている教室を訪れることにした。もちろん、田辺先輩は引退しているから同行していない。おかげで、ひとりで調査することに対する不安とかすかな恐怖で緊張にのみ込まれそうになっていた。

「失礼します」

 考えても仕方がないので、勢いのままドアを開けると、噂以上の美しさをまとった桜木先輩が出迎えてくれた。

「花菜ちゃん、でいいよね? 私、堅苦しいのは嫌いだから」

 にっこり微笑んだ桜木先輩が、緊張する私に優しく声をかけてくる。一見したらちょっと近づき難い雰囲気だけど、ざっくばらんな感じがしたことで、一気に桜木先輩に好感を抱いてしまった。

 ――この人が田辺先輩と隠れてつきあってる人なんだ

 改めて観察してみて、私はため息しか出なくなった。さらさらの長い黒髪に大きめの瞳、知性とかわいらしさを兼ね備えたメガネに小ぶりの桜色の唇。すらりとした体躯なのにギャップがありすぎるプロポーションには、同じ女性として憧れしかなかった。

 ――こんなの、勝てるわけないじゃない

 圧倒的なレベルの差を前に、もう笑う以外に反応することができなかった。事情はわからないけど、桜木先輩をめぐって三角関係になっていたというのもわからなくはなかった。

「あれ? 君は確か監査委員会の人だよね?」

 カラカラと車いすの音と共に現れたのは、春山先輩だった。春山先輩は、中学のときに事故がきっかけで車いすに頼るようになったと聞いている。どんな人かと心配していたけど、春山先輩も桜木先輩と同じように明るく人懐っこい性格の人みたいで、ようやく緊張の糸が解けてほっとすることができた。

「はい、私は倉本花菜といいます」

 ふんわりとした雰囲気をまとうふたりに、ようやく笑みを作って頭を下げる。話に聞いていた刺々しい雰囲気はなさそうだと安心したのもつかの間、いきなり机に物を置く音ともに背の高い人影が現れて一気に空気が緊張するのがわかった。

「彼は下田君。ちょっととっつきにくいけど、花菜ちゃんを食べたりしないから安心して」

 春山先輩の微妙な紹介に笑みが固まる中、紹介を受けた下田先輩は私を無視したまま作業を続けていた。短髪に彫りの深い顔立ちは、むすっとしていなければ爽やかなスボーツ青年に見えてもおかしくなかった。

 ――これはちょっと厄介なことになるかも

 明らかに異質なオーラを放つ下田先輩に、桜木先輩も春山先輩も困ったように笑っている。それはつまり、二人が相当下田先輩に気をつかっている証拠だった。

「それで、花菜ちゃんの用件はなにかな?」

 固まって言葉を発しない私にも気をつかってか、桜木先輩がさり気なく今日の訪問理由を聞いてきた。

「特別な用があったわけではないんですけど、一応卒業式の準備が進んでいるか確認に来ました」

 調査依頼のことは伏せて、当たり障りのない言葉を選びながら質問に返答する。いきなり監査委員会が来るわけだから、実行委員会としてはあまりいい気持ちはしていないはず。だとしたら、私にできることはさり気なく様子をうかがうことぐらいだった。

「そういうことなんだ。てっきり、予算を使ってお菓子パーティをしたことがバレたんじゃないかってひやひやしてたんだよ」

 小さく舌を出しながら、桜木先輩が冗談とも本気ともわからないことを口にした。私としては、それが事実だったとしとも扱う気はなかったから、適当に笑って受け流した。

「ま、準備の方は順調すぎるくらい順調かな。といっても大したことはしてないんだけどね」

「それならよかったです。もしなにかあったら私にもお手伝いさせてください」

 あっけらかんと語る桜木先輩からは、なにひとつ問題を抱えている雰囲気は感じられなかった。そうなると気になるのは、私と一切目をあわそうともしない下田先輩のことだった。

「あの、下田先輩っていつもあんな感じなんですか?」

 資料を取りに行くと告げて出ていった下田さんを見送ったあと、私はさり気なく下田さんのことを聞いてみた。

「そうね、明るい性格とは正直言えないかな。でも、だからといってぶっきらぼうってわけでもないし、なんていうか、胸に秘めた熱い想いがあってひとり黙々と頑張るタイプかな」

「確かに、社交的とは言えないけど、僕は下田君のことは嫌いじゃない。いつもさり気なく僕のことをフォローしてくれるし、野球部では口には出さないけどみんな下田君を頼りにしてたからね。そういう意味では、表で輝くというよりも縁の下の力持ちというのがぴったりくるかな」

 桜木先輩との会話に割って入ってきた春山先輩までもが、下田先輩のことを力説してくる。その口調から、春山先輩がいかに下田先輩に対して感謝と尊敬の念を抱いているかが伝わってきた。

「ただ、下田君は東京に行ってしまうんだよね」

「へ?」

 不意にこぼした桜木先輩の沈んだ声に、私は変な声をもらしてしまった。

「野球部の大半は地元の大学に進学して野球を続けるんだけど、下田君だけは東京の大学に行くことが決まってるの。しかも、大好きだった野球も辞めるみたい」

 急に影が射した横顔から漏れてくる桜木先輩の声には、どことなく悲壮感が滲んでいた。

「あんなことがなかったら……、いや、その話はもう終わったことかな」

 桜木先輩に返す形で口を開いた春山先輩だったけど、その内容は最後まで語られることはなかった。

 ――あんなことって、きっと亡くなった山口先輩のことなんだろうな

 最初は、どことなく固い空気だったとはいえ、桜木先輩も春山先輩も明るく和気あいあいとしているように見えた。でも、今のふたりを見る限り、ふたりも山口先輩のことをまだどこか引きずっているようにも感じられた。

「すみません、突然おじゃましたのに、色々とお話していただいてありがとうございました」

 場の熱が引くのを感じた私は、それとなくお礼を告げて調査を打ち切った。本当なら、桜木先輩から田辺先輩との関係を聞きたかったけど、この状況では田辺先輩のことを切り出すのは無理そうだった。

 ――なんかありそうな雰囲気満載っ感じだよね

 匿名の調査依頼で始まった今回の件、このとき私は調査依頼を含めて実行委員会にはなにか言葉にならない陰が潜んでいるような気がした。