その日の夜、俺は貼り紙にあったデパートSに向かい、午後八時前に店内へ入った。張り紙によれば、ここに鈴原が現れるらしいけど、人もまばらな店内にはまだ鈴原の姿は見当たらなかった。

 とりあえず店内を一周し、フードコートに移動しようとしたまさにその時だった。

 食料品売り場の出入口から入店してきた女性の姿を見て、俺は買ってきたジュースをその場に落としそうになった。

 目についたのは、金髪の長いツインテールと頬にペイントされた日の丸の国旗で、よく見ると顔全体に派手な化粧が施してあった。将校をイメージしたような紺色の制服は、軍隊の威厳というよりは、アニメに出てくるミリタリーファッションの明るさを全面に出している感じだった。

 その格好に目を奪われた瞬間、俺は固まってその場から動けなくなってしまった。

 ――鈴原?

 一瞬重なった瞳は、昼間見た鈴原の瞳と瓜二つだった。慌て柱の陰に隠れて確かめてみたけど、やはり鈴原で間違いなかった。

――女子は化粧をすると変わるっていうが、これは変身と言ったほうがいいな

 買い物籠を手にし、白のマイバックを肩にかけて歩く後ろ姿には、女王のイメージは欠片も残っていなかった。

「監査委員長がこんなとこでなにやってるんだ?」

 不意に野太い声と同時に、肩に手を置かれた。ふり向くと、いかついニキビ面の高橋が薄気味悪い笑みを浮かべていた。

 今の俺は高橋と同じ黒の上下ジャージ姿だが、高橋と違って一応は変装のつもりでサングラスをかけている。しかし、高橋は一発で俺だと見抜いて声をかけてきたようだ。

 無意味だったと思いながらサングラスを外し、高橋と向かい合う。鼓動の乱れをさとられぬように、静かに長い息を繰り返した。

 高橋は新聞部の部長であり、生徒のスキャンダルネタを面白おかしく書き立てることから、学校内では有名な嫌われ者でもある。

 その高橋率いる新聞部を活動停止にしたのが俺だから、当然、高橋からは恨みを買われていた。顔を合わせる度に嫌味や恨み言を口にし、活動再開の許可前提である、監査委員会から生徒会への上申書を強く求めてくる厄介者でもあった。

「姉がここで働いているから、余り物をもらいに来ただけだ」

 意識を集中させながら、当たり障りのない言葉を選んでいく。姉が働いているのは事実だけど、余り物などもらえるはずはなかった。嘘は多少の真実を混ぜて突き通すというのは、皮肉にも高橋のポリシーだった。

「それより、あの子を見てみろよ」

 話題を変える為、俺は食料品売り場を歩く鈴原を顎で指した。

「あ? あんなコスプレなんか珍しくないだろ。ここは田舎でも、隣街まで行けばコスプレしてる奴なんて普通にいるだろうが」

 高橋は鈴原を見ながら、吐き捨てるように呟いた。ギラついた瞳から、興味の色が消えていく。やはり高橋は、あれが鈴原だということに気づいていないようだ。

 高橋が気づかないのも仕方ないだろう。俺も鈴原の瞳が里沙の瞳と同じだったから見抜けただけで、同じ瞳でなかったら気づかないまま家に帰っていたはずだ。

「高橋はなにをしているんだ?」

 興味を失った高橋が上申書の話を持ち出そうとしてきたため、俺は慌て話題を変えた。

「誰かさんのおかげですることがなくなったから、時々、婆さんの手伝いをしてるんだ」

 高橋が目を向けた先に、買い物を終えて袋詰めをしている老婆の姿があった。

「じゃ、もう行くけど、なにか面白いことがあったら教えてくれよ」

 袋詰めを終えて店の外へと向かう老婆を一瞥して、高橋が皮肉めいた笑みを浮かべて去っていった。面白いことがあってもお前だけには言わないと心の中で毒づきながら、高橋の背中を見送った。

 ――さてと

 一度は外したサングラスをかけ直し、俺は買い物籠を手にして食料品売り場へ入った。

 鈴原は、奥の通路に立ち止まって談笑していた。ちょうど売り場の棚が死角になっているせいで相手は見えないけど、話している雰囲気から親しい相手だろうと予測できた。

 その様子から、昔、このデパートで話題になっていた二人組のコスプレイヤーを思い出した。神出鬼没で、かつ、正体不明を売りにしていた二人組について、当時はその正体を巡って色んな噂が広まっていた。俺は興味がなかったから関わらなかったけど、ちょっとしたファンもいたという話は、そんな俺でも聞いたことがあった。

 ただ、数年前に巨大なショッピングセンターが進出してきたおかげで、大半の中高生がショッピングセンターへ流れていってしまい、その話題はいつの間にか消えていた。

 当時はわからなかったけど、二人組のうち一人はひょっとしたら鈴原かもしれないと思えた。だとしたら、談笑している相手はもう一人のコスプレイヤーということになるだろう。

 そんな思案を巡らせているうちに、鈴原が再び歩き始めた。その背中を追って広い通路に出ると、俺の予想が外れるように、鈴原は一人で歩いていた。

 その瞬間、奇妙な違和感に包まれた。鈴原を追いかけて行く間に、すれ違った人はいなかった。更に、鈴原が話をしていた場所の付近に視線を巡らせてみたけど、話相手となるような人影もなかった。

――誰と話していたんだ?

 客は疎らにいるものの、該当するような人物はいなかった。けど、薄気味悪い空気が背中に流れ落ちたとき、話相手だったと思われる人物から、突然、『そこの君』と軽快な声をかけられた。

 驚いてふりかえったけど、やはり人影はなかった。なにが起きているのか一瞬わからなくなったけど、再び話し声が聞こえたところで正体が判明した。

 声の正体は、販促用のモニターに映る若手芸人だった。飲料コーナーの一角にある商品を宣伝する為に設置されたモニターの中で、商品説明を一方的に繰り返すだけの若手芸人こそが、鈴原の話相手だった。

 そんな馬鹿な話があるわけがないと、寒気を感じながら頭をふった。しかし、それ以外に可能性は見当たらなかった。

 視界の先で、再び鈴原が立ち止まって談笑し始めるのが見えた。疑心で浮わつく足取りのまま、一気に距離を詰めて答えを確認した。

 結果、俺の考えは間違っていなかった。畜産コーナーに設置された販促用のモニターの前で、鈴原は本当に会話しているかのように、口に手をあてて笑っていた。

 さっきよりも強い寒気が、そっと背中を滑り落ちていった。意を決し、鈴原のそばを歩いてみる。鈴原は俺の存在など目に映らないようで、いきいきとした表情のままモニターの中にいる人物と会話らしきものに興じていた。

――なにか変だな

 一方的に商品説明を繰り返すモニターと会話していること自体が変だけど、感じる違和感は鈴原の話している姿にあった。楽しそうに笑ったかと思うと、突然涙ぐんだりと、情緒不安定な姿からして会話が成り立っていないように見えた。

 とはいえ、その姿に俺は懐かしさを感じた。胸の奥に閉じ込めている里沙も、俺と話をしていた時は同じ状況になっていたからだ。情緒不安定なまま一方的に話していながら、本人にはその自覚が全くといっていいほどなかった。

 そんな里沙と今の鈴原の姿は、形は違うけど同じように見えた。

 しばらくして会話らしきものが終わり、それ以外は不審な行動もないまま、鈴原はレジへ向かっていった。

 どうやら肝心の万引きについてはガセネタだったと判断しかけた時、急に鈴原が方向を変えて文房具コーナーへ歩いていった。

 そこから先は、まるで夢を見ている感じだった。ボールペンを手にした鈴原は、俺がまばたきをする一瞬の間に、そのままボールペンをバックの中に入れていった。

 目を凝らしていないと気づかない程の流れる手つきで、鈴原は次々に商品をバックに忍ばせていく。その行動は、欲しい物を盗んでいるのではなく、むしろ、盗むこと自体が目的であり、盗むものはなんでもいいといった感じに見えた。しかも、手慣れた様子からして日常的に行っているのは間違いなさそうだった。

 手当たり次第の万引きを終えると、鈴原は籠の中にある商品だけを精算していく。その様子は、なにもかもが里沙と同じだった。

 欲しい物が買えずに仕方なく盗むというわけではなく、ただ、盗むという行為に溺れるように万引きを繰り返していた里沙と、今の鈴原は全く同じだった。

 目の奥に痛みが走り、軽い目眩に襲われた。ふらつく体に力を入れて、店を後にする鈴原の後ろ姿を追いかけた。

 薄く広がった雲の切れ間から月明かりが照らす中、町を横断する川辺の道を濃くなった影を引きずりながら鈴原が歩いていく。やがて大きな橋に差しかかると、鈴原は土手を下りていった。

 欄干の陰に隠れ、俺は鈴原の様子を凝視した。土手を下りた鈴原は、マイバックの中から盗品を取り出すと、次々に川の中へ投げ捨てていった。

 月が薄く漂う水面に、小さな音と波紋が広がっていく。やがて、全ての盗品を捨て終わった鈴原は、両手で顔を覆い隠しながら崩れるようにその場に座り込んだ。

 声をかけることができなかった。いや、声を出すことができなかった。おそらく、里沙と同じように泣いているはずの鈴原を前にして、俺は一歩も動けなかった。

 女王のアキレス――。

 それは、万引きの陰に潜む、鈴原の闇そのものに思えた。