夏の大会がいよいよ目前に迫ったタイミングで、陸上部にとって最悪な事態が発生した。それは、活動停止中の新聞部がもたらしたもので、あろうことか、島田先輩のことをパワハラだとして学校側に訴えのが始まりだった。
当然ながら、この訴えは生徒間にもあっという間に広がっていき、今や陸上部内のごたごたは生徒たちのホットな話題にまでなっていた。
活動停止中の新聞部の訴えとはいえ、さすがに動かざるをえなくなったのか、放課後には生徒会長が直々に田辺先輩のもとを訪れていた。なにを話しているかはよくわからないけど、睡眠を妨害されたこともあってか、田辺先輩の表情は全く冴えていなかった。
長い話し合いが終わり、生徒会長が退室するのを見て、私はすぐに田辺先輩の対面に腰をおろした。
「生徒会長の話はどうでしたか?」
焦る気持ちをおさえきれず、単刀直入に田辺先輩に尋ねると、田辺先輩は右手をふって小さくため息をついた。
「早急に結果を報告するようにとの一点張りだった。あいつにしたら、陸上部の事情よりも火消しが優先ってことらしい」
忌々しくドアの外を見つめながら、田辺先輩が珍しく悪態をつく。生徒会長にしたら、任期中に余計なトラブルはごめんということらしい。このまま長引いて生徒会の名前に傷がつくことを恐れ、田辺先輩に圧力をかけたみたいだった。
「それにしてもですよ、いくらなんでも新聞部の行為は許せないと思います。活動停止中なのに、わざわざ学校側に訴えるなんて」
「なんでバレたんだ?」
憤りを口にしていたところで、田辺先輩が急に割り込んできた。
「え? それは――」
「今回の件は、赤坂が部員に相談せず一人でうちに訴えた案件だ。それに、部員たちの間で話はまとまっていたはず。だから、活動停止中の新聞部が知るよしはないはずなのに、どうやってかぎついたんだ?」
「それもそうですね。考えられるとしたら――」
結論を言いかけて、私は言葉に詰まった。今の状況だと、新聞部にリークしたのは赤坂先輩以外に考えられないからだ。
「いくら津山のためとはいえ、これはやりすぎだ。下手したら、島田をあらぬ疑いで退部に追い込むことになりかねないからな」
「でも、赤坂先輩にしたら、そうまでしてでも津山先輩にアンカーを務めてもらいたいということになりますね」
赤坂先輩の泣き顔がふと浮かび上がり、私は弱く言葉を吐いた。赤坂先輩の暴走は許されないことかもしれないけど、その動機が明らかに好きな人のためだとわかるからこそ、一方的に非難することもできなかった。
私の言葉に、田辺先輩が頭を抱えながら下を向いた。田辺先輩も、赤坂先輩の気持ちがわかるからこそ、今後のことを悩んでいるように見えた。
「田辺、なんだか陸上部がもめてるみたいだぞ」
急にドアが開き、戻ってきた生徒会長が開口一番にとんでもないことを口にした。反射的に窓際に移動してグランドに目を向けると、陸上部のメンバーが輪になってなにかを話し合っているように見えた。
「とにかく、これ以上事が大きくならないように頼むよ」
隣に立つ田辺先輩が小さく鼻でため息ついたところで、生徒会長が静かに告げる。口調は柔らかかったけど、猶予はないことを暗に告げている気配があった。
「とりあえず行ってみるか」
サラサラの髪をかきながら、田辺先輩が面倒くさげに吐き捨てる。けど、その目にはいつもの眠たげな雰囲気は一切感じられなかった。
○ ○ ○
夏本番を迎えたグランドには、日が落ち始めたとはいえまだまだ息苦しい熱気が漂っていた。けど、その一角にいる陸上部のメンバーからは、まるでお通夜のような悲壮感が漂っていた。
「で、なにがあったんだ?」
田辺先輩の登場に苦笑いを浮かべる島田先輩に、田辺先輩は単刀直入に攻め込んでいった。
「別に、と言いたいところなんだけど、まあ見ての通りだ」
困ったとばかりに手をふる島田先輩の横には、顔を伏せて涙する赤坂先輩の姿があった。どうやら部員の中で赤坂先輩をとがめる声が上がり、それを島田先輩と津山先輩がなだめていたものの、結局埒があかなくなったみたいだった。
「なあ田辺、むしのいい話かもしれないけどさ、今回の件は誰も悪くないんだ。赤坂も考えがあってやったことだし、そもそも俺が優柔不断でリレーの順番を決めきれずに直前になって変更したのが原因なんだよ。だから、もし処分が必要というのであれば、俺が責任もって部を辞めるよ」
島田先輩の迷いのない言葉に、部員たちにざわめきが広がっていく。特に赤坂先輩をかばうように立っていた津山先輩の表情は、はっきりと青ざめていた。
「そうか。だったら、アンカーは津山がやるんだよな?」
「え? あ、いや、そこはまだ決まってないけど」
あっさり島田先輩の提案を受け入れた田辺先輩がさり気なくついた言葉に、島田先輩が変な動揺をみせ始めた。
「なに言ってんだよ、お前が抜けたら当初の予定通り津山がアンカーを務めればいいじゃないか。今度の大会が津山のラストランなんだろ? みんなでその花道を作るつもりだったんだろ?」
「まあ、そうなんだけど」
田辺先輩の問いに、島田先輩の返答はあまりにも歯切れが悪かった。
――どういうこと? 島田先輩は西城学園に勝つためにアンカーを務めるんだったよね?
島田先輩の様子から、一気に違和感が膨らんでいく。仮に島田先輩が抜けるとしたら、アンカーを津山先輩が務めることに問題はないはず。むしろ、当初の予定通りラストランの花道として走ってもらうのが一番しっくりくるはずなのに、なぜか島田先輩はそれを否定し続けていた。
当然、その矛盾を田辺先輩が見逃すはずはなかった。いつの間にか胸がじんとくるような鋭い目つきになった田辺先輩が、小さく「そういうことか」と呟いた。
「島田、確かに今回の件で悪い奴はいないように見える。けどな、たった一人、そうはいかない奴がいる。そうだよな? 津山」
田辺先輩の冷たい言葉が響き、その視線がいきなり津山先輩へ向けられた。突然名指しされた津山先輩は、動揺したみたいに固まってしまった。
「今回の件、全てはお前の気の弱さが原因だってことはわかってるよな?」
「それは――」
「そのおかげで、島田は悪者になりかけたんだ。ただ、他のメンバーがお前と島田の気持ちに気づいたから、事は大きくならなかった。けど、赤坂だけは島田の気持ちに気づかなかったから、うちや新聞部に頼るはめになってしまったんだ。なあ島田、結局はそういうことなんだろ?」
不意にふられた島田先輩は、一瞬驚いた表情を浮かべたものの、なにかをさとったみたいに苦笑いを浮かべて頭をかきはじめた。
「津山、みんなお前のラストランのために色々とやってるんだ。なのに、主役のお前がそんな気弱でどうするんだよ!」
突然、語気を強めて津山先輩に詰め寄る田辺先輩に、陸上部のみんなは呆気にとられて固まってしまった。私も、なにが起きているのかいまいちピンとこないこともあって、ただ田辺先輩の言動を見届ける以外になかった。
「田辺君、ごめん」
「馬鹿、俺に謝る必要なんかない。いいか、今お前に必要なのは、自分で決めたラストランをどう走るか覚悟することじゃないのか?」
問い詰める口調から一転して優しく語りかける田辺先輩の言葉に、動揺していた津山先輩の表情が一気に引き締められていった。
「わかってる。今度の大会は僕のラストランだから、覚悟を決めて走るよ」
大きく頷きながら、はっきりとした口調で返した津山先輩。結局、問題がどう解決されたのかわからなかったけど、津山先輩の言葉に田辺先輩は満足そうに頷き返していた。
当然ながら、この訴えは生徒間にもあっという間に広がっていき、今や陸上部内のごたごたは生徒たちのホットな話題にまでなっていた。
活動停止中の新聞部の訴えとはいえ、さすがに動かざるをえなくなったのか、放課後には生徒会長が直々に田辺先輩のもとを訪れていた。なにを話しているかはよくわからないけど、睡眠を妨害されたこともあってか、田辺先輩の表情は全く冴えていなかった。
長い話し合いが終わり、生徒会長が退室するのを見て、私はすぐに田辺先輩の対面に腰をおろした。
「生徒会長の話はどうでしたか?」
焦る気持ちをおさえきれず、単刀直入に田辺先輩に尋ねると、田辺先輩は右手をふって小さくため息をついた。
「早急に結果を報告するようにとの一点張りだった。あいつにしたら、陸上部の事情よりも火消しが優先ってことらしい」
忌々しくドアの外を見つめながら、田辺先輩が珍しく悪態をつく。生徒会長にしたら、任期中に余計なトラブルはごめんということらしい。このまま長引いて生徒会の名前に傷がつくことを恐れ、田辺先輩に圧力をかけたみたいだった。
「それにしてもですよ、いくらなんでも新聞部の行為は許せないと思います。活動停止中なのに、わざわざ学校側に訴えるなんて」
「なんでバレたんだ?」
憤りを口にしていたところで、田辺先輩が急に割り込んできた。
「え? それは――」
「今回の件は、赤坂が部員に相談せず一人でうちに訴えた案件だ。それに、部員たちの間で話はまとまっていたはず。だから、活動停止中の新聞部が知るよしはないはずなのに、どうやってかぎついたんだ?」
「それもそうですね。考えられるとしたら――」
結論を言いかけて、私は言葉に詰まった。今の状況だと、新聞部にリークしたのは赤坂先輩以外に考えられないからだ。
「いくら津山のためとはいえ、これはやりすぎだ。下手したら、島田をあらぬ疑いで退部に追い込むことになりかねないからな」
「でも、赤坂先輩にしたら、そうまでしてでも津山先輩にアンカーを務めてもらいたいということになりますね」
赤坂先輩の泣き顔がふと浮かび上がり、私は弱く言葉を吐いた。赤坂先輩の暴走は許されないことかもしれないけど、その動機が明らかに好きな人のためだとわかるからこそ、一方的に非難することもできなかった。
私の言葉に、田辺先輩が頭を抱えながら下を向いた。田辺先輩も、赤坂先輩の気持ちがわかるからこそ、今後のことを悩んでいるように見えた。
「田辺、なんだか陸上部がもめてるみたいだぞ」
急にドアが開き、戻ってきた生徒会長が開口一番にとんでもないことを口にした。反射的に窓際に移動してグランドに目を向けると、陸上部のメンバーが輪になってなにかを話し合っているように見えた。
「とにかく、これ以上事が大きくならないように頼むよ」
隣に立つ田辺先輩が小さく鼻でため息ついたところで、生徒会長が静かに告げる。口調は柔らかかったけど、猶予はないことを暗に告げている気配があった。
「とりあえず行ってみるか」
サラサラの髪をかきながら、田辺先輩が面倒くさげに吐き捨てる。けど、その目にはいつもの眠たげな雰囲気は一切感じられなかった。
○ ○ ○
夏本番を迎えたグランドには、日が落ち始めたとはいえまだまだ息苦しい熱気が漂っていた。けど、その一角にいる陸上部のメンバーからは、まるでお通夜のような悲壮感が漂っていた。
「で、なにがあったんだ?」
田辺先輩の登場に苦笑いを浮かべる島田先輩に、田辺先輩は単刀直入に攻め込んでいった。
「別に、と言いたいところなんだけど、まあ見ての通りだ」
困ったとばかりに手をふる島田先輩の横には、顔を伏せて涙する赤坂先輩の姿があった。どうやら部員の中で赤坂先輩をとがめる声が上がり、それを島田先輩と津山先輩がなだめていたものの、結局埒があかなくなったみたいだった。
「なあ田辺、むしのいい話かもしれないけどさ、今回の件は誰も悪くないんだ。赤坂も考えがあってやったことだし、そもそも俺が優柔不断でリレーの順番を決めきれずに直前になって変更したのが原因なんだよ。だから、もし処分が必要というのであれば、俺が責任もって部を辞めるよ」
島田先輩の迷いのない言葉に、部員たちにざわめきが広がっていく。特に赤坂先輩をかばうように立っていた津山先輩の表情は、はっきりと青ざめていた。
「そうか。だったら、アンカーは津山がやるんだよな?」
「え? あ、いや、そこはまだ決まってないけど」
あっさり島田先輩の提案を受け入れた田辺先輩がさり気なくついた言葉に、島田先輩が変な動揺をみせ始めた。
「なに言ってんだよ、お前が抜けたら当初の予定通り津山がアンカーを務めればいいじゃないか。今度の大会が津山のラストランなんだろ? みんなでその花道を作るつもりだったんだろ?」
「まあ、そうなんだけど」
田辺先輩の問いに、島田先輩の返答はあまりにも歯切れが悪かった。
――どういうこと? 島田先輩は西城学園に勝つためにアンカーを務めるんだったよね?
島田先輩の様子から、一気に違和感が膨らんでいく。仮に島田先輩が抜けるとしたら、アンカーを津山先輩が務めることに問題はないはず。むしろ、当初の予定通りラストランの花道として走ってもらうのが一番しっくりくるはずなのに、なぜか島田先輩はそれを否定し続けていた。
当然、その矛盾を田辺先輩が見逃すはずはなかった。いつの間にか胸がじんとくるような鋭い目つきになった田辺先輩が、小さく「そういうことか」と呟いた。
「島田、確かに今回の件で悪い奴はいないように見える。けどな、たった一人、そうはいかない奴がいる。そうだよな? 津山」
田辺先輩の冷たい言葉が響き、その視線がいきなり津山先輩へ向けられた。突然名指しされた津山先輩は、動揺したみたいに固まってしまった。
「今回の件、全てはお前の気の弱さが原因だってことはわかってるよな?」
「それは――」
「そのおかげで、島田は悪者になりかけたんだ。ただ、他のメンバーがお前と島田の気持ちに気づいたから、事は大きくならなかった。けど、赤坂だけは島田の気持ちに気づかなかったから、うちや新聞部に頼るはめになってしまったんだ。なあ島田、結局はそういうことなんだろ?」
不意にふられた島田先輩は、一瞬驚いた表情を浮かべたものの、なにかをさとったみたいに苦笑いを浮かべて頭をかきはじめた。
「津山、みんなお前のラストランのために色々とやってるんだ。なのに、主役のお前がそんな気弱でどうするんだよ!」
突然、語気を強めて津山先輩に詰め寄る田辺先輩に、陸上部のみんなは呆気にとられて固まってしまった。私も、なにが起きているのかいまいちピンとこないこともあって、ただ田辺先輩の言動を見届ける以外になかった。
「田辺君、ごめん」
「馬鹿、俺に謝る必要なんかない。いいか、今お前に必要なのは、自分で決めたラストランをどう走るか覚悟することじゃないのか?」
問い詰める口調から一転して優しく語りかける田辺先輩の言葉に、動揺していた津山先輩の表情が一気に引き締められていった。
「わかってる。今度の大会は僕のラストランだから、覚悟を決めて走るよ」
大きく頷きながら、はっきりとした口調で返した津山先輩。結局、問題がどう解決されたのかわからなかったけど、津山先輩の言葉に田辺先輩は満足そうに頷き返していた。