さっそく、依頼を受けたことを田辺先輩に報告するために監査委員会活動室へと向かう。事件の内容は大したことではないから田辺先輩の活躍があるかはわからないけど、なにもしないよりマシだと言い聞かせて開きっぱなしのドアから中に入った。
「暑っ!」
中に入った瞬間、息苦しくなりそうな熱気が襲ってきた。よく見ると全ての窓が開いていて、吹き込む風がさらに部屋の熱気をかき回していた。
「かー、なー」
何事かと思っていたところに、地獄の底からの呻き声のような重い声が響き始める。恐る恐る確認すると、阿修羅と化した田辺先輩が怪しい光を両目から発してあぐらをかいていた。
「あーー!!」
すっかりエアコンのことを忘れていた私は、無意識に握っていたリモコンが汗で濡れるのを感じた。ほんの少ししたら戻るはずだったけど、赤坂先輩と話をしていたせいで監査委員会活動室は地獄に変わっていたらしい。
「リー、モー、コー、ンー」
まるで呪いをかけるように呟きながら手を差し出してくる田辺先輩に、王に献上するがごとくリモコンを渡す。てっきり説教されるかと思ったけど、意外にも田辺先輩は無言のままだった。
――やばっ、死ぬかと思った
田辺先輩の阿修羅オーラが消えていくのを感じ、ほっと胸をなでおろす。冷気が漂い始めたところで窓とドアを閉め、完全に田辺先輩が無気力になったのを確認して依頼の話を切り出した。
「その話、本当に引き受けたのか?」
「はい、困ってるみたいでしたから助けになればと思いまして」
「だとしたら、軽率だったな」
興味を示さないと予想していたけど、田辺先輩は意外にも食いついてきた。しかも、どういうわけか依頼を受けたことを本気でまずいと思っているみたいだった。
「どうしてですか?」
「花菜にはちゃんと教えてなかったかもしれないけど、監査委員会には自由裁量ができないケースがある」
「自由裁量?」
「まあ平たく言えば、好き勝手に処分していい権限のことだ。それが行使できないケースがあって、その一つにハラスメント系のトラブルがある」
田辺先輩によると、部活動に関する問題については大半が監査委員会の自由裁量に委ねられているけど、特定の個人に依存するような問題については、例外規定が設けられているという。
その代表的なものに、パワハラやセクハラといった問題があり、こうしたケースは部活動というよりも個人に焦点が置かれるため、厳格な処分が義務づけられているらしい。
「ということはですよ、今回の依頼が島田先輩のパワハラだと認定することになったら、処分はどうなるんですか?」
「処分は基本的に一つしかない。ハラスメント系は、認定された時点で一発アウトだ。つまり、島田はパワハラを認定されたら強制退部となる」
強制退部という言葉が、やけに胸にずしりと響いてきた。どのクラブも三年生にとっては夏の大会が最後となるから、その目前で強制退部となれば、そこに残る禍根は大きいものになるだろう。
「さらに言えば、ハラスメントを認定しなかった場合の調査報告も厳格な手続きになるんだ。万が一かばい立てしたなんて認められたら、花菜が監査委員会を強制解任させられることになる」
わずかに表情を曇らせた田辺先輩が、とんでもないことを口にした。強制解任となれば、当然監査委員会にはいられないから、田辺先輩との唯一のつながりが途切れてしまうことになる。
――私、とんでもない事案を引き受けた?
軽い気持ちで引き受けだけなのに、事態は一瞬で重い内容へと変化した。赤坂先輩の話を聞く限り、島田先輩のパワハラは五分五分、いや、八割近くは認定されるだろう。
そうなると、その認定を私がすることによって、私は島田先輩の最後の大会への出場権を奪ってしまうことになる。だからといって下手にかばい立てすれば、今度は私が窮地に追い込まれることになるかもしれなかった。
「まあ、そうはさせないけどな」
「え?」
一瞬、顔をそむけた田辺先輩がぽつりとこぼす。その言葉の意味が遅れて理解につながって瞬間、顔が火傷するくらいに熱くなっていった。
――ちょっと、今の言葉は私を強制解任させないってことよね?
田辺先輩の言葉を脳内で高速反芻しながら、思いがけない田辺先輩の気づかいにすっかり体は夏に負けないくらい熱くなっていった。
「それにしても、よりにもよってあの二人が問題になるとはな」
私の頭がお花畑になるのをよそに、田辺先輩が小さくため息をつく。その表情には、なにか思いつめる憂いが滲んでいた。
「あの二人って、津山先輩と島田先輩のことですよね? 二人にはなにかあるんですか?」
「津山と島田は、小学生の時からコンビを組む仲なんだよ。西城学園は中高一貫だから、中学から打倒西城を目指している仲間でありライバルでもあるんだ」
「そ、そうなんですね。でも、でしたらなぜ今回トラブルになったんでしょうか? 仲の良い二人なら話し合いすれば解決しそうですし、他のメンバーも納得しそうなんですけど」
「それは、島田の性格によるかな。島田は、短距離走では絶対王者と呼ばれ、県内では敵なしの実力者だ。だからこそ、個人戦だけでなく団体戦でも勝ちに徹したいんだろ」
田辺先輩がぶっきらぼうに説明しながら、今度は壮大にため息をついた。その様子から、田辺先輩は島田先輩の横暴さに苛立ちを感じているようにも見えた。
「島田先輩の実力はわかりましたけど、津山先輩はどうなんですか?」
「ああ、津山に関しては、記録なき二番走者って言われている。練習では島田に並ぶ実力を発揮するらしいけど、気弱な性格が災いしてか、本番では全く実力を発揮できないらしい」
田辺先輩によれば、津山先輩は小学生の時からそれなりの実力者だったらしい。けど、成長するにして気弱な性格が走りに影響し、今では目立った記録も出せていないという。
「いずれにしても、今度の大会が津山のラストランだ。できれば、嫌な思いで走ってほしくはないよな」
憂いを帯びた瞳を窓の外に向け、田辺先輩が小さくこぼす。その言葉は、やけに重く私の胸にのしかかってきた。
「暑っ!」
中に入った瞬間、息苦しくなりそうな熱気が襲ってきた。よく見ると全ての窓が開いていて、吹き込む風がさらに部屋の熱気をかき回していた。
「かー、なー」
何事かと思っていたところに、地獄の底からの呻き声のような重い声が響き始める。恐る恐る確認すると、阿修羅と化した田辺先輩が怪しい光を両目から発してあぐらをかいていた。
「あーー!!」
すっかりエアコンのことを忘れていた私は、無意識に握っていたリモコンが汗で濡れるのを感じた。ほんの少ししたら戻るはずだったけど、赤坂先輩と話をしていたせいで監査委員会活動室は地獄に変わっていたらしい。
「リー、モー、コー、ンー」
まるで呪いをかけるように呟きながら手を差し出してくる田辺先輩に、王に献上するがごとくリモコンを渡す。てっきり説教されるかと思ったけど、意外にも田辺先輩は無言のままだった。
――やばっ、死ぬかと思った
田辺先輩の阿修羅オーラが消えていくのを感じ、ほっと胸をなでおろす。冷気が漂い始めたところで窓とドアを閉め、完全に田辺先輩が無気力になったのを確認して依頼の話を切り出した。
「その話、本当に引き受けたのか?」
「はい、困ってるみたいでしたから助けになればと思いまして」
「だとしたら、軽率だったな」
興味を示さないと予想していたけど、田辺先輩は意外にも食いついてきた。しかも、どういうわけか依頼を受けたことを本気でまずいと思っているみたいだった。
「どうしてですか?」
「花菜にはちゃんと教えてなかったかもしれないけど、監査委員会には自由裁量ができないケースがある」
「自由裁量?」
「まあ平たく言えば、好き勝手に処分していい権限のことだ。それが行使できないケースがあって、その一つにハラスメント系のトラブルがある」
田辺先輩によると、部活動に関する問題については大半が監査委員会の自由裁量に委ねられているけど、特定の個人に依存するような問題については、例外規定が設けられているという。
その代表的なものに、パワハラやセクハラといった問題があり、こうしたケースは部活動というよりも個人に焦点が置かれるため、厳格な処分が義務づけられているらしい。
「ということはですよ、今回の依頼が島田先輩のパワハラだと認定することになったら、処分はどうなるんですか?」
「処分は基本的に一つしかない。ハラスメント系は、認定された時点で一発アウトだ。つまり、島田はパワハラを認定されたら強制退部となる」
強制退部という言葉が、やけに胸にずしりと響いてきた。どのクラブも三年生にとっては夏の大会が最後となるから、その目前で強制退部となれば、そこに残る禍根は大きいものになるだろう。
「さらに言えば、ハラスメントを認定しなかった場合の調査報告も厳格な手続きになるんだ。万が一かばい立てしたなんて認められたら、花菜が監査委員会を強制解任させられることになる」
わずかに表情を曇らせた田辺先輩が、とんでもないことを口にした。強制解任となれば、当然監査委員会にはいられないから、田辺先輩との唯一のつながりが途切れてしまうことになる。
――私、とんでもない事案を引き受けた?
軽い気持ちで引き受けだけなのに、事態は一瞬で重い内容へと変化した。赤坂先輩の話を聞く限り、島田先輩のパワハラは五分五分、いや、八割近くは認定されるだろう。
そうなると、その認定を私がすることによって、私は島田先輩の最後の大会への出場権を奪ってしまうことになる。だからといって下手にかばい立てすれば、今度は私が窮地に追い込まれることになるかもしれなかった。
「まあ、そうはさせないけどな」
「え?」
一瞬、顔をそむけた田辺先輩がぽつりとこぼす。その言葉の意味が遅れて理解につながって瞬間、顔が火傷するくらいに熱くなっていった。
――ちょっと、今の言葉は私を強制解任させないってことよね?
田辺先輩の言葉を脳内で高速反芻しながら、思いがけない田辺先輩の気づかいにすっかり体は夏に負けないくらい熱くなっていった。
「それにしても、よりにもよってあの二人が問題になるとはな」
私の頭がお花畑になるのをよそに、田辺先輩が小さくため息をつく。その表情には、なにか思いつめる憂いが滲んでいた。
「あの二人って、津山先輩と島田先輩のことですよね? 二人にはなにかあるんですか?」
「津山と島田は、小学生の時からコンビを組む仲なんだよ。西城学園は中高一貫だから、中学から打倒西城を目指している仲間でありライバルでもあるんだ」
「そ、そうなんですね。でも、でしたらなぜ今回トラブルになったんでしょうか? 仲の良い二人なら話し合いすれば解決しそうですし、他のメンバーも納得しそうなんですけど」
「それは、島田の性格によるかな。島田は、短距離走では絶対王者と呼ばれ、県内では敵なしの実力者だ。だからこそ、個人戦だけでなく団体戦でも勝ちに徹したいんだろ」
田辺先輩がぶっきらぼうに説明しながら、今度は壮大にため息をついた。その様子から、田辺先輩は島田先輩の横暴さに苛立ちを感じているようにも見えた。
「島田先輩の実力はわかりましたけど、津山先輩はどうなんですか?」
「ああ、津山に関しては、記録なき二番走者って言われている。練習では島田に並ぶ実力を発揮するらしいけど、気弱な性格が災いしてか、本番では全く実力を発揮できないらしい」
田辺先輩によれば、津山先輩は小学生の時からそれなりの実力者だったらしい。けど、成長するにして気弱な性格が走りに影響し、今では目立った記録も出せていないという。
「いずれにしても、今度の大会が津山のラストランだ。できれば、嫌な思いで走ってほしくはないよな」
憂いを帯びた瞳を窓の外に向け、田辺先輩が小さくこぼす。その言葉は、やけに重く私の胸にのしかかってきた。