学園を駆け巡った監査委員会の処分も、翌日には全てが取り下げられた。さらに、男子バスケ部と女子バレー部に関する全ての問題に対して、一切を不問とする調査報告書を正式に公開した。

 おかけで、盛り上がっていた騒ぎも一気に熱が冷めることになり、最後は、いつもの幽霊委員会の仕事だったと馬鹿にされて終わりを迎えることになった。

 そんな非難もどこ吹く風で、田辺先輩は最後の通達を男子バスケ部と女子バレー部に告げている。今後は、互いのコートの使用時間を監査委員会に報告することを義務付けすることとし、仮にルールを破った場合は問答無用で活動停止処分にすることになった。

 さすがの男子バスケ部も、監査委員会の管理下にあっては無茶もできないだろうから、お互い仲良くコートを使用していくことになるだろう。

 全ての通達を伝え終わると、田辺先輩はあくびをしながらコートに背を向けた。その背中を追っていた私は、体育館の入り口で田辺先輩に声をかけた。

「田辺先輩、これで事件は解決なんですか?」

「まあな。今後はあいつらもいがみ合うことはないはずだ」

 田辺先輩の返事に、私は一呼吸置いて抱えている疑問をぶつけることにした。

「すみません、私には事件の内容がよくわかりません。田辺先輩、結局今回の事件はなんだったんですか?」

 目の前を理解できないまま過ぎていった今回の事件。田辺先輩だけは真相がわかったみたいだけど、私にはなにがどうなっているのか理解できなかった。

「まず、部費の不正疑惑についてはなにもなかった。男子バスケ部が不正に徴収していた事実もないし、女子バレー部が男子バスケ部を陥れようとしたわけでもない」

 田辺先輩は面倒くさそうに頭をかいていたけど、説明してくれる気になったのか、壁に背を預けて両腕を組んで語り出した。

「じゃあ、誰が関与していたんですか?」

「誰も関与はしていない。なぜなら、部費の不正疑惑は谷川が作り出したでっち上げだったんだからな」

 さりげなく語る田辺先輩の言葉に、私は驚きの声を上げて慌て口をふさいだ。

 田辺先輩によれば、男子バスケ部の部費が盗まれて発覚した一連の事件は、全て谷川先輩の自演だった。部費が盗まれたようにしたのも、田辺先輩の目論見通り風紀委員会を動かす為で、谷川先輩の狙いは監査委員会に男子バスケ部を活動停止にしてもらうことだったという。

「なんでそんなことをしたんですか?」

「コート使用ルールのせいだろうな。谷川は、女子バレー部の練習時間を確保する為に、あえてバスケ部の活動を停止しようとしたんだ」

 谷川先輩がバスケ部を活動停止にしようとした一番の理由は、ルールを守らない部員の存在だった。キャプテンとして部員をまとめる必要がありながら、谷川先輩は本来の性格が邪魔をしてなかなか部員に強く言えなかったらしい。

「女子バレー部には全国大会に出場しなければいけない理由がある。それは、隣にいた谷川が一番わかっていたはずだ。けど、自分のせいで女子バレー部に迷惑をかける事態になり、谷川も思い悩んで今回の事件を起こしたんだろう」

「でも、いくらなんでも部費を誤魔化したぐらいで上手くいきますか? 部員に聞き取りすれば、いくらなんでもおかしいと思いますよ」

「まあな。だから、谷川は芝居を演じたんだ。人柄の良さで知られる谷川が、横暴な態度に出ることで疑惑を大きくしようとしたんじゃないのか」

 田辺先輩の言葉で、谷川先輩の姿が脳裏に甦る。確かに田辺先輩や笹山先輩の評価とは裏腹に、谷川先輩の態度は異常なくらいに横暴だった。

「でも、それだけで活動停止になると思うでしょうか?」

「わからない。ただ、谷川は賭けに出たんだと思う。この学園は、生徒のことは生徒が決めるだろ? 例え白であっても黒と決めることもできるんだ。だから、ウチが谷川を毛嫌いして黒と認定してくれることに賭けたんだと思う」

 田辺先輩の眼差しに、僅かな悲しみの光が広がっていく。それは、無謀とも思える賭けに出た谷川先輩を想っているようにも見えた。

「谷川先輩の行動はわかりました。けど、本当にバスケ部を活動停止にしようと思うでしょうか。だって、全国を目指す強豪チームですよ。いくらなんでも――」

「谷川は、笹山が泣いているのを見たんだ」

 更に深まっていく悲しみの色に比例するように、田辺先輩の声が低くなっていった。

「谷川と笹山が言い争っていた時、谷川は笹山が泣いていたと言った。ほら、笹山は人前では決して泣かない女として有名だろ? その笹山が泣いていたと谷川は言った。それで全てがつながったんだ。谷川は、笹山の涙を見ていたからこそ、こんな無謀とも言える賭けに出たんだろう」

 田辺先輩の推理によると、笹山先輩は怪我をした辛さを誰にも見せずにいた。けど、谷川先輩に対してだけは、笹山先輩は悲しみと苦しみを晒すように涙を見せた。

 その理由は、二人が積み重ねてきた年月によって築いた絆にあった。同じ青春の時間を体育館で過ごしてきた二人。互いにキャプテンとして、ライバルでありながらも支え合っていた。

 その信頼関係が、谷川先輩に弱音を見せるきっかけになった。これまでも、笹山先輩は一人コートで泣いてきた。ただ、そばにはいつも物言わず支えてくれる谷川先輩がいた。

 誰もいない体育館のコート。笹山先輩は、谷川先輩が相手だったからこそ、キャプテンでありながら高校最後の試合に出られなくなった悲しみを見せたのだろうということだった。

 その涙を見た谷川先輩は、女子バレー部が全国大会に出場できれば笹山先輩にも出場のチャンスがあるとわかり、密かに女子バレー部を応援していた。

 けど、そんな二人に訪れた悲劇。突然の体育館の使用制限は、谷川先輩のチームをまとめきれない弱さを露呈させることになった。

 最初は、谷川先輩もコートの使用ルールに納得していたし、守るつもりだった。だから、コートの使用ルールに合意した。けど、谷川先輩の思惑とは裏腹に、部員たちはルールを守ることなく練習を続けていた。

 その状況が、女子バレー部だけでなく谷川先輩をも苦しめた。なんとか女子バレー部の練習時間を確保してやりたいと思いながらも、全国を目指す部員たちに強くは言えなかった。

 だから、谷川先輩は無謀な賭けに出た。例えそれが非難される内容だったとしても、女子バレー部の練習時間を確保する為に、さらには笹山先輩の試合出場のチャンスの為に。

 そこには、私には想像できない谷川先輩の苦悩があっただろうし、バスケ部を犠牲にすることに対する葛藤もあったはず。

「それだけじゃない。谷川は盲目になっていたんだ」

「盲目、ですか?」

「ああ。恋は盲目って言うだろ」

「ええ!! それって――」

 再び驚いて声を上げた私を、田辺先輩が睨みつけてきた。

「でも、笹山先輩には彼氏が――」

「そういうこと。谷川は、届かぬ想いの代わりに、せめて自ら犠牲になって女子バレー部の練習時間を増やそうとした。要するに、涙を見せた片想いの相手の為に、谷川は盲目になってしまっていたんだよ。まったく、不器用な奴なんだよあいつは」

 田辺先輩が吐き捨てるように呟いた。けど、その口調には、谷川先輩を想う田辺先輩の温もりが感じられた。

「結局、二人とも互いを想いながらボタンを掛け違えただけだったんだ。体育館の使用制限がなかったら、二人とも互いに競いながら全国大会を目指す仲なんだからな」

 田辺先輩がようやくいたずらっぽく笑った。その笑顔を見て、田辺先輩は最初から二人を応援していることが伝わってきた。

「でも、谷川先輩が自演しているなんて、よくわかりましたね?」

「部費がちょうど二倍になっていたことがちょっと気になっていたんだ。いくらなんでも、短時間で二倍にするには中身を知っていないと無理じゃないのかって思ったんだ」

 田辺先輩が最初に気になると言っていたのは、部費の金額よりもきっちり二倍になっていた点とのことだった。確かに、言われてみると不自然な感じがしなくもなかった。

「それと、笹山が暴行を働いた時、谷川は俺の手を掴んでバレー部がどうなるか聞いてきた。俺が冷たく言い返すと、谷川はあっさり手を離した。その時、不思議に感じたんだ。本当に処分を求めているなら、もっと食い下がっていいはずなのに、やけにあっさり引き下がったからな」

「そういえば、男子バスケ部が騒いでた時、谷川先輩だけは黙ってました」

 脳裏に騒ぎの光景が甦る。男子バスケ部が女子バレー部を責めていた時、谷川先輩は無言だった。

「怖かったんだろうな。まさか、本当に女子バレー部が活動停止になりはしないか、内心ハラハラしていたはずだ」

 そんな谷川先輩の様子を不審に思った田辺先輩は、あえて女子バレー部を活動停止にするふりをした。

 そうすることで、谷川先輩の本心を探ることにした。田辺先輩が言ってた揺さぶるということの本当の意味は、谷川先輩がどう反応するかを確かめることだった。

「まんまと田辺先輩の策に、谷川先輩はひっかかったわけなんですね」

「どんなに偽ったとしても、本心は隠しきれないものさ」

 田辺先輩が鼻で笑った後、再び谷川先輩に視線を向ける。その眼差しには、田辺先輩の優しさが込められてるように見えた。

――だから、不問にしたんだ

 男子バスケ部と女子バレー部を目を細めて見つめる田辺先輩の横顔を見て、田辺先輩なりの思いやりがあったことに気づいた。

 谷川先輩のやったことも、笹山先輩の暴行事件も、普通なら許されることじゃない。然るべき処分を受けて当然だろう。

 けど、田辺先輩は丸く収めることで決着をつけた。それは、ひょっとしたら田辺先輩なりの二人へのエールなのかもしれない。

 さらに、コートの使用について監査委員会が正式に介入することになった。それも、チームをまとめきれないお人よしの谷川先輩の悩みを、少しでも解決してあげる為なんだろう。

 おかけで、田辺先輩は繰り上げ委員長と再び陰口を叩かれることになった。

 でも、田辺先輩は陰口叩かれることよりも、苦悩する谷川先輩に寄り添うことを優先した。

 田辺先輩にとって、事件の真相解明は大切じゃなかった。大切なのは、そこにいる人たちの想いだったというわけだ。

 またしても、田辺先輩のすごさをみんなに知らせることはできなかった。でも、それでもいいと思えたし、やっぱり私はそんな田辺先輩が好きなんだって改めて思った。

 ふと気づくと、山崎先輩が私に頭を下げていた。

 そんな山崎先輩を一喝した笹山先輩が、私の視線に気づいてウインクしてきた。

 私は頬を緩めながら頭を下げて応える。このまま、女子バレー部が全国大会に行ってくれたらと強く願った。

 女子バレー部と入れ替わりにコートへ姿を現した男子バスケ部。その真ん中で、不器用でお人よしなキャプテンがかけ声を上げ始めた。

 体育館のコートに響くドリブルの音。

 叶わぬ想いを振り切るように走り続けるその背中を見つめながら、私は誤解していたことを謝りつつ、そっと声援を送った。

――谷川先輩、ファイトです!


―キャプテンの盲目 了―