3
廃棄物サイトの外周フェンスを抜けた4人は、その後はまっすぐ西に延びる幅の狭い汚水路に沿って進んだ。その白くよどんだ水路は少し先で、南北方向に走る別の大きな水路に流れこんで終わっていた。
4人はそこから進路を南にとる。事前に入手したタカキの情報では、この水路沿いに3キロほど南下した地点で、単線の旧鉄道軌道が水路をまたぐ形で走っている地点に達する、はずだった。そこが午前中のひとまずの小ゴールとなるはずだったが――
「くそ、草が予想以上だ。」
4人の身長と同程度の高さまで伸びる、黄色い花を大量に咲かせた大量の茎植物が水路沿いのすべてをびっしりと壁のように埋めており、そこを歩くためにはまず植物を切り倒して道を確保しなければならなかった。
先週ホームセンターで購入した小振りなグラスカッターをひたすらに振るい、タカキが目の前の草を立て続けに切っていく。が、その歩みはあまりにもスローだ。この水路沿いを南進する間にも、太陽はみるみる高度をあげ、少し前まであったはずの夜明けの涼やかな風も、いつのまにか消えていた。
はやくも汗だくになったタカキが、グリーンの柄のグラスカッターをハルオミに手渡した。しかしそのハルオミも、ものの十分程度であえなく息を切らしはじめ、そのあとはサキがその作業を引き継いだ。ラクロスゲームの部活である程度まで体を鍛えてきたサキは、ハルオミよりも格段に要領よく疲労せずに道を作る作業をこなしていく。
ザッ、ザッ。
カッターを振るうたび、たしかな感触がそこにある。黄色の花弁が大量に飛散し、その花弁にまじって、名前も知らぬ無数の羽虫たちが小さな羽音を響かせてどこかに飛び去っていく。香ばしい草の液の匂いがあたりの空気を満たす。不思議となつかしいその匂いを肺の奥に吸い込みながら、一定のリズムで、サキがそこに道をつけていく。ゆっくりと、しかし着実に。
「おお。サキはあれだな。森の農夫とかそういう職業でも十分やっていけそうだよな」
タカキが後ろで口笛を吹いた。
「ハルオミよりはるかにサマになってるぜ。なんてか、姿勢ってのか腰つきってのか、なんか動作が素人っぽくないんだよな」
「タカキはそれ、腰つきとか、意味わかってて言ってる?」
サキがあきれて笑いながら、タカキに声を返した。その間にも動作は止めない。新たに刈られた草たちが、サキの右側下方の白くよどんだ水面に大量に舞い落ちてゆく。
「なんかでも、これ、楽しい。なんかのトレーニングみたい。修行っぽい感じ?」
「ははは。なんの修行だよ、それ?」タカキが笑ってサキの背中に言葉を投げた。
しばらくしてサキが少し疲れると、今度はまたタカキに作業をスイッチした。そしてそのあとはまた、サキにスイッチ。ここではハルオミは、あまり戦力としてはカウントできず、そしてそれはシロヤナギについても同じだった。黙々と道を開拓しつづける二人のうしろで、シロヤナギは退屈そうに腕を組み、周囲に広がる荒れ地のどこか一点を、少し眠たげな表情でじっと見つめている。
しかしその困難な歩行路開拓のミッションもやがては終わりを迎えた。
目的とする廃線軌道が4人の視界の先に入ってきた。ただしそれは当初の到達予定時刻から50分以上も後のことで、タカキもサキも、この序盤にしてすでに相当、汗をかいて消耗していたのだが。
「よし。ここからだな」
入念な水分補給をようやく終えたタカキが自分自身を鼓舞するようにつぶやいて、ひたすら北西方向へとのびる二つのレールの間に立って線路の先をみやった。午前の日差しはすでに「苛烈」の域に達しつつあり、線路の先にはゆらめく陽炎(かげろう)が立ちのぼっている。スリーパーとも呼ばれるコンクリート製の枕木はところどころ欠落し、茶褐色の石のバラストには草が生い茂り、ここから見える二本のレールの大部分は草の下に隠れて視界に捉えることはできない。最後の列車がここを通過してから何十年、あるいはそれ以上の年月が経過したことはおそらく間違いないと思われた。が、それだけの年月をへても、夏の草原を貫くたしかな1本の道としての鉄道軌道の基礎構造は、しっかりとまだ原形をとどめているようだ。
サキは進行方向にむかって左側のレールの上に片足をのせ、その硬い感触を確かめるように視線を下に向けている。ハルオミとシロヤナギはタカキの右側に肩をならべ、ひたすらに続いていくその果てしない軌跡をじっと無言で見つめている。その上に広がる夏の空は明確な光に満ちあふれ、ところどころ、ホワイトのペイントブラシで今描いたばかりのような輪郭のはっきりした夏雲が、視界の左から右へとゆっくりと滑っていく。
「ここからは線路上をほぼ直線に約9キロ」
タカキが視線を北西の地平に固定したままで言った。
「ひとまずそこを歩き切ったところが次の小ゴールだな。そこが――」
「たしかそこが、その先に広がる病民区の南端の地点、だね?」
とシロヤナギが言った。おそらく今、出発前の行程の打ち合わせのときの会話を、自分の脳内で再生しているのだろう。
「念のため言っとくと、行かないって手も、まだ今の時点では残ってるぜ?」
「行かない?」「?」
ハルオミとシロヤナギがタカキの顔を見返した。
「ああ。やっぱりやめて、今日はここらで適当にピクニックを楽しんで、適当な場所でキャンプして。まるまる数日をイージーな初心者モードのここの原っぱで遊んで終わり。っていうのも、今の時点では選べるってこと。それも俺としては決して悪くねー夏の思い出作りに――」
「バカな。底なしの愚問だ、それは」
タカキの言葉を途中でさえぎってシロヤナギが苦笑し、やれやれと首を左右にふった。
「もう黙りたまえ。その選択肢は忘れろ。思い出づくり? そんな言葉は古井戸の底にでも沈めておけ。それよりも、行こう。今。そのためにわたしは。いや、わたしたちはここまで苦労してやってきたのだろう? 海を見よう。どこまでも歩け。わたしたちはまだ若い。夏の時間は、無限にここから伸びている。行かないという選択肢は、今ここにない」
「ふ、そう言うだろうと予想はしてた。わかってるよ。念のため、いちおう、礼儀として訊いてみただけだ」
タカキが目を閉じて小さな笑いを漏らし、それから背中のアーミーバッグを右の肩の側に傾けて背負いなおした。
いま四人は横一列に線路をふさぐ形でそこに立ち、それぞれの視線を、線路が地平の緑に溶け込むかなたの地点に同時に向けて固定した。風が立ち、周囲に広がる緑の草原を大きくざわつかせた。
「じゃ、行こうぜ。」
風が去ったとき、静かにタカキが口をひらく。
「行こう。」とハルオミ。
「うん、」とサキ。
シロヤナギは言葉は発せずに、ただ首を左に少し傾けて皮肉っぽく微笑した。
廃棄物サイトの外周フェンスを抜けた4人は、その後はまっすぐ西に延びる幅の狭い汚水路に沿って進んだ。その白くよどんだ水路は少し先で、南北方向に走る別の大きな水路に流れこんで終わっていた。
4人はそこから進路を南にとる。事前に入手したタカキの情報では、この水路沿いに3キロほど南下した地点で、単線の旧鉄道軌道が水路をまたぐ形で走っている地点に達する、はずだった。そこが午前中のひとまずの小ゴールとなるはずだったが――
「くそ、草が予想以上だ。」
4人の身長と同程度の高さまで伸びる、黄色い花を大量に咲かせた大量の茎植物が水路沿いのすべてをびっしりと壁のように埋めており、そこを歩くためにはまず植物を切り倒して道を確保しなければならなかった。
先週ホームセンターで購入した小振りなグラスカッターをひたすらに振るい、タカキが目の前の草を立て続けに切っていく。が、その歩みはあまりにもスローだ。この水路沿いを南進する間にも、太陽はみるみる高度をあげ、少し前まであったはずの夜明けの涼やかな風も、いつのまにか消えていた。
はやくも汗だくになったタカキが、グリーンの柄のグラスカッターをハルオミに手渡した。しかしそのハルオミも、ものの十分程度であえなく息を切らしはじめ、そのあとはサキがその作業を引き継いだ。ラクロスゲームの部活である程度まで体を鍛えてきたサキは、ハルオミよりも格段に要領よく疲労せずに道を作る作業をこなしていく。
ザッ、ザッ。
カッターを振るうたび、たしかな感触がそこにある。黄色の花弁が大量に飛散し、その花弁にまじって、名前も知らぬ無数の羽虫たちが小さな羽音を響かせてどこかに飛び去っていく。香ばしい草の液の匂いがあたりの空気を満たす。不思議となつかしいその匂いを肺の奥に吸い込みながら、一定のリズムで、サキがそこに道をつけていく。ゆっくりと、しかし着実に。
「おお。サキはあれだな。森の農夫とかそういう職業でも十分やっていけそうだよな」
タカキが後ろで口笛を吹いた。
「ハルオミよりはるかにサマになってるぜ。なんてか、姿勢ってのか腰つきってのか、なんか動作が素人っぽくないんだよな」
「タカキはそれ、腰つきとか、意味わかってて言ってる?」
サキがあきれて笑いながら、タカキに声を返した。その間にも動作は止めない。新たに刈られた草たちが、サキの右側下方の白くよどんだ水面に大量に舞い落ちてゆく。
「なんかでも、これ、楽しい。なんかのトレーニングみたい。修行っぽい感じ?」
「ははは。なんの修行だよ、それ?」タカキが笑ってサキの背中に言葉を投げた。
しばらくしてサキが少し疲れると、今度はまたタカキに作業をスイッチした。そしてそのあとはまた、サキにスイッチ。ここではハルオミは、あまり戦力としてはカウントできず、そしてそれはシロヤナギについても同じだった。黙々と道を開拓しつづける二人のうしろで、シロヤナギは退屈そうに腕を組み、周囲に広がる荒れ地のどこか一点を、少し眠たげな表情でじっと見つめている。
しかしその困難な歩行路開拓のミッションもやがては終わりを迎えた。
目的とする廃線軌道が4人の視界の先に入ってきた。ただしそれは当初の到達予定時刻から50分以上も後のことで、タカキもサキも、この序盤にしてすでに相当、汗をかいて消耗していたのだが。
「よし。ここからだな」
入念な水分補給をようやく終えたタカキが自分自身を鼓舞するようにつぶやいて、ひたすら北西方向へとのびる二つのレールの間に立って線路の先をみやった。午前の日差しはすでに「苛烈」の域に達しつつあり、線路の先にはゆらめく陽炎(かげろう)が立ちのぼっている。スリーパーとも呼ばれるコンクリート製の枕木はところどころ欠落し、茶褐色の石のバラストには草が生い茂り、ここから見える二本のレールの大部分は草の下に隠れて視界に捉えることはできない。最後の列車がここを通過してから何十年、あるいはそれ以上の年月が経過したことはおそらく間違いないと思われた。が、それだけの年月をへても、夏の草原を貫くたしかな1本の道としての鉄道軌道の基礎構造は、しっかりとまだ原形をとどめているようだ。
サキは進行方向にむかって左側のレールの上に片足をのせ、その硬い感触を確かめるように視線を下に向けている。ハルオミとシロヤナギはタカキの右側に肩をならべ、ひたすらに続いていくその果てしない軌跡をじっと無言で見つめている。その上に広がる夏の空は明確な光に満ちあふれ、ところどころ、ホワイトのペイントブラシで今描いたばかりのような輪郭のはっきりした夏雲が、視界の左から右へとゆっくりと滑っていく。
「ここからは線路上をほぼ直線に約9キロ」
タカキが視線を北西の地平に固定したままで言った。
「ひとまずそこを歩き切ったところが次の小ゴールだな。そこが――」
「たしかそこが、その先に広がる病民区の南端の地点、だね?」
とシロヤナギが言った。おそらく今、出発前の行程の打ち合わせのときの会話を、自分の脳内で再生しているのだろう。
「念のため言っとくと、行かないって手も、まだ今の時点では残ってるぜ?」
「行かない?」「?」
ハルオミとシロヤナギがタカキの顔を見返した。
「ああ。やっぱりやめて、今日はここらで適当にピクニックを楽しんで、適当な場所でキャンプして。まるまる数日をイージーな初心者モードのここの原っぱで遊んで終わり。っていうのも、今の時点では選べるってこと。それも俺としては決して悪くねー夏の思い出作りに――」
「バカな。底なしの愚問だ、それは」
タカキの言葉を途中でさえぎってシロヤナギが苦笑し、やれやれと首を左右にふった。
「もう黙りたまえ。その選択肢は忘れろ。思い出づくり? そんな言葉は古井戸の底にでも沈めておけ。それよりも、行こう。今。そのためにわたしは。いや、わたしたちはここまで苦労してやってきたのだろう? 海を見よう。どこまでも歩け。わたしたちはまだ若い。夏の時間は、無限にここから伸びている。行かないという選択肢は、今ここにない」
「ふ、そう言うだろうと予想はしてた。わかってるよ。念のため、いちおう、礼儀として訊いてみただけだ」
タカキが目を閉じて小さな笑いを漏らし、それから背中のアーミーバッグを右の肩の側に傾けて背負いなおした。
いま四人は横一列に線路をふさぐ形でそこに立ち、それぞれの視線を、線路が地平の緑に溶け込むかなたの地点に同時に向けて固定した。風が立ち、周囲に広がる緑の草原を大きくざわつかせた。
「じゃ、行こうぜ。」
風が去ったとき、静かにタカキが口をひらく。
「行こう。」とハルオミ。
「うん、」とサキ。
シロヤナギは言葉は発せずに、ただ首を左に少し傾けて皮肉っぽく微笑した。