「ホイップクリームシロップのラズベリータルト?」
 真昼の光降る双光学院/中央カフェテリアの中に、やや疑わしそうなタカキの声が響いた。午前の講習を終えた学生たちでそれなりに込み合っていが、満席というほどでもない。食器の触れる音、女子学生らの高い談笑があちこちで響く。
「明らかに名前からしてカロリー高そう。おまえいまチョコのクレープ食ったばかりだろ? 太るぜ?」
 タカキはテーブル上に左手の肘をつき、いささかうんざりした表情で右側のチェアのシロヤナギをにらむ。その同じ左手の指で、眼鏡の位置をムダに上下させることで内心の苛立ちを表している。
「愚問だね。わたしのボディの85%は糖質で出来ている。日中の糖分補給は必須さ」
 シロヤナギ・ルカは涼しい顔でタカキの疑念をスルーする。パール系統のネイルカラーで固めた長い爪の先でセンサーテーブルをタッチして、追加のオーダーを厨房に飛ばす。
『1200クレジットです。承認?』
 カラー表示がテーブル上に浮き上がる。シロヤナギはそれを二秒ほど無表情にながめてから指先でタップ。追加オーダーを確定させる。
「おまえなあ。糖質85って、そりゃもはや人間じゃないだろ」
「おお。今ごろ認識した? わたしは通常の人間の範疇におさまらないことは君以外の人類はもうみんな知っていることだ」
「いや、ってか、それはどうでもいいんだが。計画の話は、こんな昼間の人のいっぱいのところでするもんなのかよ? 秘密ダダ漏れじゃねえの?」
 タカキはシルバーのスプーンを動かし、自分の前に置かれたキーマカレーを投げやりな感じでほおばった。
「いや。詳細を詰める段階ではもちろんここは使わない。まあでも、低次の初期の会談程度はここでやっても誰も怪しまないよ。そもそも、ここに集まる十五や十六の小娘どもは、もっぱら自分たちの食事や話題に夢中で他のテーブルにまでは気が届かないものさ」
「いや。それ、おまえも十六の小娘だろ」
「知力と美貌に勝る私の場合は小娘の「小」は省略だね。そして「娘」よりも、わたしの場合は美少女とか、むしろそちらの呼称の方がふさわしいかな」
「美少女とか、自分で言うな。こっちが引くわ」
「おや? つまり君はわたしが本物の美少女である確定事実に否定的ということかい?」
「冗談は死後に墓場で言っとけ。お、来た来た。おーい、ハルオミ!」
 タカキが片手を高くあげ、自分の座るテーブルの位置をアピールした。
 ハルオミが、料理を運ぶホール係らの間をぬって小走りにかけてきた。
「ごめん。遅くなった」
 肩から下ろしたバッグをチェアの背にかけ、ハルオミ自身もそのチェアに座ろうとしたが、彼のその動作はシロヤナギによって阻まれた。
「おはようオミくん! 会いたかったよ!」
 シロヤナギがシンプルに愚直にハルオミを抱きしめた。文字通り抱擁してその場で抱きすくめたのだ。
「ちょ、ちょっとシロ、やめてよ。ここ、人が見てるし」
 呼吸を圧迫阻害されたハルオミがさけび、壊れたおもちゃのように両手をばたつかせた。
「いいんだオミくん! むしろ彼らに見せつけてやろう」
「いや、よくねーから! 熱くるしーからよせ! ただでさえ夏なのに体感気温上がるわ!」
 タカキが強引に二人を引きはなす。
「ってか、おまえらそういう恋人ごっこはどっか人のいねーとこでやってろ。おれは特に見たくもねー」
 ふてくされた表情でタカキがキーマカレーを乱雑な動作で食べつくす。白系のシャツにカレーの飛沫が少し散っていたが、彼自身はそれに気もとめない。
「恋人ごっこ、は心外だな。私たちは正式に婚約関係を結んだ身内なのだから」
白エプロンのホール係がテーブルに乗せたラズベリータルトに、さっそくフォークをつけながらシロヤナギが言う。視線は誰をも見ておらず、純粋にタルトのみに焦点を合わせながら。
「えっと。シロはさ、それ、あんまり言わない方がいいよ。親が勝手に約束しただけで。おれたちはべつに、とくにここまで、何かじっさいあったわけじゃないし、」
「あれれ? オミ君、じっさいにあったことを隠蔽する発言は良くないよ?」
「って、いやいや。何もまだないでしょ。誤解を招く発言はよそう」
 ハンカチで汗をぬぐいながらハルオミが言う。汗かき体質の小柄なハルオミ。まだ一日の暑さのピークが来ていない現時点で、シャツの襟から肩が汗で濡れている。
「ふむ。でも、『まだ』という以上は、今後は何かはあるだろうと。そういう理解でよいのかな?」
 からかうようにシロヤナギが言い、タルトに挟まっていたラズベリーをひとつ摘み上げると、二つの指で大胆に唇に落とし込んだ。それから二つの指についたシロップを舌で入念に舐めとった。

 補足説明をすると、シロヤナギとハルオミが婚約関係にあるというのは、実際、ある程度まで事実だ。この街、つまり「光ケ丘」でも有数の企業集団/シロヤナギ財団の経営一族の娘であるシロヤナギ・ルカ。そして市民会議の有力派閥のトップの立場にあるウエダ上院議員のひとり息子であるハルオミ。
 市内の上層市民の中でも最上位に位置する二つの家系のあいだで、今から十二年ほど前に取り交わされた協約がある。政治と経済、それぞれの高みに立つ二つの家同士が共闘して利権を保持し続けようとするしたたかな戦略がまずそこにあり、そこに実際、当時4歳だったルカとハルオミの将来の結婚も含まれていた。
あくまで二つの家庭間のゆるやかな協約であってそこには罰則を伴う強制力はないのだが、協約成立の日から十二年がたった今でも、二人の関係はとくに破綻をきたすことなく、今もゆるめに継続している。二つの家は、家同士の距離も近く、二人は幼馴染の範疇に入れても良い。なにしろ十二年来のつきあいだ。
 外見的にはいささか不釣り合いな二人の公然の婚約関係になかば嫉妬し、「美女と野獣」という言葉で二人の関係を揶揄する男子生徒らが学院内には少なからずいる。しかし正確に言えば、ハルオミの外観は痩せ気味で小柄で、野獣と言うには精強さ・ワイルドさにも欠けている。まとまりの悪い黒髪がくるん、くるんとあちこちカールしているミドルショートヘアの彼を表現するには、温厚無害な「森の小動物」程度がいちばんふさわしいかもしれない。

「あれ? だけどハルオミ。サキは? 一緒じゃなかったのか?」
 食後のコーヒーに口をつけながら、タカキをハルオミに話を向けた。
「ん、なんか午前の講習が延長になったって。講師の人が明日これなくなって、かわりに今日、あと2時間続けてやるって言ってたみたい。だから3人でランチ先食べといて、って言ってた。行先も決めといてくれてOKってさ」
「マジかよ。はた迷惑な講師だな、そいつ」
「ところでキミ、どう? 行先の目途はついたのか?」
 シロヤナギがパイをほおばりながらタカキにきいた。両肘をテーブルの上につき、二つの手のひらで自分の顎の重みを支えた姿勢で。
「ん、まあ、だいたいな。旧世界の地図見ながら、よさげな目的地いろいろ探して、そこそこ可能そうなとこ見つけてきたよ」
 タカキが答える。タカキはなんだか急に無表情になって、それほど旨くもなさそうにコーヒーをすする。
「お。行動が速いな。そこは評価しよう」とシロヤナギ。
「いや。べつにお前の評価は求めてないから」
「で? どんなところ? 山? それとも海?」
シロヤナギがペーパーナプキンで唇をぬぐいながらきいた。
「海、だな。おれとしては、やっぱなんか、夕陽が綺麗に落ちてくビーチが見たい。そういういかにも絵になりそうなとこ中心にいろいろ検索して」
「ほう?」
シロヤナギがナプキンを動かす手を止めて、ちらっとタカキを横目で見やった。
「ん。でもたいがいは、南岸の遠すぎるエリアでさ。とても二、三日では付けない。散々探して、ここからそれほど遠くない西岸エリアで、よさげなビーチを発見。それがプランその1」
「ビーチかぁ。その言葉自体がもはや伝説的だよね」
 と、ハルオミがグラスの水に口をつけながら感想を述べた。
「ってほどでもねーだろ。バーチャルツアーだと普通に行けるし。おれも先月、オールドナハだかのリゾート、親と一緒に行ってきたぜ。って言っても全部バーチャルで海水の感触もぜんぜんなくて、マジでつまらなかったけどな」
「ふむ。で、そこまではだいたい、距離はどの程度?」
 シロヤナギが優雅に首を傾けてきいた。
「距離な。直線距離にすると36キロ。」
「お。わりと近い?」
 とハルオミ。さきほどよりも少し、この話題に興味を持ったようだ。
「でも直線距離でそれだから。実際歩きで、44、5キロってとこじゃないかな。ルートにもよるけど。過去の資料見る限りでは、そこらはどの時代にも工業区に指定されてなかったから、たぶん今でも天然の砂浜ってやつがそこに綺麗にまるごと残ってる、はず。」
 タカキはそう言ってカップのコーヒーを飲みほした。追加オーダーでメニュー表に目をやったが、コーヒーおかわり「580クレジット」の表記をちらりと見て、タカキはこっそりため息をつく。最終的に追加オーダーの動作をしなかったところをみると、今日のタカキの予算的にはここでの追加出費は不適切との判断だったのかもしれない。
「44キロ。うーん。すまない、正直わたしは長距離走をやった経験がない。競歩も知らない。だからそれが遠いのか近いのか、即座に判断ができないな。」
 シロヤナギが感想を述べた。その視線はテーブル上のどこかを見ているが、正確にどこに視点を合わせているのかは限定しづらい。
「実際おれもよくはわからねーけど、何もない平地だと1キロの歩行に15分ってところだろ。15×44、距離をちょっと長めに見積もって、×48として、答えはいくつだ?」
「その程度の暗算は瞬時にしたまえよ、君」とシロヤナギ。
「いや。おれはもう答え知ってるから、計算よわそーなおまえにあえて聞いたんだよ」
「失敬な。わたしを誰だと思っている?」

「720分」
 ハルオミが即答した。
「つまり12時間? うーん。それってかなり遠いんじゃない? 正味の歩き時間が12時間でしょう?」
 言いながらハルオミが、最終的にオーダーを決めてタッチテーブル上でオーダーを出す動作を実行した。「エッグフライトーストセット」。料金は1620クレジット。
「実際には歩いてるうちに疲れてそれより遅かったりするし、足も痛くなったりするかもしれないし。実際には16時間とかでも着けないんじゃないかなあ?」
「まあおれも、おまえらの体力をそれほど過大には評価してない。まして炎天下だったりすると、もっと体力奪われてペース落ちる可能性はあるよ。あとは、もとより道が良くないことは確実だし、途中で道が切れてるとか、ルートが塞がってるとかで迂回もあるかもしれねーし」タカキが認めた。「ま、だから、時間的にはまる2日くらいって考えるのが穏当なんじゃねーの? 途中どっかで1泊。キャンプってやつだな。で、1日あたりの移動時間は6―7時間程度を想定」
「ん~ それはむしろ想定がスローすぎるんじゃないか?」
 シロヤナギが口をはさんだ。
「それはむしろ歩かなさすぎでは? 明け方から夕方まで時間があるわけだから、かなり休憩をはさんでも、さすがに移動が6時間のみということはあるまい?」
「想定は短くしといて、それよりむしろ長く歩けるなら、それでいいじゃねーか」
 タカキがシロヤナギをかるくにらんだ。
「熱中症のリスクとかを甘くは見ない方がいい。給水も必要。日陰で休むのも必要。まともに歩ける道も部分的にしかない。そういうの加味して、最大2日の余裕もった行程ってことだよ。もちろんおまえらわかってるだろーけど、帰りもあるんだぜ? 往復で何キロになるよ? っていうか、おれとしてはむしろ、それだけ余裕の時間を設定しても、あるいはそれでも足りないんじゃねーかって。そっちの心配をしてるよ」
「でも君はまるでそのビーチで確定のような口ぶりだね? まさか君、他のプランの手持ちがないのか?」
 シロヤナギが、少し意地悪な視線をタカキに向けた。
「あるぜ。もちろん」
 タカキが、シロヤナギの視線を軽く受け流す。
「プラン2の南西岸のビーチは、直線距離で片道56キロ。所要は最短で片道38時間程度? あとプラン3のでっかい湖。こいつは直線距離で61キロだ。所要は――」
「わかったわかった。理解した。プラン1で確定で良いよ」
 シロヤナギがお手上げポーズで、二つの手のひらを耳の上でひらひらさせた。
「おれも賛成。プラン1が最善。というか、プラン2以降ならおれはもう不参加だよね」
 ハルオミが自虐的な笑みを口元にうかべ、右手の親指で自分の鼻先を掻いた。
「じゃ、あれか。決まりだな」
 タカキがさらりとした口調で言い、少し勢いをつけてチェアの背もたれに体をあずけた。
「計画の詳細はまた今夜以降、家でつめてくる。で、次の企画会議は――」
 タカキがシロヤナギに視線を向けた。
 シロヤナギは追加オーダーでいま届いた、必要以上にカラフルな謎の飲料をストローで吸っている。そのあとストローをグラスから上げ、果実の飛沫をふりまきながら指先でそのストローをもてあそぶ。
 とんっ、と軽い動作で投げだしたストローは、綺麗な軌道を描いてハルオミの水のグラスの中央にダイブした。目を上げて疑問を示すハルオミに、シロヤナギは左目でひとつウィンクを送った。その意味するところは、本人以外にはわからない。
「三日後、だね。」
 シロヤナギが答えた。
「三日後の午後。それが最短でわたしが時間がとれる日だ。会議の場所は、そうだね――」
 シロヤナギが視線をカフェテリアのホールの天井にあげ、そのまま視線を左に移した。そこには室内装飾のパステルカラーの大型抽象画があり、その横に開けた天窓から真昼の光が直線で降っている。ただしシロヤナギがそれらのうちの何かの要素に興味があってあえてそこに目を止めたようには見えなかった。おそらく、ただどこか、どこでもない、ここより遠い場所を見たかったのだろう。