「何か気持ちが軽くなったのかな? 今、調子いいよ」
『良かった』

 彼がほっとした表情をしているのが、声だけで分かった。

『もうどっか行ったの?』
「うん、カフェとガラスの工房にね。チーズケーキ食べたんだ」
『いいな』
「あ、後で写真送るね」

 楽しみにしてると答えた俊が、これからどこに行くのか聞いてくる。美緒は二人と距離を取りながら、オルゴール堂だよと答える。俊は今京平たちと札幌を巡っているらしい。京平たちがどこのラーメン屋で昼食を取るかで揉めていて、どこでもいい俊はその隙に電話をかけてくれたらしい。美緒はその話を聞いて笑った。そして、電話に一瞬だけ間が生まれる。通話が切れたのかな? 不安になった美緒が「俊?」と呼びかけた。

『あのさ、美緒。今日の夜って、時間取れない?』
「え?」

 その声音がいつもよりも違うように聞こえて、美緒の胸がドキッと疼く。

『美緒に話があるって言うか……』
「わ、私も、俊に話したいことがあるの!」

 彼の言葉にかぶせるように、美緒は一気に言った。電話の向こうで、俊が息を漏らすように笑うのが聞こえてくる。美緒はドキドキと脈打つ胸を抑える。心の準備はしていたのに、いざその時が来ると緊張で足がすくむような気がした。

『……あ』

 俊が小さく呟くのが聞こえた美緒が聞き返すと、俊は「何でもない」と返事をする。

『それじゃ、夜に。また連絡する』
「うん、またね」

 通話を切り、美緒は深呼吸をする。まだ心臓はざわめいているのが分かった。耳や頬がまるで沸騰したかのように熱くなっている。

「美緒ちゃん、どうかしたの?」
「う、ううん! 何でもない!」

 慌てて先を歩く二人に追いついた。桃子がマップを見ながら、オルゴール堂へ向かう。美緒は俊に告白しようと思っていることを二人に言おうか少し迷ったけれど、それは胸に秘めておくことにした。この温め続けた気持ちを初めて打ち明ける相手は俊が良い。

 電車に乗って札幌に戻り、晩ご飯を何にしようかと考えた時、三人とも「ラーメンがいい」と意見が一致した。三人で口コミがいいラーメン屋を探して、エビ味噌のラーメンにすることに決めた。お店に向かうと少し列ができていて、三人はそれに並ぶ。

「食券制なんだって」

 凪がグルメサイトの口コミを見てそう言った。

「それなら、今のうちにトッピングとか決めておいた方がいいかな?」
「味玉ってある?」

 三人で凪のスマホの画面を見ながら話しているうちに、行列はみるみる進んでいく。カウンターに並んで座り食券を出した時、美緒のお腹が鳴った。凪と桃子を見るけれど、二人には鳴ったことがバレていないみたいでほっと一安心する。少し経った頃、待ちに待ったラーメンが三人の目の前に置かれた。エビの濃厚な匂いが立ち上り、それが美緒の食欲をくすぐってまたお腹が鳴る。割り箸を持って「いただきます」と手を合わせた時、ポケットに入れていたスマホがバイブしていることに気づいた。美緒がそれを取りだすと、桃子も凪もテーブルに置いていた。

「え? みんなも?」

 桃子は驚いたように声をあげる。

「クラスのグループチャットに通知来てる」

 凪がそれを読み上げた。

「『まだ自由行動中のグループは、すぐにホテルに戻ってきてください。先生から大事な話があるそうです』って、委員長から来てるよ」
「大事な話?」

 何か悪いことが起きたのかな? 美緒は首を傾げる。

「なる早で食べて、早く戻らなきゃ」
「そうだね」

 二人の言葉に美緒は頷いた。この楽しかった時間に終わりがあるのは美緒にも分かっていた、けれど、こんな風に急に幕が降ろされるとは思わなかった。口の中をエビ味噌のスープに満たしながら、美緒はあることを思い出していた。

(あ、俊に写真送るって言ったのに、送ってなかった)

 約束したのに、すっかり頭から抜け落ちてしまっていた。でも、いいや。俊とは今夜話をするから、その時に見せよう。美緒は大急ぎで麺をすすっていった。

 晩ご飯はラーメンにしておいて本当に良かったね、早く食べることができたし、そんな事を言いあいながら三人は早歩きでホテルに戻っていく。ロビーに入ると、他のクラスの担任の先生が「大広間に」と到着していた生徒を誘導していたので、美緒たちもそれに従う。大広間で名簿にチェックを入れて、ざわついているその中に入っていった。

「何かあったの?」

 桃子が近くにいたクラスメイトにそう聞いたけれど、相手も何も知らないみたいで頭を横に振るだけだった。他のクラスの子も同じらしく、突然ホテルに戻る様に言われて、それっきり説明がないらしい。ただ、先生方がずっと右往左往しているみたいだった。間もなく生徒が全員そろったらしく、引率できていた主任の先生がマイクを持った。

「みなさん、静かにしてください」

 波が引くように、少しずつみんなの声が小さくなっていく。全員が口を閉じたのを確認するように先生が大広間を見渡した。後ろの方で見えづらいけれど、先生の表情はいつも以上に堅苦しい。

「皆さんにとても大事な話があります。生徒の一人が自由行動中に事故に遭いました。救急車で運ばれて、今、集中治療室にいます」

 ざわめきが再び大きくなった。先生が話す言葉の一つ一つが恐ろしくて、美緒は胸を抑えた。不安で押しつぶされそうになり、無意識で俊を探す。でも、俊は見つからなかった。彼のクラスの子が並んでいるあたりを見たのに、見慣れたあの姿がどこにもいない。

「大変ひどいやけどを負っていて、まだ意識が回復していない、とのことです。今、保健の先生が病院で付き添っており――」

 美緒はキョロキョロと俊を探す、聞いていないように見えて、先生の話はどんどん頭の中に吸い込まれていくように入っていた。膨らんでいく不安で爆発してしまいそうなくらい心臓がバクバクとうるさくなっていった。誰かが「誰だろうね?」と小さく囁く声が聞こえてきた。それに答えるように、先生が大きく息を吸いこんでから口を開いた。

「事故に遭ったのは、一組の浅香俊君です」

 今一番聞きたくなかった名前だった。美緒の目の前が真っ暗になっていく、凪はそれにいち早く気づいて、崩れ落ちていく美緒の肩を抱いた。桃子はカタカタと震え始める美緒の手を握る。
 叫んでしまいたかった。けれど、体が言う事を聞かない。病気であると宣告された時以上のショックが身も心も縛り上げていく。目の焦点が合わなくて、視界はぶれて、滲んていく。頬には冷たい涙が幾筋も伝っていった。

「う、うそ、こんなの、」

 その震える声に、誰も応えてくれなかった。俊がここにいないことが、先生の言葉を裏付けている。それなのに、美緒は信じることができなかった。こんなこと、信じられるはずがない!
 先生は明日以降、スケジュールを変えることなく修学旅行を進めていくこと、俊の容態については情報があり次第伝えていくとだけ付け加えて、話を終えてしまった。