saku:ふー、そんなこと言ってたんだ。かわいいねー。
「あーうるさい、言ってねえよ、そんなこと」
 saku:そんなに私のことが好きだったんだねー。
 自室に引っ込んでも今度は桜にからかわれる。正直文也は覚えていなかったが、自分なら言いだしかねないと思えるから、母の冗談ではないのだろう。しかし桜に聞かれているとなると、今更ながら恥ずかしい。
 saku:もしかして照れちゃってる?
「うるさいな、母さんの思い違いだって」
 saku:そっかー。なら、そういうことにしといてあげる。
 声が聞こえていれば、桜は今、くすくすと笑っているだろう。恥ずかしい反面、その姿を思うと嫌な気にはならない。むしろ見てみたくもなる。桜にはかなわないな、と改めて思う。
 翌朝になってから、文也は虎太郎に初めてリンクを使って連絡をした。内容は、「泉」の苗字の双子が、今も杉ヶ裏に住んでいないか調べてほしいということ。もしかすると、彼らが何らかの手がかりになるかもしれないと説明した。
 タロウ:泉、下の名前はなに?
 ふー:姉が夏澄で、妹が葉澄の姉妹。俺らより二つ年下だったはず。
 タロウ:おっけー。ていっても、爺ちゃんに聞いてみるしかないけど。
 ふー:それで全然かまわない。今はもう住んでないかもしれないし。
 虎太郎は快諾してくれた。祖父の重三に、杉ヶ裏に泉姉妹が住んでいないか調べてくれと頼んでみるとのこと。もし断られれば、自分で赴いて一軒一軒訪ねるしかないが、今はとりあえず、虎太郎の返事待ちだ。
 唐突に時間が空き、じっとしていてもなんだか心がざわつくので、午前中に課題を済ませ、午後からは散歩に出た。「どこか行こーよ」と桜に誘われれば、文也に断る理由などない。
 それでも正午は暑すぎるので、午後三時を回った頃から家を出て、ぶらぶらと橘町を歩き回る。
 saku:ねえねえ、向こう、何やってるのかな。
 向こう、という方角がわからないが、周囲を見渡し、それが神社を示しているのに気が付いた。近所の住民が訪れる程度の小さな神社に人が集まっている。近づくと、境内にいくつかの屋台が出ているのが見えた。
「縁日だな」
 外から様子を覗いていると、俄然乗り気の反応がある。
 saku:行ってみようよ!
「でも桜、神社に入って大丈夫なのか」
 幽霊と神社の相性はいかほどなのか。万が一、何らかの影響を受けて桜が消えてしまったらどうしよう。文也は考えあぐねる。
 saku:なんともないし、私、悪霊じゃないもん。いい幽霊だから、大丈夫だよ。
 あまり根拠はなさそうだが、桜が平気なら大丈夫だろう。お祓いを受けるわけでもないし。そう思い、文也は鳥居をくぐった。
 手水鉢で手を洗い、賽銭箱に小銭を投げ、鈴を鳴らして二礼二拍手。何を願うか考える。桜が成仏しますように? なんだか違うと思い直し、桜が幸せでいますように、と頭の中で唱える。
 saku:いろんな屋台があるねー。
「準備中のもまだまだあるな」
 saku:夜になったら、大賑わいだろうね。
「人の少ない今の方が、狙い目かもな」
 まだ人もまばらな境内を歩く。スマートフォンを見つつ、ぶつぶつ呟きながら歩く高校生。随分気味の悪い光景だろうと思うが、桜がそばにいると思えば何も気にならない。むしろ、はしゃぐ彼女の様子が目の前に見えるようで、楽しい。くじ引き、ヨーヨー釣り、フランクフルト。わたあめを食べる小さな子どもたちとすれ違い、やがて一つの屋台の前で立ち止まる。
「メロンとイチゴください」
 かき氷屋で、文也はそれぞれ一つずつ購入した。山盛りの氷が入ったカップを両手に持ち、神社の奥を目指す。木が茂る涼しい場所を見つけ、緑の塗料の剥げた古いベンチに座った。メロン味のかき氷を隣に置き、イチゴの方に口をつける。うすく汗をかいていた身体が、すっと涼やかさに冷えて心地よい。
 saku:私の分なんか、いいのに。
 saku:食べられないから、もったいないよ。
「残した分は、俺が食う。だからもったいなくなんかないよ」
 隣に座る桜を感じつつ、スプーン型のストローを氷に突き立ててひたすら食べる。シャクシャクと爽やかな音が耳を打つ。今日も蝉が元気に鳴き、青い空には雲一つない。長閑な夏の昼下がり、文也はただかき氷を食べる。
 saku:ふーはばかだなあ。二つも食べてお腹壊してもしらないよ。
 しばらくして、そんなメッセージが届いた。文也は黙って食べ続ける。自分がいかに馬鹿なことをしているか、わかっているつもりだ。だが、買わずにはいられなかった。彼女が隣に居るのなら、彼女と一緒に楽しみたい。一つしかかき氷を買わないのは、彼女の存在を無視しているような、そんな気がしたのだ。
 底に溜まったシロップを飲み干し、ようやく自分の分を食べ終わり、一息つく。カップを横に置いた。反対側を見ると、メロン味のかき氷はすっかりどろどろと溶けてしまっていた。
「桜、食べないのか」
 背もたれにもたれ、膝にスマートフォンを置いて話をする。
 saku:だから食べれないの。ふーが食べて。
「腹いっぱいになった」
 saku:もったいないって言ったじゃん。ばか。
「そんなにバカバカ言うなよ」
 空が、青い、青い、青い。怖いぐらいに青く広がり、恐ろしいほど生き生きとした夏を訴えている。まるで隣に居る桜を否定するかのように、季節はコントラストを濃くしている。弱く脆く儚い影を飲み込んで消してしまうような生に満ちている。
 汗もかかない、かき氷も食べない、姿の見えない桜。彼女はこんなにも、存在しているのに。
 saku:私ね。
 その言葉の先を、文也は待った。それなのに、一向に桜は続きを送らない。だがなんとなく、それを知っているような気がする。それはどうにも苦しくて、呆然とするほどにやるせない。
 溶けていくかき氷のカップを文也は手に取った。
「桜さ、俺のこと好きだったんだって」
 安っぽいメロン味のシロップ。喉がひりつくほどに甘ったるい。「なに言ってるの?」そんな桜の素っ気ない言葉と混ぜれば、丁度いい甘さに中和される気がする。
「おばさんが言ってた。俺のことが好きでたまらないんだって」
 saku:お母さん、なに言ってるの。
「好きになるのが怖いぐらいだったって」
 saku:怖いわけないじゃんか。意味わかんないよ。
「俺の人生を無駄にしたくないから、付き合わなかったんだろ」
 桜の返事が途切れた。文也も、かき氷を食べる手を止めた。
「無駄だなんて、どうして思うんだよ。桜がいる時間に、一秒だって無駄なんかない。その一秒があれば、俺は一生生きていけるよ」
 だから、言ってくれないかなあ。伝え聞きではない、桜の言葉で。
 saku:ふーのばか! ばかばかばか!
 saku:恥ずかしいこと言わないでよ、もう!
 それから桜の返事は途切れた。やっぱり言ってくれなかったか。それでも顔を真っ赤にして恥ずかしがる桜の姿を思うと、つい笑ってしまう。
 文也は一気にカップの中身を飲み干した。鮮やかな冷たさに、頭の奥がじんと痺れた。