桜が引っ越してしまう前日、二人でタイムカプセルを埋めた。
二十歳になったら一緒に掘り起こそうと言って、それぞれ封筒に手紙を入れて、それを更に一つの缶に入れて、いつも遊んでいた山に埋めた。これがあれば、離れ離れになっても、必ずまた一緒に会える。指切りをした。
颯介:そんな大切なの、よく忘れてたね。
ふー:忘れてたっていうか……あまりに昔のことだったから。
呆れる颯介のメッセージに返事をする。ただ思い出してしまえば、確信が持てる。タイムカプセルを掘り起こせば、桜は向こうにいける。
颯介:場所は覚えてるの。
ふー:よく遊んでた、一番高い木の下。まあ、行けばわかると思う。
颯介:仕方ないなあ。フミは頼りないから、行ってあげるよ。
正直、文也も颯介が来てくれた方がありがたい。話し相手としてだけではなく、先日のムギの一件のように、彼は頼りがいがある。それが年上の薫子と付き合える要因の一つかとも思う。
二日後、再び文也は颯介と待ち合わせた。以前と同じように九時の電車に乗り、杉ヶ裏に向かう。
「当時の一番高い木だろ。今も一番高いとは限らないよね」
「そうなんだよなあ」
「何の木だったか覚えてる?」
颯介の質問に文也は答えられなかったが、桜は「イチョウの木だよ」と返事をした。
saku:秋になったらイチョウの黄色い葉っぱを拾って遊んだの、覚えてる。
「そういえば、そんな気がするな」
saku:もうちょっとしっかりしてよ。
「フミは、いつになっても桜ちゃんに勝てないな」
乗り換えのバスを待ちながら、颯介が笑った。
杉ヶ裏は山に囲まれている。中でも各々の家から近く、子どもでも登れる小山が、二人の主な遊び場だった。近所の他の子どもたちともかくれんぼや鬼ごっこをして遊んだが、二人きりで遊ぶ時間も長かった。そんな時にはしょっちゅう、一番高く大きなイチョウの木の下にいた。随分オープンだが、二人にとっての秘密基地とも呼べる場所。そこで色鮮やかな葉っぱを拾ったり、虫をつかまえたり、内緒話をしたり。多種多様な遊びを作っては、毎日を過ごしていた。
今日は、以前来た時よりも日差しが強い。照りつける太陽の下、暑い暑いと言いながら小さな町を歩く。すれ違う人は少なく、歩いている野良猫の方が多いくらいだ。彼らも暑さから逃れるように、日陰を選んで歩を進め、軒下の陰で休んでいる。
桜の住んでいた家の前を通り、小学校を通り過ぎ、町役場を向こうに見て、小山に辿り着いた。踏み固められてはいるが、獣道と大差ない小道が上へと伸びている。
「確か、ここから登るんだ」
その道から二人は山の中に足を踏み入れた。木々が生い茂っているおかげで日差しが遮られ、少しだけ涼しい風が吹く。それでもシャワーのように蝉の鳴き声が降り注ぎ、鼓膜を越えて頭の中まで真夏が押し寄せる。
「片側に斜面があって……」
うろ覚えの記憶に頼り、やがて西側が下りの斜面になる場所へ出た。下った先は家々が密集する隣町だ。緩やかに登りながら、きょろきょろと辺りを見渡す。
「斜面だけじゃ、範囲広すぎるぞ」
颯介の正論に、当時の歩幅を懸命に思い出す。だが、小学二年生の歩幅と高校一年生の歩幅はあまりに違い過ぎた。目線の高さもまるきり違う。当時の景色を思い出しても、今とは全く異なる可能性が高い。
「イチョウの木だよ。一番高い」
「……この辺、だいたいイチョウの木みたいだけど」
颯介が、地面に落ちている緑の葉を拾った。左右に割れた、特徴のあるイチョウの葉。それらが無数に落ちている。辺りに立っているのは、大体が同じ種の木のようだった。見上げて高さを知ろうにもどれが一番高いのか判然としないし、当時よりもずっと成長しているはず。まるで見当がつかない。
「桜、どこかわかるか」
汗を拭ってスマートフォンを覗いた。かろうじてアンテナは立っている。しかし桜も困惑していた。
saku:どの木だろう。同じような木が多くて、思い出せない。
途方に暮れて、二人は立ち止まった。すぐそばで桜も戸惑っているに違いない。相変わらず蝉の鳴き声がうるさく響き、夏特有の生気が山の中には満ちている。命が精いっぱい喚き、ここぞとばかりに主張している。
「タイムカプセルどころじゃないな」
颯介がぽつりと呟き、文也もため息をついた。あたり一帯の地面を掘り返すわけにもいかない。そんなのは無茶だ。しかし掘り当てないと目的は果たせない。
しばらく歩いてみたが進展はなく、仕方なく下ろうかと話をつけた頃、ガサガサと足音が近づいてきた。
咄嗟に身構える二人に、足音は真っ直ぐ駆けてくる。ただそれは人間の二本足ではなく、恐らく四つ足の、軽い動物のものだ。この低い山に、足音を立てる動物なんていただろうか。クマやオオカミではあるまいし。不審感を覚える。
しかし木々の陰から姿を現した彼には、二人とも見覚えがあった。「ムギ!」と思わず声をそろえる。先日知り合ったばかりの柴犬が、わんわんと吠えながら飛びついてくる。茶色い毛皮が木漏れ日を浴び、赤色の首輪からは、青いリードが伸びていた。屈んで受け止めると嬉しそうに舌を出し、こちらの手をぺろぺろと舐めてくる。ムギは千切れんばかりに尾を振って喜んでいる。
家から逃げ出したのかと思ったが、蝉の鳴き声の隙間から、「おーい」と呼びかける声が聞こえてくる。「ムギー、帰ってこーい」その間延びした声に、文也は聞き覚えがあった。
がさがさと枝葉をかき分けて姿を見せたのは、文也と同じクラスの虎太郎だった。
文也はもちろん、虎太郎の方も驚いて目を見張っている。「え、なんで?」と心の声が漏れている。白いシャツに黒いジーンズの私服姿の彼を、文也は初めて目にした。そもそも学校の外でクラスメイトに会うのは初めてだった。
「文也、だよね。うちのクラスの」
「鞍馬、なんでここに居るんだ」
仰天する二人を見て、颯介も「知り合い?」と当惑する。
「同じクラスの……ていうか、なにしてんだ」
「いや、それはこっちの台詞だって」取り合えず、虎太郎はムギのリードの端を握り締める。ムギはぶんぶんと尻尾を振りながら、今は逃げずに大人しくしていた。「ムギが急に走り出したから、追っかけて来たんだけど」
「やっぱりこいつ、ムギだよな」文也は犬の頭に触れる。「なんで鞍馬が散歩させてるんだ」
「なんでって、うちの犬だから」
その言葉に、文也と颯介は目を丸くする。「ムギって、宗像さん家の犬だろ」
「ああ、うちの犬っていうか、オレの爺ちゃんの犬」文也の言葉に、虎太郎はさもありなんという顔をした。「文也こそ、なんでムギのこと知ってんの」
やがて分かったのは、宗像重三は鞍馬虎太郎の祖父であり、田舎に遊びに来ていた虎太郎がムギを山に散歩させに来ていたとのことだった。母方の祖父だから、苗字が違うのだという。そりゃあ気づかないわけだと文也は思うし、思わぬ偶然に驚愕する。
「なるほど。ムギを探しに来た高校生がいたって、言ってたなあ。文也のことだったのか」ようやく納得した様子で、虎太郎は笑った。「それで、二人は、友だち?」
文也が颯介を紹介すると、「本貸してくれてる人だ」と虎太郎は手を打つ。賢そうだからピンと来たらしい。
「そんで、なんで二人ともこんなとこにいんの」
「なんていうか、その……俺、子どもの頃、杉ヶ裏に住んでてさ。その時埋めた忘れ物を探しに来たんだよ」
「忘れ物ねえ」
「この辺りだったと思うんだけど、どこを掘ればいいかわかんねえんだ」
ふんふんと頷いていた虎太郎は、「じゃあ」と提案する。
「爺ちゃんに聞いてみる? ここ、爺ちゃんが持ってる山だから、なんかわかるかもよ」
文也と颯介は顔を見合わせた。これは願ってもない偶然だ。思わぬ解決の糸口が見つかったかもしれない。二人は虎太郎について行くことにした。
先日訪れたばかりの家を、再び二人は訪問する。先に入って事情を説明していた虎太郎は、少しして玄関先に戻ってきた。「いいよ、入って」と招き入れてくれる。
家の中は見かけ通りに古く、がっしりとした造りだった。廊下の所々は、踏むときしきしと音がする。洗面所の蛇口はしっかり閉めないと水が滴る。天井の隅は薄暗い。しかし太い柱に支えられた、静かな田舎の親戚の家というのがしっくりくる。
縁側の向こうの庭で、散歩を終えたムギが、器に入った水をちゃぷちゃぷと音を立ててうまそうに飲んでいる。その音が実に平和に聞こえてくる。
だが、文也は罪悪感を耐えねばならなかった。虎太郎がいる場で、桜が生きているという嘘は吐けない。初対面だったとはいえ、重三に嘘をついて誤魔化してしまった事実に苛まれる。
そうとは知らず、虎太郎は冷えた麦茶を入れたグラスを持ってきてくれた。自分も座卓につき、いつもの明るさで颯介とも話をする。八畳ほどの座敷では、古そうな振り子時計がカチカチと時を刻んでいる。
「おまえら、また来たのか」
部屋に入り正面に座った重三に、二人は挨拶をした。「まさか虎太郎の友人だったとはな」虎太郎は、文也をそう紹介していたらしい。
「実は今日、タイムカプセルを探しに来てて……」文也は切り出した。「杉ヶ裏に住んでた頃、山に埋めたはずなんですけど、どこだったかわからなくって」
「昔は悪ガキが山ほどいたが、おまえもその一人だったんだな」
笑いながら言うのに、文也は「まあ」と曖昧に返事をする。「二十歳になったら開けようって言ってたんですけど……桜と埋めたそのタイムカプセルを見つけたくて」
「それなら、あと数年待てばいいだろう」
「もう、待てないんです」正座の膝を、文也は握りしめた。「桜が、亡くなったから」
しんと座敷が静まり返る。
「……あれから、亡くなったのか」
重三の言葉に、「いえ」と颯介が返事をした。
「桜ちゃんは、七月の初めに亡くなってて。……いろいろ考えて、言えなかったんです」
「嘘をついてて、すみませんでした」
俯いて文也は謝罪した。相手は何も言わない。沈鬱な沈黙がずっしりと重く垂れ下がる。それに耐えかねてか、間の席に着いている虎太郎が口を開く。
「爺ちゃん、怒るなよ。文也もきっと言いにくかったんだって」
「別に怒っとりゃせん。ただ、なあ。そうか。まだ高校生だってのに」
文也たちの嘘について重三に怒りの姿勢はない。ただただ、自分の孫と同い年の少女の死に、考えるところがあるようだった。
「おまえらの年なら、受け止めきれんこともあるだろう」
ほっとして、文也と颯介は顔を見合わせた。嫌な思いはさせずに済んだようだ。
「……それで、桜がここを引っ越す前に埋めたタイムカプセルを思い出して、見つけたくて探しに来たんですけど。手がかりがなさ過ぎて」
「何もわからんのか」
「すぐそばに下りの斜面があって、一番高いイチョウの木の下です」
自分でも、実に曖昧だと実感する。これでは見つからないのも当然だ。もちろん、重三も眉間にさらに皺を寄せて難しい顔をする。
「イチョウの木なんぞ、一本や二本ならまだしも、それだけじゃなんもわからんぞ」
颯介が頷く。
「さっき行って、それらしいところを探したんですが、見当がつかなくて……」
「二年で一メートル成長するっていうからな、イチョウは。当時の一番高い木、なんざ当てにならんだろ」
まさにその通りだった。山の持ち主相手でも、脳内のイメージを直接伝えるわけにもいかず、当時目にした風景を言葉にするしかない。それも幼い子どもの目線だ。それさえも形として残っていないのだから、現在と照らし合わせるわけにもいかない。
「文也、他に覚えてることないの」
縋るような虎太郎の台詞に、文也は更に頭をひねる。自分の記憶力がもっと良ければ、などと仕様のないことを考える。
「まあ、ゆっくり思い出せ」
重三が立ち上がり、部屋を出た。手洗いにでも行くのだろうか。聞くならこの日が一番なのに、と焦りがつのる。
と、その時、ポケットでスマートフォンが振動した。桜だ。彼女は何かを思い出したのかもしれない。取り出して、確認する。
saku:近くに、空き家があったよね。
そうだ、思い出した。イチョウの木で遊んでから、その家に忍び込んでかくれんぼをしていた。朽ちかけた廃屋の中には隠れる場所がたくさんあって、楽しかった。
「そうだ、家があった」
思わず口にする。喋っていた颯介と虎太郎が振り向く。その時、重三も部屋に戻ってきた。
「近くに、空き家があったんです」少々の興奮を覚えながら、思わず口走る。「桜が、思い出したって」
「空き家は、確かにあったが……あそこで遊んでたのは、おまえらだったのか」思い当たる節はあるようだ。「浮浪者が紛れ込んだり、子どもらが忍び込んで怪我したらいかんっていうんで、何年も前に取り壊したぞ」
「でも、場所はだいたいわかりますよね」
「まあな」
これである程度の範囲は絞れる。そう期待した文也に、「何か隠してないか」と老人は鋭く言った。「桜が思い出したって、どういう意味だ。あの子は実は生きているのか」
うっと文也は息を呑んだ。視線をやると、虎太郎も不思議そうな顔をしている。隣に居る颯介は、真剣な面差しで小さく頷いた。
やはり、誤魔化したまま協力を得ようとするのは間違いだ。一度不信感を与えた相手から情報を得ようとするなんて、そんな都合のいい話はない。文也は観念することにした。
「桜は、死んだけど、まだ近くにいるんです」今現在、この部屋にも彼女は居て、自分たちの話を聞いている。「思い残しがあって、向こうにいけないみたいなんです」
スマートフォンを座卓の上に置いた。リンクのトップ画面を立ち上げる。
「これ、メッセージが送れて連絡がとれるアプリなんですけど……鞍馬は知ってるよな」
「リンクだろ」首を傾げていた彼は、「もしかして、ここに?」と訝しむ。
頷き、文也は桜のアイコンに触れた。たちまち、これまでの会話がずらりと表示される。
「桜が亡くなってからの、桜とのやり取りです。俺とだけ連絡が取れるって、連絡してくれてるんです」
見慣れない画面を目にする重三に、「チャットだよ。なんていうか、手間のかからないメールみたいな。打ち込んだ文字がすぐに表示されて……」虎太郎は戸惑いながら説明する。「オレら、みんなこれ使って連絡してるんだ」
「つまり、何が言いたいんだ」
「桜ちゃんは、恐らく思い残しがあって向こうにいけなくて、それでリンクを通してフミに連絡してるんです。だから僕らは、桜ちゃんの思い残しを探してて。きっとその原因がタイムカプセルだって答えに行きついたんです。この間、ムギを探しに来たのも、桜ちゃんの思い残しを探してのことだったんです」
到底信じられない話に、虎太郎も目をぱちくりさせ、重三も腕を組んで考え込んでいる。
「そういえば、昼休みに、天方さんが本当に死んだかって、オレに確かめたことあったよな。もしかして、あの時も」
「そうだよ。あの前の日にメッセージが来て、最初、俺の頭がおかしくなったのかと思って確かめたんだ。でも、どうやらそうじゃないらしい」
「僕も、フミから相談されて、最初は半信半疑だったけど。どうやら桜ちゃんは、本当にいるみたいなんだ」
三人の会話を聞いていた老人は、しばらくして口を開いた。
「おまえら、わしをおちょくってるのか」
「そんなわけない、です」声を大きくしかけて、文也は慌ててそれを諫める。「桜は、今も近くにいるんです」
虎太郎がそれを聞いて部屋の中を見渡す。目に見えない天方桜を探しているようだ。
その時、機械は新しいメッセージを受信した。
saku:私、見えないけどここにいます。
桜からだ。そのあり得ない現象をいち早く理解し、虎太郎は目を見張る。「え、これ、今来たの」
saku:みんなには迷惑かけてるけど、でも、まだここにいるんです。
文也は唇を噛む。どうしたら信じてもらえるのか。それで頭がいっぱいになる。
「ここに居るって、じゃあ、声も聞こえてるってこと」
「聞こえてるよ、桜には」
「それなら、今、ムギは何してるかわかる?」
四人は庭に視線をやった。ムギは地面に寝そべり、後足で耳の後ろをかいている。
saku:耳をかいてる。痒いのかな。
見事に言い当てた桜の言葉に、虎太郎は唖然と口を開いた。「マジか……」と呟く。これで少しは信じてもらえただろうかと、文也は正面の老人を窺う。
「おまえたちはまともな高校生だと思っとったけどな」
「信じてください、いたずらなんかじゃないんです」
「死んだ人間と話ができるわけないだろう」
「俺だって、最初はそう思った。けど現に、桜とはこうして話ができて……!」
文也は身を乗り出すが、重三はなかなか信じるそぶりを見せない。ともすれば、自分は騙されているのだと疑い、苛立つ表情さえ見せる。
「心残りを見つけないと、いつまでも桜はこのままなんです。桜は、生まれ変わってまた俺たちに会いたいって言ってるのに」
「こんな仕掛けを作って、わざわざ騙しに来るぐらいなら、ちゃんと勉強せえ」
「騙す気なんて、あるわけない!」
何を言っても信じてもらえず、悔しくて、文也は黙り込んだ。桜の未練を探せない、それだけではなく、桜自身を否定されている気がして、悔しい。
「……爺ちゃん」
ぽつりと、虎太郎が呟いた。
「オレ、文也は騙してなんかないと思うよ」
指先で画面をつつき、会話をすっとスクロールさせる。
「文也さ、この女の子のこと、すごく大事にしてたんだ。病気がちだからっていつも心配して、そばにいて、気にかけてたんだ。そんな幼馴染が亡くなって、その子をダシにして他人を騙そうとなんてするわけないよ」
虎太郎の思わぬ助け船に、文也ははっとする。彼は画面に表れる二人の会話を指でなぞる。
「こんな風にオレたちを騙して得することなんかないし。第一、見ただろ、ムギのことを言い当てたの。あんなの出来っこないって」
「虎太郎、おまえ信じるのか」
「信じざるを得ないってば」彼は苦笑いする。「オレもさ、ここまで仲良しの幼馴染とか欲しかったよ」
虎太郎が口を閉ざすと、室内はしんと静まり返った。うるさいはずの蝉の鳴き声も、今はどこか遠くに聞こえる。
「……仕方ないな」腕を組む老人は呻いた。「確かに、わしらを騙して得することはないな」
「嘘、ついててごめんなさい。どうしたら信じてもらえるかわからなくて」
文也と颯介は今一度頭を下げる。そんな二人を見て、次に画面に目をやり、重三はしみじみと言った。
「今は、死者ともこんな繋がり方があるんだな」
孫である虎太郎のおかげだろう。心底とはいえずとも、一応は信じてもらえたようだ。強張っていた肩の力がようやく抜ける。
タイムカプセルの場所は、大体の位置取りはつかめた。しかし、あと一歩が届かない。廃屋のあった場所にほど近い、西に斜面を見るイチョウの木の下。無数にあるその中からどうやって見つければいいのか。
そのあと一歩を見つける協力は惜しまないと、重三は言った。ただ、その手がかりは自分たちで見つけろと。まさに願ったりだと、文也は勇んで頷いた。
時刻が午後の三時を迎え、二人は家を後にした。互いの住む街まで、片道三時間はかかる。あまり長居をすると、すっかり日が暮れてしまう。
「ありがとな、説得してくれて」
駅まで送ると共に家を出た虎太郎に、文也は礼を言う。彼が居てくれなければ、きっと話は何も進まなかっただろう。この旅が無駄足になっていた可能性もある。
「気にすんなよ。正直オレもビビったけどさ。やっぱり年取ると、人間、頭が固くなるんだ」虎太郎は指先で自分のこめかみをつついた。
「じゃあ、気を付けて。お爺さんとムギにもよろしく」
駅で颯介が手を振り、文也も右手を上げる。「またなー」と手を振り返し、虎太郎は帰っていった。
電車を降り、それぞれの街へ乗り継ごうと別れかけた時、颯介が言った。
「他に、一緒に遊んでた友だちとかいないのか」
文也は首をひねる。当時の友人は無数にいたが、今も連絡を取り合っている者はいない。
「何人かいたけど、今も繋がってるやつはいない」
「フミは友達付き合い良くないからな」
「そういうの今はいいだろ」
「はいはい」
笑って、少々疲れていた二人は、そこで別れた。それぞれの路線のホームに向かい、家路につく。
うっかり寝過ごしそうになりながら、当時の記憶を探る。あの頃は、近所の子どもたちとは誰彼構わず一緒に遊んでいた。苗字も思い出せない、あだ名しか記憶にない者もいる。よく遊べていたな、と今となっては感心する。
しかし、あのタイムカプセルは桜と二人きりのものだ。そしてあの木の思い出も、自分たちだけのもの。特に親しい誰かがいただろうか。
saku:ゆーちゃん、とみくん、ひろくん、なおちゃん。
電車を下りてマンションへ歩く道すがら、桜は覚えている限りの名前をあげていく。まだ陽の残る道で、文也もかつての友人たちを思い出す。
「懐かしいな。みんなどこ行ったか全然わかんねえけど」
saku:そうだねー。スマホとか持ってなかったから、しょうがないかもね。
毎日飽きもせず、野山を駆けまわり、小川で魚を追いかけた日々。一緒に遊んだ幼い友人たちは、今も元気にしているだろうか。
saku:特に仲良しだったのは……誰だろう。
「なんだっけ、名前思い出せないけど……双子がいた気がする」
saku:そういえばそうだね! 双子の姉妹でしょ。
そうだそうだと、見えない桜が隣で手を打つ。桜は文也が、文也は桜が一番の友だちだったが、二番目によく遊んだ相手は二人で一組だった。
saku:夏澄ちゃんと葉澄ちゃん、じゃなかったっけ。
「あー、確かそうだった気がする。ちょっと年下だよな」
苗字は思い出せないが、年下の双子の姉妹。特に彼女たちとはよく一緒に遊んでいた。だるまさんが転んだをしたのは、あのイチョウの木の下ではなかったか。
saku:あの子たちも小さかったから、覚えてないかもしれないけど……。
「まず、連絡できるかだよな」
当時の子どもたちの連絡先を、自分たちは何一つ知らない。それでも文也は家路を急いだ。
家に帰りつき、母親との食卓に着く。普段はさっさと食べて引っ込むのが常だったが、肉じゃがの芋を崩しながら、文也は切り出した。頼るとしたら、当時から大人で、自分たちの動向を知っていた母親だ。
「杉ヶ裏でさ、よく遊んでた子いたじゃん」
「桜ちゃん? あんた毎日遊んでたよね」
「違うって。桜じゃねえよ」
そんなことよりもニュース番組に釘付けになっている母親の興味を、文也はなんとか逸らす。
「だから、他の子のことだって」
「桜ちゃんじゃないって、誰のことよ」
「双子がいたじゃんか、姉妹の」
「ああ、泉姉妹ね」
あっさりとその苗字が出てくる。やはり母親に聞くのは正解だった。
「泉だったっけ」
「そうよ。双子なんて珍しいし、そもそも双子っていったら、あの子たちしかいなかったから」
「その子らさ、今なにしてんだろ」
「どうかしらね。元気にしてるとは思うけどね」
母の興味は、なかなか取り分けられない春雨に移行する。それを横目に見ながら、更に問いかける。「もう連絡とか取ってないの」
「あそこに住んでた時は、仲良くしてたけどねえ。うちが転勤になってから、もう年賀状もやり取りしてないから」
「いつまで年賀状送ってた?」
「さあ、覚えてないわよ」
そこでやっと、母は息子の話に興味を移した。「どうしたの、急にそんなこと言いだして。気になることでもあるの」
「まあ、気になるっていうか……」こんな時、颯介だったら上手に話を誤魔化しつつ、情報を探ることが出来るのかもしれない。頭の片隅で思う。「なんとなく、思い出して」
「引っ越して三年目までぐらいだったかしら。住所が変わってないから、それまでは杉ヶ裏に住んでたはずだけど。それ以降はさっぱり」
三年か。それなら、後の三年で引っ越しをした可能性もある。しかし苗字がわかっただけでも十分な収穫だ。
「文也、あの子たちに嫉妬して大変だったのよ」
「嫉妬ってなにが」
サラダの春雨をすする息子を見て、母は笑う。
「双子ちゃんと桜ちゃんが仲良くしてるから、さくちゃんをとられちゃうって。もともとあんたのものでもないのに、さくちゃんがはなれちゃうって言ってたのよ。覚えてないの」
「覚えてねえよ」
「泣きながら帰ってきて何ごとかと思ったら、そんなことなんだから。もう将来が怖くって」
「だから知らねえってば」
母親という存在は、余計な一言を言わなければ気が済まないのだろうか。憮然とする文也は、白飯をかき込んだ。
saku:ふー、そんなこと言ってたんだ。かわいいねー。
「あーうるさい、言ってねえよ、そんなこと」
saku:そんなに私のことが好きだったんだねー。
自室に引っ込んでも今度は桜にからかわれる。正直文也は覚えていなかったが、自分なら言いだしかねないと思えるから、母の冗談ではないのだろう。しかし桜に聞かれているとなると、今更ながら恥ずかしい。
saku:もしかして照れちゃってる?
「うるさいな、母さんの思い違いだって」
saku:そっかー。なら、そういうことにしといてあげる。
声が聞こえていれば、桜は今、くすくすと笑っているだろう。恥ずかしい反面、その姿を思うと嫌な気にはならない。むしろ見てみたくもなる。桜にはかなわないな、と改めて思う。
翌朝になってから、文也は虎太郎に初めてリンクを使って連絡をした。内容は、「泉」の苗字の双子が、今も杉ヶ裏に住んでいないか調べてほしいということ。もしかすると、彼らが何らかの手がかりになるかもしれないと説明した。
タロウ:泉、下の名前はなに?
ふー:姉が夏澄で、妹が葉澄の姉妹。俺らより二つ年下だったはず。
タロウ:おっけー。ていっても、爺ちゃんに聞いてみるしかないけど。
ふー:それで全然かまわない。今はもう住んでないかもしれないし。
虎太郎は快諾してくれた。祖父の重三に、杉ヶ裏に泉姉妹が住んでいないか調べてくれと頼んでみるとのこと。もし断られれば、自分で赴いて一軒一軒訪ねるしかないが、今はとりあえず、虎太郎の返事待ちだ。
唐突に時間が空き、じっとしていてもなんだか心がざわつくので、午前中に課題を済ませ、午後からは散歩に出た。「どこか行こーよ」と桜に誘われれば、文也に断る理由などない。
それでも正午は暑すぎるので、午後三時を回った頃から家を出て、ぶらぶらと橘町を歩き回る。
saku:ねえねえ、向こう、何やってるのかな。
向こう、という方角がわからないが、周囲を見渡し、それが神社を示しているのに気が付いた。近所の住民が訪れる程度の小さな神社に人が集まっている。近づくと、境内にいくつかの屋台が出ているのが見えた。
「縁日だな」
外から様子を覗いていると、俄然乗り気の反応がある。
saku:行ってみようよ!
「でも桜、神社に入って大丈夫なのか」
幽霊と神社の相性はいかほどなのか。万が一、何らかの影響を受けて桜が消えてしまったらどうしよう。文也は考えあぐねる。
saku:なんともないし、私、悪霊じゃないもん。いい幽霊だから、大丈夫だよ。
あまり根拠はなさそうだが、桜が平気なら大丈夫だろう。お祓いを受けるわけでもないし。そう思い、文也は鳥居をくぐった。
手水鉢で手を洗い、賽銭箱に小銭を投げ、鈴を鳴らして二礼二拍手。何を願うか考える。桜が成仏しますように? なんだか違うと思い直し、桜が幸せでいますように、と頭の中で唱える。
saku:いろんな屋台があるねー。
「準備中のもまだまだあるな」
saku:夜になったら、大賑わいだろうね。
「人の少ない今の方が、狙い目かもな」
まだ人もまばらな境内を歩く。スマートフォンを見つつ、ぶつぶつ呟きながら歩く高校生。随分気味の悪い光景だろうと思うが、桜がそばにいると思えば何も気にならない。むしろ、はしゃぐ彼女の様子が目の前に見えるようで、楽しい。くじ引き、ヨーヨー釣り、フランクフルト。わたあめを食べる小さな子どもたちとすれ違い、やがて一つの屋台の前で立ち止まる。
「メロンとイチゴください」
かき氷屋で、文也はそれぞれ一つずつ購入した。山盛りの氷が入ったカップを両手に持ち、神社の奥を目指す。木が茂る涼しい場所を見つけ、緑の塗料の剥げた古いベンチに座った。メロン味のかき氷を隣に置き、イチゴの方に口をつける。うすく汗をかいていた身体が、すっと涼やかさに冷えて心地よい。
saku:私の分なんか、いいのに。
saku:食べられないから、もったいないよ。
「残した分は、俺が食う。だからもったいなくなんかないよ」
隣に座る桜を感じつつ、スプーン型のストローを氷に突き立ててひたすら食べる。シャクシャクと爽やかな音が耳を打つ。今日も蝉が元気に鳴き、青い空には雲一つない。長閑な夏の昼下がり、文也はただかき氷を食べる。
saku:ふーはばかだなあ。二つも食べてお腹壊してもしらないよ。
しばらくして、そんなメッセージが届いた。文也は黙って食べ続ける。自分がいかに馬鹿なことをしているか、わかっているつもりだ。だが、買わずにはいられなかった。彼女が隣に居るのなら、彼女と一緒に楽しみたい。一つしかかき氷を買わないのは、彼女の存在を無視しているような、そんな気がしたのだ。
底に溜まったシロップを飲み干し、ようやく自分の分を食べ終わり、一息つく。カップを横に置いた。反対側を見ると、メロン味のかき氷はすっかりどろどろと溶けてしまっていた。
「桜、食べないのか」
背もたれにもたれ、膝にスマートフォンを置いて話をする。
saku:だから食べれないの。ふーが食べて。
「腹いっぱいになった」
saku:もったいないって言ったじゃん。ばか。
「そんなにバカバカ言うなよ」
空が、青い、青い、青い。怖いぐらいに青く広がり、恐ろしいほど生き生きとした夏を訴えている。まるで隣に居る桜を否定するかのように、季節はコントラストを濃くしている。弱く脆く儚い影を飲み込んで消してしまうような生に満ちている。
汗もかかない、かき氷も食べない、姿の見えない桜。彼女はこんなにも、存在しているのに。
saku:私ね。
その言葉の先を、文也は待った。それなのに、一向に桜は続きを送らない。だがなんとなく、それを知っているような気がする。それはどうにも苦しくて、呆然とするほどにやるせない。
溶けていくかき氷のカップを文也は手に取った。
「桜さ、俺のこと好きだったんだって」
安っぽいメロン味のシロップ。喉がひりつくほどに甘ったるい。「なに言ってるの?」そんな桜の素っ気ない言葉と混ぜれば、丁度いい甘さに中和される気がする。
「おばさんが言ってた。俺のことが好きでたまらないんだって」
saku:お母さん、なに言ってるの。
「好きになるのが怖いぐらいだったって」
saku:怖いわけないじゃんか。意味わかんないよ。
「俺の人生を無駄にしたくないから、付き合わなかったんだろ」
桜の返事が途切れた。文也も、かき氷を食べる手を止めた。
「無駄だなんて、どうして思うんだよ。桜がいる時間に、一秒だって無駄なんかない。その一秒があれば、俺は一生生きていけるよ」
だから、言ってくれないかなあ。伝え聞きではない、桜の言葉で。
saku:ふーのばか! ばかばかばか!
saku:恥ずかしいこと言わないでよ、もう!
それから桜の返事は途切れた。やっぱり言ってくれなかったか。それでも顔を真っ赤にして恥ずかしがる桜の姿を思うと、つい笑ってしまう。
文也は一気にカップの中身を飲み干した。鮮やかな冷たさに、頭の奥がじんと痺れた。
二日後の昼間、虎太郎から連絡があった。
タロウ:泉さん、まだ杉ヶ裏にいるって!
タロウ:それで、文也が会いたがってるっていって、電話番号教えてもらった!
やった、と思わず文也は声を上げた。正直、あまり期待はできないと思っていた。住民の平均年齢が上がっている杉ヶ裏から、若い家族は次々と引っ越して出ていく。だから彼女たちも例にもれず、既に引っ越して行き先がわからなくともおかしくはない。そう考えていたから、これは随分な朗報だ。
虎太郎から泉家の電話番号を聞いた翌日の昼間、文也は電話をかけた。緊張の最中、電話には狙い通り、少女の声が反応した。正午にかければ両親ではなく、夏休み中の彼女たちが出るのではと考えたのだ。親からの取り次ぎだと、ひと手間がかかるだろうという打算。
どちらさまと尋ねるのに、「覚えてるかな、月城文也です」と丁寧に返事をする。
「文也って、あの、一緒に遊んでた……」
「そう。えっと、今喋ってるのはどっち?」当時から文也には、双子の声の区別がついていない。一卵性双生児の彼女たちはそっくりで、服や髪型を揃えていれば、実際にこの目で見ても当てられる自信はない。
「葉澄だよ。夏澄は出かけてる」事前に重三から連絡があったおかげか、双子の妹にあまり驚く気配はなかった。「私たちと話したいって聞いたけど、どういうこと」
「昔のことで、聞きたいことがあるんだ。覚えてる? 俺たちとよく遊んでたこと」
「覚えてるよ。文也と、桜ちゃんもよく一緒にいたよね」
「そうそう」桜の名前が自動的に出てくるのに、思わず声が弾む。「当時のことで、聞きたいことがあってさ」
「なに?」
「長くなるから、直接会って話したいんだ。出来れば、二人一緒に」
少しの沈黙が下りる。二人はまだ中学二年生の女の子だ。昔の友人を装って騙している等を考えて、もしかしたら警戒しているのかもしれない。不安に思ったが、「お母さんに相談してみる」と葉澄は言った。
「私も、会えるなら久々に会いたい。宗像さんから話聞いてたし、いいって言うと思うけど」
ワンクッション挟むと、これだけスムーズにことが進むのか。文也はほっとしながら、重三と虎太郎に感謝する。
また後で連絡する、そう約束して葉澄は電話を切った。
後に双子の母親から電話がかかり、文也は約束を取り付けることに成功した。場所は、文也の住む橘町と、双子の住む杉ヶ裏町の中間地点にあるファミリーレストランで、午後の一時。「楽しみだね」と桜も乗り気になっている。
八月十日の水曜日、少し早めに到着し、店に入った。うだるような外の暑さが嘘のように、空調が冷たい風をがんがんと吐き出し、汗が一気に冷えていく。平日の店内は空いていて、ぱっと中を見渡すが、それらしき少女たちの姿はなかった。
ボックス席を選びアイスティーを飲みつつ、桜と他愛のない話をしていると、いつの間にか時刻は一時十分。ただの遅刻だろうか、それともなにか事故でもあったのか。少し不安に思い始めた頃、二人の少女が息せき切って店に入ってきた。彼女たちで間違いない。
文也が手を振ると、二人は駆け寄ってきた。
「ごめん! 電車の時刻表、見間違えて」
ポニーテールの女の子が両手を合わせる。
「いいよ、そんなに待ってないから」文也も立ち上がった。「こっちこそ、夏休みなのに時間取らせてごめん」
「わー、文也、背え伸びてる!」
ショートヘアの女の子が文也を見上げて嬉しそうに言った。「なんか雰囲気変わったなー」そうだろうかと不思議に思う。
取り合えず、ボックス席の向かいに二人を座らせた。
文也から見て左側にポニーテールの女の子、妹の葉澄。右側にショートヘアの女の子、姉の夏澄が並ぶ。一卵性双生児らしく、二人の顔形はそっくりで、くっきりとした二重瞼にくりくりの大きな瞳。笑うと右側にだけえくぼが出る。もし髪型を揃えれば、見分けはつかないだろう。平均的な身長も、ぱっと見に変わらない。
取り合えず何か頼むように言うと、姉の夏澄がメニュー表を開いた。
「なんにしよー。葉澄どうするん?」
「ええと。どうしようかな。あっ、ミックスジュースがいい」
「えー。あたしもそれにしようと思ったのに」
結局じゃんけんをし、三回続けてあいこを出した末、勝った葉澄がミックスジュース、負けた夏澄がオレンジジュースを頼んだ。同じものを頼めばいいのに、と思うが、そこは双子特有の問題があるのかもしれない。一人っ子の文也は黙っておく。
「すっごい懐かしいねー。何年ぶり? 六年だっけ」
「文也、もう高校生なんよね。大人やんか」
「どう、高校ってやっぱ楽しい?」
「そういえば、転校してからどうしてたん。今どこに住んでんの」
双子は少女らしくぺらぺらと喋り続ける。それは、文也のおぼろな記憶にある双子の姿と全く同じものだった。元気で明るくよく喋る。しかし一つだけ気がかりなことがある。
「夏澄って、そんな話し方だったっけ」
なんだか変な訛り言葉を使うのを指摘すると、「ほらね」とばかりに妹の葉澄が鼻を鳴らした。
「やっぱ変なんだよ。夏澄、ちゃんと喋りなってば」
「別に変じゃないし。あたしの個性、否定せんとってや」
「この子ね、なんかドラマとか映画とかいろいろ見て、変な喋り方が移っちゃったの。やめてって言ってるのに」
「だから変とか言わんとってくれる?」
たちまち言い争いを始めるのに、「ちょっと気になっただけだから」と文也が口を挟み、タイミング良く店員がそれぞれのジュースを持ってきた。それを飲んでいる間だけ、双子は大人しくなる。
自分が今は橘町に住んでいること、地元の高校に通っていることを手短に話し、「昔一緒に遊んでた時のこと、二人は覚えてるか」とさっさと本題を切り出した。
「覚えてる、と思うよ」
「毎日遊び惚けてたわ」
彼女たちにとって、それはまさに楽しい記憶であるらしい。思い返して、嬉しそうな顔をする。
「そういえば、文也、桜ちゃんが大好きやったよね。桜ちゃんが引っ越した時、めっちゃ落ち込んでたん覚えてる」
「そうそう。私らもニコイチだけど、文也たちもいっつも一緒だったよね」
「せっかくやし、桜ちゃんも呼べたらよかったのに」
「どこに引っ越しちゃったんだろね」
桜は、杉ヶ裏の誰にも行き先を告げずに引っ越した。それは文也も例外ではなく、桜に二度と会えない悲しみに、何日も泣いて過ごしたのを覚えている。
だから双子は、桜のことを今も何も知らない。
「桜さ、死んだんだよ」
夏澄と葉澄は同じ表情で驚愕し、ぴたりと動きを止めた。
「俺、中学で再会して、同じ高校に入ったんだ。けど、先月に病気で亡くなった」
「……嘘やん」夏澄が目をぱちくりさせた。
「嘘じゃない。俺はこんな嘘、吐かないよ」
二人は最初信じられない顔をしていたが、それを伝えたのが文也だったからだろう。悪い冗談ではないと理解したらしい。
葉澄が目元を拭い、夏澄が鼻をすするのに、文也はしまったと思う。
「ごめん、ショックだよな」彼女たちはまだ十四歳の女の子だ。自分たちが仲良くしていた友人の死を知って、大人な対応を取れる年齢ではない。
「でも、桜は近くにいるんだ」
「……どういう意味」目を潤ませる葉澄が不思議そうな表情をする。
文也は自分のスマートフォンを取り出し、リンクを立ち上げ、自分と桜のやり取りを見せる。今どきの中学生である二人は、その日付が最近のものだと知り、あり得ないことだとすぐに理解した。
「なんこれ、どういうこと」夏澄が目を擦って画面を見つめる。
「桜は死んだけど、まだ近くにいる。それで、俺とやり取りしてるんだ。向こうにいけていないんだ」
少しずつ、これまでのことを文也は噛み砕いて説明する。きっと桜には心残りがあること、それを探してムギを見つけたこと、タイムカプセルのこと。双子は神妙な面持ちで聞き入っている。
「それやったら、今も桜ちゃんは近くにおるの」
「俺の隣にいるはず。話しかけてくれたら、わかると思う」
双子は驚いて文也の横、窓側の席を凝視する。文也から見れば、颯介と薫子に相談した時と同じ光景だ。ただあの時とは、随分状況は変わった。もう少しだ、もう少しで先に進める。
「えーっと、桜ちゃん、ほんとにいるの?」
おずおずと葉澄が様子を覗う。テーブルの上で、スマートフォンが短く振動した。
saku:いるよ。二人とも、久しぶり。
桜からの返事に、夏澄と葉澄は画面と空席を幾度も交互に見つめた。「どういうこと?」夏澄が困惑する。「桜からの返事だよ」と文也は言うが、目をぱちくりさせている。
その後も二人は順番に桜に声をかけ、すぐに表示される返事に唖然とした。通っていた小学校の名前も、杉ヶ裏で遊んだ川の名前も、桜は正確に答える。
「文也が、なんか、こういう機能作ったんかと思ったけど、そんなわけないしなあ」
saku:ふーはそんなに器用じゃないよ。
メッセージを見て、二人は思わず笑う。
「文也が、桜ちゃんのことで騙したりするわけないしね」
「それこそ信じられへんもん」
文也のことを信じると、やがて双子は口をそろえて言った。
「確かに遊んだなあ、あの小屋があるとこやろ」
「かくれんぼ楽しかったのにね。壊されたの知らなかった」
四人で遊んだことを双子は懐かしそうに思い返す。
「でも、イチョウの木かあ……。覚えてはいるけど、場所はどうだろ」
葉澄の言葉に夏澄も難しい顔をする。
「秋にイチョウの葉っぱ集めて、布団みたいにしたん覚えとる。どこやったかなあ」
「やっぱりどの木かっていうのは、わからないよな」
文也も懸命に当時のことを思いだす。すると、「あっ」と葉澄が顔を明るくした。
「私たちさ、いっつも喧嘩してたじゃん。どっちが背高いかとか。それで、ハサミで木に印付けたよね」
夏澄もぱちんと手を叩く。
「そやった! 家の柱につけたらめっちゃ怒られるから、ハサミ持ってってやったなあ」
「木に傷つけてたのか」
双子は頷いた。重三の「悪ガキたち」という言葉を思い出す。自分たちはやはり悪ガキだったみたいだ。
「だから、傷のある木を探せばいいと思う」
葉澄は目を輝かせた。しかし夏澄はオレンジジュースを一口飲み、「でも」と眉をひそめた。
「木って、やっぱ成長するやん。もう見えんぐらい高いとこなんやないかな」
「言ってたな。二年で一メートル伸びるって」
「そんなに?」葉澄が素っ頓狂な声を上げた。「じゃあ、もう見えなくなってるじゃん」
「あの頃のまま、傷が残っとるとも限らんしね」
双子はため息をつき、文也も腕を組んで考える。いい線だと思ったのだが、やはりそこには無理がある。三人は黙り込んでしまう。
「……でも、見つけんと、桜ちゃん可哀想やもんなあ」
夏澄がぽつりと言い、葉澄も頷いた。
「それにしても二人だけでタイムカプセルなんて、青春じゃん、文也」青春真っ只中の葉澄は羨ましそうな顔をする。
「それって、どっちから言いだしたん?」
「確か、桜からだったはず」
「桜ちゃん、引っ越すのわかってて、文也と約束したかったんだろうね」
桜と母の律子は、引っ越すというより、家から逃げた。夫は気に入らないことがあれば物にあたり、妻にあたり、遂に病弱な娘にまで暴力をふるった。可愛い桜の頬の痣を見て、文也は幼いながらに猛烈な怒りを感じたものだ。家に帰りたくないと泣きじゃくる桜を慰める時は、心が痛んで一緒に泣いた。
そしてタイムカプセルを埋めた翌日、桜は母親と共にいなくなった。
夫は怒り狂い、妻子の居所を吐けと杉ヶ裏中の住人に問い詰めたが、そもそも誰も行き先を知らなかった。律子は近隣への迷惑よりも、娘の無事を優先した。それは当然だと誰もが思ったから、母娘を責める者は現れなかった。
すぐに夫も姿を消し、あの家は無人となった。
「可哀想やったけど……どうしてもまた会いたかったんやなあ」
タイムカプセルがあれば、必ずまた会える。桜の思いの丈を知り、改めて文也も苦しくなる。桜は今、何も言わない。恥ずかしがっているのだろうか。
「きっと桜の心残りはこれだから、どうしても見つけたいんだ」
「そうだね」
「でも、どうしたらええんやろ。片っ端から掘り起こすしかないんかなあ」
三人のグラスの氷はすっかり溶けた。水っぽいドリンクをそれぞれ少しずつ飲みながら、当時のことをぽつりぽつりと語り合う。少し湿っぽくなった空気も、当時を思い出せば笑い声も出てくる。当時からいたずら好きで明るい双子は、けらけらと笑う。
「まさか、文也から連絡が来るなんて、思わんかったわ」
「そうじゃないと、忘れてく一方だったかもね」
彼女たちによれば、当時一緒に遊んだ子どもたちは、ほとんどが既に杉ヶ裏を出て行ったそうだ。もう連絡先もわからないという。
「スマホなんかなくても、遊べてたからな」
機械が無くても無限に時間を潰せていた。すごいことだなと改めて思う。
「でももったいないよね。連絡先どころか写真も残せないんだもん。スマホがあればパシャってすぐに撮って見返せるのに」両手の指で四角形を作り、葉澄は写真を撮る真似事をする。
「あっ!」
唐突に夏澄が声を上げた。その顔はぱっと輝いている。
「そうや、写真や!」
「夏澄、うるさいよ」
「うちら、おもちゃのカメラ持っとったやん。トイカメラってやつ!」
はてな、という顔をしていた葉澄も思い出したのか、「ピンクの?」と声を弾ませた。
「そうそう、そんで一台しか買ってもらえんかったから、いっつも取り合いしてたやん」
「してたしてた! すぐ飽きちゃったけど」
盛り上がる双子に「カメラ?」と文也は呟いた。
「文也、覚えてない? うちら、首から下げてたやん」
「言われれば、そんな気もするけど……」記憶の中でカメラを下げる少女が、どっちだったのかも思い出せない。「あれって、おもちゃだろ」
「ただのおもちゃじゃないねん。ちゃんとSDにデータ残せるやつ」
「そんないいものだったのか」
「だから一台しか買ってもらえなかったの。高いし、いつ壊すかわからないって言われて」
なるほど、写真か。それなら手がかりになるかもしれない。
「それ、今も家にあるのか」
「捨てた覚えないから、探せば出てくると思う。なんの写真撮ってたか全然覚えてないけど」
「うわー、懐かし! ほんま、すぐ飽きたから思い出せんかったけど」
「飽きっぽいから一台だけだったんだね」
彼女たちがはしゃぐ様子に、それが最後の望みのように文也にも思えた。もし、桜との約束の場所が写っていれば、それを手がかりに探すことができる。
「悪いけど、探してもらってもいいか」
「うん、データ残ってるって約束は出来ないけど」
「それは仕方ないよ。ただ見つかったらすごく助かる」
「ほんなら、さっさと帰って探そや、葉澄!」夏澄は水っぽいジュースを全て飲み干した。「見つかったら送るから、文也、連絡先教えてや」
連絡先を交換すると、善は急げとばかりに二人は帰り支度を始める。
店から出て、夏の日差しに負けず生き生きとした彼女たちを、文也は駅まで見送った。
「それじゃあ、ありがとな。気を付けて帰れよ」
「文也も桜ちゃんも、気を付けてねー」
「ほんなら、ばいばーい」
改札を抜けると、双子は元気よく手を振った。階段を上る後ろ姿が見えなくなると、文也も反対方面のホームに向かう。
「めちゃくちゃ元気だな、あの子ら」
saku:嵐みたいだったね。
saku:でも、変わってなくてよかった。
まさか苗字も忘れていた泉姉妹との縁が復活するだなんて、これまで微塵も思わなかった。それでもみんなが、桜の思い残しのために協力してくれている。あと少し、もう少しだ。文也も階段を上った。