杉ヶ裏は山に囲まれている。中でも各々の家から近く、子どもでも登れる小山が、二人の主な遊び場だった。近所の他の子どもたちともかくれんぼや鬼ごっこをして遊んだが、二人きりで遊ぶ時間も長かった。そんな時にはしょっちゅう、一番高く大きなイチョウの木の下にいた。随分オープンだが、二人にとっての秘密基地とも呼べる場所。そこで色鮮やかな葉っぱを拾ったり、虫をつかまえたり、内緒話をしたり。多種多様な遊びを作っては、毎日を過ごしていた。
今日は、以前来た時よりも日差しが強い。照りつける太陽の下、暑い暑いと言いながら小さな町を歩く。すれ違う人は少なく、歩いている野良猫の方が多いくらいだ。彼らも暑さから逃れるように、日陰を選んで歩を進め、軒下の陰で休んでいる。
桜の住んでいた家の前を通り、小学校を通り過ぎ、町役場を向こうに見て、小山に辿り着いた。踏み固められてはいるが、獣道と大差ない小道が上へと伸びている。
「確か、ここから登るんだ」
その道から二人は山の中に足を踏み入れた。木々が生い茂っているおかげで日差しが遮られ、少しだけ涼しい風が吹く。それでもシャワーのように蝉の鳴き声が降り注ぎ、鼓膜を越えて頭の中まで真夏が押し寄せる。
「片側に斜面があって……」
うろ覚えの記憶に頼り、やがて西側が下りの斜面になる場所へ出た。下った先は家々が密集する隣町だ。緩やかに登りながら、きょろきょろと辺りを見渡す。
「斜面だけじゃ、範囲広すぎるぞ」
颯介の正論に、当時の歩幅を懸命に思い出す。だが、小学二年生の歩幅と高校一年生の歩幅はあまりに違い過ぎた。目線の高さもまるきり違う。当時の景色を思い出しても、今とは全く異なる可能性が高い。
「イチョウの木だよ。一番高い」
「……この辺、だいたいイチョウの木みたいだけど」
颯介が、地面に落ちている緑の葉を拾った。左右に割れた、特徴のあるイチョウの葉。それらが無数に落ちている。辺りに立っているのは、大体が同じ種の木のようだった。見上げて高さを知ろうにもどれが一番高いのか判然としないし、当時よりもずっと成長しているはず。まるで見当がつかない。
「桜、どこかわかるか」
汗を拭ってスマートフォンを覗いた。かろうじてアンテナは立っている。しかし桜も困惑していた。
saku:どの木だろう。同じような木が多くて、思い出せない。
途方に暮れて、二人は立ち止まった。すぐそばで桜も戸惑っているに違いない。相変わらず蝉の鳴き声がうるさく響き、夏特有の生気が山の中には満ちている。命が精いっぱい喚き、ここぞとばかりに主張している。
「タイムカプセルどころじゃないな」
颯介がぽつりと呟き、文也もため息をついた。あたり一帯の地面を掘り返すわけにもいかない。そんなのは無茶だ。しかし掘り当てないと目的は果たせない。
しばらく歩いてみたが進展はなく、仕方なく下ろうかと話をつけた頃、ガサガサと足音が近づいてきた。
咄嗟に身構える二人に、足音は真っ直ぐ駆けてくる。ただそれは人間の二本足ではなく、恐らく四つ足の、軽い動物のものだ。この低い山に、足音を立てる動物なんていただろうか。クマやオオカミではあるまいし。不審感を覚える。
しかし木々の陰から姿を現した彼には、二人とも見覚えがあった。「ムギ!」と思わず声をそろえる。先日知り合ったばかりの柴犬が、わんわんと吠えながら飛びついてくる。茶色い毛皮が木漏れ日を浴び、赤色の首輪からは、青いリードが伸びていた。屈んで受け止めると嬉しそうに舌を出し、こちらの手をぺろぺろと舐めてくる。ムギは千切れんばかりに尾を振って喜んでいる。
家から逃げ出したのかと思ったが、蝉の鳴き声の隙間から、「おーい」と呼びかける声が聞こえてくる。「ムギー、帰ってこーい」その間延びした声に、文也は聞き覚えがあった。
がさがさと枝葉をかき分けて姿を見せたのは、文也と同じクラスの虎太郎だった。
文也はもちろん、虎太郎の方も驚いて目を見張っている。「え、なんで?」と心の声が漏れている。白いシャツに黒いジーンズの私服姿の彼を、文也は初めて目にした。そもそも学校の外でクラスメイトに会うのは初めてだった。
「文也、だよね。うちのクラスの」
「鞍馬、なんでここに居るんだ」
仰天する二人を見て、颯介も「知り合い?」と当惑する。
「同じクラスの……ていうか、なにしてんだ」
「いや、それはこっちの台詞だって」取り合えず、虎太郎はムギのリードの端を握り締める。ムギはぶんぶんと尻尾を振りながら、今は逃げずに大人しくしていた。「ムギが急に走り出したから、追っかけて来たんだけど」
「やっぱりこいつ、ムギだよな」文也は犬の頭に触れる。「なんで鞍馬が散歩させてるんだ」
「なんでって、うちの犬だから」
その言葉に、文也と颯介は目を丸くする。「ムギって、宗像さん家の犬だろ」
「ああ、うちの犬っていうか、オレの爺ちゃんの犬」文也の言葉に、虎太郎はさもありなんという顔をした。「文也こそ、なんでムギのこと知ってんの」
やがて分かったのは、宗像重三は鞍馬虎太郎の祖父であり、田舎に遊びに来ていた虎太郎がムギを山に散歩させに来ていたとのことだった。母方の祖父だから、苗字が違うのだという。そりゃあ気づかないわけだと文也は思うし、思わぬ偶然に驚愕する。
「なるほど。ムギを探しに来た高校生がいたって、言ってたなあ。文也のことだったのか」ようやく納得した様子で、虎太郎は笑った。「それで、二人は、友だち?」
文也が颯介を紹介すると、「本貸してくれてる人だ」と虎太郎は手を打つ。賢そうだからピンと来たらしい。
「そんで、なんで二人ともこんなとこにいんの」
「なんていうか、その……俺、子どもの頃、杉ヶ裏に住んでてさ。その時埋めた忘れ物を探しに来たんだよ」
「忘れ物ねえ」
「この辺りだったと思うんだけど、どこを掘ればいいかわかんねえんだ」
ふんふんと頷いていた虎太郎は、「じゃあ」と提案する。
「爺ちゃんに聞いてみる? ここ、爺ちゃんが持ってる山だから、なんかわかるかもよ」
文也と颯介は顔を見合わせた。これは願ってもない偶然だ。思わぬ解決の糸口が見つかったかもしれない。二人は虎太郎について行くことにした。
今日は、以前来た時よりも日差しが強い。照りつける太陽の下、暑い暑いと言いながら小さな町を歩く。すれ違う人は少なく、歩いている野良猫の方が多いくらいだ。彼らも暑さから逃れるように、日陰を選んで歩を進め、軒下の陰で休んでいる。
桜の住んでいた家の前を通り、小学校を通り過ぎ、町役場を向こうに見て、小山に辿り着いた。踏み固められてはいるが、獣道と大差ない小道が上へと伸びている。
「確か、ここから登るんだ」
その道から二人は山の中に足を踏み入れた。木々が生い茂っているおかげで日差しが遮られ、少しだけ涼しい風が吹く。それでもシャワーのように蝉の鳴き声が降り注ぎ、鼓膜を越えて頭の中まで真夏が押し寄せる。
「片側に斜面があって……」
うろ覚えの記憶に頼り、やがて西側が下りの斜面になる場所へ出た。下った先は家々が密集する隣町だ。緩やかに登りながら、きょろきょろと辺りを見渡す。
「斜面だけじゃ、範囲広すぎるぞ」
颯介の正論に、当時の歩幅を懸命に思い出す。だが、小学二年生の歩幅と高校一年生の歩幅はあまりに違い過ぎた。目線の高さもまるきり違う。当時の景色を思い出しても、今とは全く異なる可能性が高い。
「イチョウの木だよ。一番高い」
「……この辺、だいたいイチョウの木みたいだけど」
颯介が、地面に落ちている緑の葉を拾った。左右に割れた、特徴のあるイチョウの葉。それらが無数に落ちている。辺りに立っているのは、大体が同じ種の木のようだった。見上げて高さを知ろうにもどれが一番高いのか判然としないし、当時よりもずっと成長しているはず。まるで見当がつかない。
「桜、どこかわかるか」
汗を拭ってスマートフォンを覗いた。かろうじてアンテナは立っている。しかし桜も困惑していた。
saku:どの木だろう。同じような木が多くて、思い出せない。
途方に暮れて、二人は立ち止まった。すぐそばで桜も戸惑っているに違いない。相変わらず蝉の鳴き声がうるさく響き、夏特有の生気が山の中には満ちている。命が精いっぱい喚き、ここぞとばかりに主張している。
「タイムカプセルどころじゃないな」
颯介がぽつりと呟き、文也もため息をついた。あたり一帯の地面を掘り返すわけにもいかない。そんなのは無茶だ。しかし掘り当てないと目的は果たせない。
しばらく歩いてみたが進展はなく、仕方なく下ろうかと話をつけた頃、ガサガサと足音が近づいてきた。
咄嗟に身構える二人に、足音は真っ直ぐ駆けてくる。ただそれは人間の二本足ではなく、恐らく四つ足の、軽い動物のものだ。この低い山に、足音を立てる動物なんていただろうか。クマやオオカミではあるまいし。不審感を覚える。
しかし木々の陰から姿を現した彼には、二人とも見覚えがあった。「ムギ!」と思わず声をそろえる。先日知り合ったばかりの柴犬が、わんわんと吠えながら飛びついてくる。茶色い毛皮が木漏れ日を浴び、赤色の首輪からは、青いリードが伸びていた。屈んで受け止めると嬉しそうに舌を出し、こちらの手をぺろぺろと舐めてくる。ムギは千切れんばかりに尾を振って喜んでいる。
家から逃げ出したのかと思ったが、蝉の鳴き声の隙間から、「おーい」と呼びかける声が聞こえてくる。「ムギー、帰ってこーい」その間延びした声に、文也は聞き覚えがあった。
がさがさと枝葉をかき分けて姿を見せたのは、文也と同じクラスの虎太郎だった。
文也はもちろん、虎太郎の方も驚いて目を見張っている。「え、なんで?」と心の声が漏れている。白いシャツに黒いジーンズの私服姿の彼を、文也は初めて目にした。そもそも学校の外でクラスメイトに会うのは初めてだった。
「文也、だよね。うちのクラスの」
「鞍馬、なんでここに居るんだ」
仰天する二人を見て、颯介も「知り合い?」と当惑する。
「同じクラスの……ていうか、なにしてんだ」
「いや、それはこっちの台詞だって」取り合えず、虎太郎はムギのリードの端を握り締める。ムギはぶんぶんと尻尾を振りながら、今は逃げずに大人しくしていた。「ムギが急に走り出したから、追っかけて来たんだけど」
「やっぱりこいつ、ムギだよな」文也は犬の頭に触れる。「なんで鞍馬が散歩させてるんだ」
「なんでって、うちの犬だから」
その言葉に、文也と颯介は目を丸くする。「ムギって、宗像さん家の犬だろ」
「ああ、うちの犬っていうか、オレの爺ちゃんの犬」文也の言葉に、虎太郎はさもありなんという顔をした。「文也こそ、なんでムギのこと知ってんの」
やがて分かったのは、宗像重三は鞍馬虎太郎の祖父であり、田舎に遊びに来ていた虎太郎がムギを山に散歩させに来ていたとのことだった。母方の祖父だから、苗字が違うのだという。そりゃあ気づかないわけだと文也は思うし、思わぬ偶然に驚愕する。
「なるほど。ムギを探しに来た高校生がいたって、言ってたなあ。文也のことだったのか」ようやく納得した様子で、虎太郎は笑った。「それで、二人は、友だち?」
文也が颯介を紹介すると、「本貸してくれてる人だ」と虎太郎は手を打つ。賢そうだからピンと来たらしい。
「そんで、なんで二人ともこんなとこにいんの」
「なんていうか、その……俺、子どもの頃、杉ヶ裏に住んでてさ。その時埋めた忘れ物を探しに来たんだよ」
「忘れ物ねえ」
「この辺りだったと思うんだけど、どこを掘ればいいかわかんねえんだ」
ふんふんと頷いていた虎太郎は、「じゃあ」と提案する。
「爺ちゃんに聞いてみる? ここ、爺ちゃんが持ってる山だから、なんかわかるかもよ」
文也と颯介は顔を見合わせた。これは願ってもない偶然だ。思わぬ解決の糸口が見つかったかもしれない。二人は虎太郎について行くことにした。