それから再び桜を車椅子に座らせ、海岸線の先にある公園に向かった。海辺の大きな公園には、子ども連れの家族や若いカップル、学生の友人グループといった人々が思い思いに時間を過ごしていた。
 日差しは強すぎず、海風も柔らかく穏やかで、四人は東屋のベンチに座ってのんびりとお喋りをする。遊園地やファストフード店に行かずともここまで寛げるのは、気の置けない者同士だからだろう。この四人でいられるなら、あとはどうなっても構わないとまで、文也は思う。
「そうだ、ねえ、写真撮ろうよ」
 ようやく会話が途切れた時分、薫子が思い出した顔をして自分のショルダーバッグに手を入れた。デジタルカメラを取り出す。
「カメラ持ってきたから、記念撮影しよう」
 さすが準備のいいことだ。三人ももちろん賛成し、テーブルの上にカメラを固定しタイマーをかける。
「ふー、もうちょっと寄ってよ」
「限界だって」
「フミ、ちゃんと笑えよー」
「わかってるよ」
 桜と薫子を挟み、三人掛けのベンチに無理に四人座る。「ほらほら、瞬きしちゃだめだよ」薫子が言い、皆が正面を向いた数秒後、シャッター音が鳴った。
 カメラを全員で覗き込み、撮ったばかりの写真を確認する。どこか緊張しながらも楽しげな表情を見て、笑いながら更に二枚撮影する。
「写真、後でみんなに送るからね」
 無事に三枚の記念写真を撮り終えると、薫子は嬉しそうに言った。
 しばらく和やかな時間を過ごし、四人は公園を散策することにした。遊具のある遊び場を離れ、遊歩道をゆっくり歩く。文也は桜の車椅子を押す。
「今日、晴れてよかったね」桜が右手をかざして空を見上げた。
「そうだなー。雨降ったら来れなかったよな」
「天気予報は晴れって言ってたけど、梅雨だしちょっと不安だった」
「昨日も天気怪しかったしな」
 桜と文也は話ながら、歩道の脇に紫陽花を見つける。ピンク色の花がふっくらと咲いているのに、思わず立ち止まる。
「おーい、フミ、桜ちゃん!」
 振り向くと、後ろを歩いていたはずの颯介と薫子が、少し離れた後方で足を止めていた。薫子は先ほどのカメラを手にしている。
「撮るよー」
 彼の言葉に、文也と桜は慌てて二人の方に引き返そうとしたが、薫子がすでにカメラを構えていたので取り合えず撮られることにした。反射的にピースをする。
「フミ、顔強張ってるよ」
 薫子とカメラを覗き込み、颯介が笑いながら言った。
「なんだよ急に。撮るなら全員で……」
「じゃあ次、右手上げてピースして」
 文也の台詞を無視し、颯介は自分の片手を上げてピースをした。どうやら彼らは、自分たちの記念写真を撮ってくれるらしい。
 それならと顔を見合わせた。桜は戸惑っているが、文也が言われたとおりのポーズを取ると同じように真似をする。
「フミ、桜ちゃんの後ろに立って。いくよー」
 颯介が軽く手を振り、薫子がシャッターを切る。「いつまでやるんだよ」と言いつつも、文也は次第に乗り気になり、桜も楽しそうに笑う。せっかくのデートだ、二人きりの写真を撮ってもらえるのはこの機会しかない。
「二人とも身体ごと横向いて」
 言われた通り、桜も車椅子の角度を変えた。
「向かい合って、フミ、ちょっと屈んで。……撮るよー。キスしてー」
 思わぬ台詞に文也は固まった。桜もぎょっとして目を見開いている。
「そーすけ、どさくさに何言ってんだよ」
「あれ、二人とも付き合ってるんじゃなかったっけ」
「そうはいっても……」
 俺たちのペースがある、と言いかけて文也は口をつぐんだ。付き合い始めたとはいえ、言動に何の変化も現れない自分たち。それでもいいとは思っているが、それはもしかして、踏み出す勇気がないだけではないだろうか。先走って桜に嫌われたくなくて、避けて通っているのでは。
 桜は動転して目をぱちくりさせている。彼女も同じ思いなのだろう。弱りながら文也は颯介たちの方を見るが、彼は容赦がない。「はやくはやく」などと焦らせる。
 入試の面接など比にならない壮絶な緊張が訪れ、心臓が早鐘のように鼓動を打つ。桜の顔は既に赤く、その手はスカートの膝を強く握りしめている。それでも、颯介に文句を言うでもなく、ただじっと待っている。
 待っている。
 文也は、ありったけの勇気を振り絞った。
 写真が撮れるよう、約二秒だけその体勢で固まる。ただ触れ合わせるだけの二秒間。唐突に現れた時間。桜を今までになく近くに感じた。
 顔を離すと、桜は告白を受け入れた時のように、真っ赤な顔を両手で覆った。もしかして嫌だったのかとも不安になったが、すぐに手を離し、恥ずかしそうに笑う。
「……颯介くんて、意外とばかなんだね」
 囁く声に文也も笑った。
「だって、俺の仲良しだぜ」
「そうだね。そうだった」
 颯介と薫子は、一歩を踏み出すきっかけをくれた。そして自分たちは、互いに一歩を踏み出した。この事実が嬉しくて、恥ずかしくて、幸せで。今日のことは決して忘れないだろう。これからも、もっと幸せなことが待っているだろう。そう思えた。

 陽が傾き始め、四人は公園を出て帰路に着く。右手に海が見える道。車椅子のグリップを握りゆっくりと押しながら、今度は文也が提案した。
「七月さ、七夕祭りがあるだろ。あれ行こうぜ」
 普段の通学路の道すがら、約三週間後の七月七日に催される祭りのポスターを見かけていた。「屋台とか出るんだって」
「七夕祭りかあ。いいなあ」早くも桜は嬉しそうな顔をする。
「僕は行きたいけど……薫子さんはどう」
「私も、みんなが行くなら是非行きたい。でも、桜ちゃん、屋台で食べるのって大丈夫なの」
 彼女の気遣いに、桜は頷いた。
「食べ物ばかりじゃないと思うし、私、お祭りの雰囲気が好きなの。居るだけでわくわくしちゃう」
 それならばと、四人は約束をした。今度の七夕の日に、また集まろう。
「次は、自分で歩けたらいいな」
 再び進み始めると、桜は車椅子を押す文也にしか聞こえない声量で言った。細い歩道なので、颯介と薫子は後ろに並んでお喋りをしている。
「もし私が動けなかったら、ふーはまた、車椅子押してくれる?」
「いくらでも押すよ。桜と一緒に行けるなら、喜んで押す」だから、と文也は続ける。「無理は絶対するなよ。そりゃあ、元気になって歩けるなら全然かまわないんだけど。俺は、これからも桜といたいんだ。だから辛い時はちゃんと言って、我慢なんかするなよ」
 生きてさえいてくれればいい。願わくば元気でいて欲しいが、とにかく桜には生きていてほしい。
「……うん」桜は頷く。「本当に、私のこと、大切にしてくれてるんだね」
「だって桜が好きなんだから、当然だろ」
 いつもの台詞に、桜はもう一度大きく頷いた。
「ふー、ありがとう」
 夕焼けの中で振り向く彼女の笑顔は、何よりも温かく優しく、見惚れるほどに美しかった。