【6】四十九日前

 多種多様な生物が地球上に存在することを、生物多様性、なんて呼ぶらしいけれど。
 僕は疑問を感じずにはいられない。
 多様な生物が共存することを良しとされているのであれば、なぜ強者生存、弱肉強食なんていう言葉があるのだろうか。
 その多様性の中に、弱い者は入れてもらえていないのだろうか。
 弱い者を切り落とし、より強い者だけが生き残り、さらにふるいにかけられて落とされて、そうやって残った勝ち組の中の多様性を、僕らは見ているだけなのだろうか。
 だとすれば。
 三十三人というクラスの中で、ろくに友達もおらず、意思表示もまともにできない、圧倒的マイノリティの僕は、認められない存在なのだろう。
「はい、それじゃあ修学旅行の班決めしまーす。男女混合で四人、もしくは五人グループを作ってくださーい」
 そんな風に、僕はいつもこの「グループ分け」というイベントが発生するたびに思い、くさっている。
 適当に番号順、もしくは偶数奇数で割り振ってくれればいいのに、高校生活最大の思い出、とかなんだと銘打たれて、班分けは生徒主導で行われることになっていた。
 いつも通りであれば、僕はどこかの班の片隅に押し込まれるように入れられて、イベント当日には忍者もかくやという気配の消しっぷりを見せて、フェードアウトするのが定石だ。
「よっし、じゃあ藤堂君は私達と一緒の班になろっか!」
 しかし織江さんが元気たっぷりに言ったことで、事態はとてもややこしいことになった。
 織江さんは当然、四季宮さんとペアを組んでいたし、彼女たちと一緒のグループになりたい男子は多かった。女子だって、旅行先で彼女たちのグループと合流して、一緒に回りたいと思っていたかもしれない。
 そんな中に突然現れた、異物。
 目立たず、薄い、白湯みたいなやつ。
 毒にも薬にもならないけれど、修学旅行先で進んで共に行動しようとは思えない。
 そういう存在、藤堂真崎の突然の登場に、クラス内は不思議な雰囲気に包まれた。
「なんでそいつ?」という言葉が飛び出さなかったのは、このクラスの皆が優しいからなのだろう。ただ、視線と雰囲気はちくちくと僕を刺していた。普段ひっそりと、観葉植物のように過ごしている僕には耐えがたい空気だった。
「なによー、みんなしてこっち見てー。見せもんじゃないぞー。ね、藤堂君」
「なんで僕に振るんですか」
「む? 特に理由はないぞよ」
 ちくしょう、やっぱり苦手だこの人……。
「茜ちゃんも、藤堂君と一緒がいーよね?」
「わ、私は……真崎君が、嫌じゃなければ……」
 視線は僕から外したまま、四季宮さんは小さく言った。
 結局あれ以来、僕たちはろくに会話を交わしていなかった。正確には、一度互いに謝罪をかわしはしたのだけれど、それからも特に状況が改善することはなかった。
 織江さんも「こればっかりは二人の問題だから、あんまり私が出しゃばってもにゃー」と、見守る姿勢のようだ。
 そんな彼女が考えてくれたのが、こうして修学旅行で一緒の班になって、強制的に話せる場を作ろう! という作戦だったわけだ。
「嫌じゃ、ないですよ……」
「そ、そっか……なら、よかった……」
 たどたどしく会話する僕たちを見て、織江さんが何とも言えない表情を浮かべていた。「えーい、じれったいじれったいもどかしい! さっさと仲直りしろよバッカやろー!」という心の叫びが聞こえてきそうだ。
 待ってください織江さん、必ず、修学旅行中には必ず、四季宮さんと仲直りしますから……。
 それよりも、と、僕は周囲を見渡す。
 目下の問題は、こちらではないだろうか。
 グループは、四~五人の男女混合で、という話だった。僕たちのグループは、四季宮さん、織江さん、僕の計三人。男女混合の条件は満たしているが、いかんせん人数が足りない。
 しかも、僕という異物が入り込んだことで、男子が僕たちのグループに入り込み辛くなっているようだった。
「あの、織江さん。やっぱり僕は抜けた方がいいんじゃ……」
「ふむ、藤堂君はバカなのかな?」
 そこまでストレートに言われると、逆に清々しい。
「それじゃなーんの意味もないでしょーよ。だいじょーぶ、手は打ってあるから!」
「手……?」
「神の一手ってやつさ」
 きらーん、と効果音が尽きそうなキメ顔で言う。依然として苦手だけど、見てて飽きない人だ。噛めば噛むほど味が出るところが、どことなくスルメに似ている。
「っにしても遅いなー。そろそろ来てくれないと、困るんだけど――」
 とその時。
 教室の扉ががらがらと開いて、気だるそうな生徒が入って来た。
 徹夜明けなのだろう、今にも閉じそうな半目をこすりながら、かかとを踏んだ上履きを引きずって、だけど気負うことなく、堂々と。
 因みに余談だけれど、今は六限目が終わった後のホームルームの時間で、あと三十分もすれば下校時間になる。
 そんな時間に登校してくる生徒を、僕は一人しか知らなかった。
「御影……?」
「よぉ、おはよ」
「おっそいよ、こーちゃん!」
 こーちゃん? ああ、そういえば御影の下の名前って、浩二(こうじ)だったけ。でも、どうして織江さんが御影のことを愛称で呼んでいるんだ?
「るさいなあ、織江。徹夜で仕事してたんだから仕方ねーだろ。来ただけ感謝して欲しーんだが」
 お、織江……? こっちはこっちで呼び捨てなのか?
「あー、また生活リズムぐちゃぐちゃになっとるんでしょー。許さんからね。私、今度抜き打ちで家に押し掛けるからね」
「くんな、まじでくんな」
「え、えーっと……?」
 色々と理解が追い付いていない僕と……恐らく僕と同じ状況であろう、目をぱちくりさせている四季宮さんに、織江さんはばっちりとVサインをかました。
「よっし、これで四人一班できたね! 修学旅行は、この四人で回るってことで、けってーい!」

 話を聞くところによると、御影と織江さんは幼馴染らしかった。なんでも、親同士が大学の友人らしい。小・中と別の学区に通っていたが、高校になって家が引っ越したことで、高校も同じところに通うことになったのだとか。
「そうなんだ、私、全然知らなかったよ」
「学校じゃ話しかけんなって言われてたからねー。遅めの反抗期が来たみたい。かわいいやつー」
 やはは、と笑う織江さん。普通そんなこと言われたら、仲が悪くなって、疎遠になって、そのうち会話すらしなくなるだろうに、変わった人だ。
 それにしても御影のやつ……。女子との接点が皆無とか言って、がっつりあるじゃないか。
「織江さんが、御影を呼んでくれたんですか?」
「そだよん。修学旅行が最低四人一班っていうのは、事前に先生から情報仕入れてたからね。私ってばかっしこーい!」
「僕と御影が友達ってことも、知ってたんですか?」
「もちもち。こーちゃんの唯一の友達だもん。まあ、こーちゃんには学校ではあんまり干渉しないようにしてたから、藤堂君にも話しかけ辛かったんだけどねー」
 そうだったのか。にしても、御影はよくその要求を飲んでくれたものだ。
 窓から見える職員室に目を向ける。
 僕たちは今、先生に呼び出された御影のことを待っているところだった。
 大遅刻した上に、急きょ修学旅行に参加することになった御影は、当然のように担任の先生に連れて行かれ……。かれこれ三十分くらい、帰ってきていない。
 あいつなら、こうなることは分かっていただろうに……どうして来てくれたんだろうか。
 結局あれから、御影が来たことによって班分けはスムーズに進行し、ホームルームは無事に終了。放課後の教室には、僕たち三人以外、誰も残っていなかった。
「ねねね、茜ちゃん、京都どこ周りたい? やっぱり金閣寺は鉄板? でも清水寺も観てみたいよねー。嵐山ってとこにも行ってみたいなー」
「もー、織江ちゃん欲張りすぎだよー。ほらみて? どれも結構、離れてるんだよ?」
「ぐえー、ほんとだー。これじゃ全部回れないじゃーん。どうせなら全部隣に建ててくれればいいのにねー」
「それは風情がなくない?」
「えー、だって一気に見られてお得じゃん? 藤堂君もそう思うっしょー?」
 頭の中でイメージしてみる。
 金閣寺を始めとする京都の有名な建物が、ずらりと横に並んでいる。
 一歩進んで銀閣寺、三歩進んで祇園四条。
 ……うん、ないな、これはない。
「得ならいいって考えは、捨てた方がいいと思いますよ」
 ぶふっ、と吹き出す音がした。
 見れば四季宮さんが口元を両手で抑えて、肩を震わせている。
「え、今のそんなに面白かった?」
 と織江さん。そんな怪訝そうな顔で僕を見られても……。
「ウケを狙ったつもりはないですね」
「だよねー。茜ちゃん、たまにツボが分かんないんだよなあ」
「ちっ、ちがうの……。なんか、真崎君がツッコんでると面白くて……」
 息も絶え絶えにそれだけ言うと、四季宮さんは涙をぬぐった。
 四季宮さんの笑顔を見たのは、ずいぶんと久しぶりな気がした。なんの影もなく、屈託なく笑う四季宮さんを見ていると、なんだか僕も嬉しくなった。
「あー、かったる! びっくりするくらい絞られたわ」
 しばらくすると、投げやりなセリフと共に、御影が職員室から戻ってきた。
 どさりと僕の隣の席に腰かけ、机の上にばてた野良犬みたいに突っ伏した。
「おっつかれ、こーちゃん。修学旅行、来られそう?」
「ったりめーよ。すげー量の課題と引き換えに参加権もぎ取ってきてやったわ」
「あはは、課題は自業自得だよねえ」
 うっせえ。と軽口をたたき合っていた御影は、僕の視線に気づいてこちらを向いた。
「ん、なんだよ真崎、しけたツラして」
「いや……その……ありがとな」
「あん?」
「修学旅行、来てくれて……」
 御影はきっと、織江さんから聞いたのだろう。僕と四季宮さんを仲直りさせるために、修学旅行で同じ班にしたいと。そのためには、御影の力が必要なのだと。
 可能な限り自分の仕事に時間を充てて、学校には最小限しかこない御影にとって、課題が足されたり、登校を促されたりするのは、嬉しくなかったはずだ。
 それでも、こうして修学旅行に参加してくれたのは……ひとえに僕のためなのだろうと思う。
「この礼は、いつか必ず――」
「お前、何言ってんの?」
 けろっとした顔で、御影が言った。
「俺はただ、京都に行きたかっただけなんだけど」
「……は?」
「いいよなあ、京都! 古式ゆかしき都って感じがしてさあ! 飯もうまいらしいじゃん? 京都弁の女子ってのも見てみたいし、一回行ってみたかったんだよなあ」
「インドアの煮凝りみたいなこーちゃんは、相手にされないと思うけどなー」
「ああ⁉ んなの行ってみないと分かんねえだろ!」
 つーわけで、と御影。
「俺が修学旅行に行くのは百パーセント俺のためだから、その辺、勘違いするなよな。でもまあ、どーしてもお礼をしたいっていうなら? そーだなあ、ここの蕎麦屋で飯でも奢ってもらおっかなあ」
 そう言って御影が指さしたのは、清水寺の近くにある、やたらと雰囲気のよさそうな蕎麦屋さんだった。そばを一枚食べただけで、僕の財布が吹っ飛びそうな店構えをしている。
「ちょっと待て、それはさすがに――」
「あ、ずるーい! 私も私もー! 私は抹茶パフェ奢ってもらおっかなー。ほら、茜ちゃんも選んで選んで!」
 気付けば四人、京都の旅行ガイドを囲んで、この店に行きたい、あれを食べたいと意見を交わしていた。
 普段、教室の隅でひっそりと暮らしていた僕が、教室の中で度々目にしていた光景。その中に、今、自分がいることが不思議でしょうがなかった。
「真崎君」
 四季宮さんが人差し指で僕の肩を叩く。
 振り向くと、思っていたよりも近いところに四季宮さんの顔があって、思わずのけぞった。
「ど、どうしたんですか……?」
「ううん、大したことじゃないんだけどね」
 小首をかしげ、四季宮さんは控えめに笑って言った。
「修学旅行、楽しみだね」
 遠ざかっていた彼女との距離が、少しだけ、縮まった気がした。