『菜々へ

 元気にしていますか?

 何歳になってるのかな? 小学校高学年? それとも中学生? もう高校生になってるのかな?

 きっと洋ちゃんは家事が壊滅的にダメだから、菜々には迷惑をかけてるよね。ごめんね、もっと洋ちゃんに家事を仕込んでおくべきでした。

 病気が見つかって、菜々にはたくさん悲しい思いをさせたよね。まだ小学生三年生の菜々にとって、お母さんが病気で入院してるだけでもショックだったもんね。

 だけど、この手紙を読んでいるということは、菜々は今、恋をしているんだよね。お母さんのことで悲しい思いをさせちゃったけど、立ち直って、学校へ行って、恋をして。そういう楽しい学生時代を送ってほしいなと思っているから、すごく嬉しい。

 片思いかな? もうお付き合いをしてるのかな? 悪い男の子に引っかかってない? 私と洋ちゃんの娘がモテないはずないから、少し心配です。(笑)

 青春を満喫してくれているといいな。そういう話を、菜々としてみたかった。

 クラスの誰がイケメンとか、ひとつ上の先輩がモテるとか、そういうのを娘と話すの、菜々がお腹にいるときからの夢だったの。

 だから、たくさん聞かせてね。聞くことしかできないけど、いつだって菜々の味方です。

 さて。どうしてこの手紙を渡すタイミングを指定したかというと、洋ちゃんの再婚について話をしたいと思ったからです。恋をするという意味を知った菜々に聞いてほしかったの。

 結論から書くと、私は洋ちゃんの再婚に賛成です。

 もちろん菜々にとって新しいお母さんになるんだから、いい人限定ね。シンデレラの継母みたいな人だったら、私がこっちから呪っちゃうから。そこは洋ちゃんの人を見る目を信じてる。素敵な女性であることは大前提です。

 洋ちゃんが再婚をするかはわからない。素敵な人に出会うかもしれないし、誰ともご縁がないかもしれない。

 でも、もしそういう人が現れたら、菜々にも賛成してほしいなって思って、この手紙を書いています。

 菜々からしたら、複雑な思いになるかもしれない。お父さんが別の人と結婚するなんて、最初は受け入れられないかもしれない。

 でもね、人を好きになるって毎日が楽しくなるでしょう? 幸せだなって思うでしょう?

 恋をして、誰かと一緒にいる幸せを知った菜々にお願いです。

 お父さんが幸せになるのを、応援してあげてください。

 恋を知ったからこそ、他の人と結婚するのに賛成するなんて、お母さんの考えを理解できないかもしれないね。

 でも、これが愛だと思う。

 恋をすると、彼とずっと一緒にいたいよね。ふたりで幸せになりたいって思う。

 その恋が愛になるとね、ただその人の幸せを願えるようになる。自分よりも、相手が幸せになってくれたらいいなって感じるの。私の持論だけどね。

 もしも再婚したいと思えるほど素敵な人なら、一緒にいて幸せだと思える人に出会えたのなら、私はそれを祝福します。

 本当は、病気にならずに洋ちゃんの隣で菜々の成長を見守りたかった。メイクを教えてあげたり、彼氏の惚気を聞いたり、初めてのお酒を一緒に飲んだり、結婚の報告を聞いたり、やりたかったことは数え切れないほどある。

 だけど、もうそれは私にはできそうにないから。洋ちゃんに託します。だからこそ、幸せでいてもらわなくちゃ。

 洋ちゃんと菜々のことが大好きで、愛しているからこそ、私がいなくなっても幸せでいてほしい。

 伝わるかな? 伝わっているといいな。

 お父さんと仲良くね。反抗期もあるだろうけど、ほどほどにしてあげてね。きっと泣いちゃうから。

 色々書いたけど、お母さんの最後のわがままだと思って、頭の片隅に置いておいてくれたら嬉しいです。


 最後に、お母さんは洋ちゃんと菜々と一緒にいられて幸せでした。

 赤ちゃんを授かったとわかった日、性別が女の子だと知った日、めちゃくちゃ痛くて泣きながら産んだけど、しわくちゃのお猿さんみたいな世界一可愛い顔を見たら痛みなんて全部吹っ飛んじゃった日のことも、全部昨日のことのように覚えてる。

 初めて菜々に「おかあさん」って呼ばれた時は嬉しくて泣いて、「おとうさん」じゃなかったって拗ねる洋ちゃんを慰めたりしたんだよ。

 三人で水族館に行ったことも、菜々の運動会の大玉転がしで洋ちゃんがやらかしたことも、全部の思い出が宝物です。

 ちゃんと勉強してほしいとか、周りに優しい人になってほしいとか、母親として言うべきことはあるんだろうけど。

 とにかく、幸せになってほしい。

 未練がひとつもない人生なんて難しいけど、できるだけ後悔しない道を選んで生きてほしい。

 菜々が幸せに笑っていられること。それがお母さんの一番の願いです。

 ずっと天国から見守ってる。そばにいてあげられない分、誰よりも菜々の幸せを祈ってるから。

 菜々、大好きだよ。

 お母さんより』


 四枚の便箋に、懐かしい丸っこい文字で綴られたお母さんの想い。

 涙が邪魔をして読めなくなるたびにぎゅっとまばたきをして、目を擦って、何度も中断しながら最後まで読んだ。

 ベンチに座り、嗚咽しながら手紙を読む私の向かいで、お父さんは背中を向けて空を仰いでいる。その肩が少し震えているのは、見ないフリをした。

 お父さんに遺した手紙にも、きっと再婚について書いたんだろう。もしかしたら、その手紙に背中を押されたのかもしれない。

 お父さんと私への大きくて深い愛情がずっしりと詰まった手紙の最後の一枚は、文字が滲んでいて読みにくかった。

 私たちの前や手紙の中で気丈に振る舞っていても、自分の命が尽きかけているのを知って、怖くないはずがない。未練がないはずがない。

「お母さん……っ」

 握りしめた手紙が、くしゃ、と音を立てる。

 病気になって一番辛かったはずのお母さんが、私やお父さんの将来を心配して、こうやって手紙を遺してくれていたなんて……。

 私はベンチから立ち上がって、目元を乱暴に拭った。こんな風に泣くなんて、きっとお母さんは望んでいない。

「お母さん、手紙ありがとう。お母さんの最後のワガママ、ちゃんと受け取ったよ」

 空を見上げて、笑顔を作った。

 ずっと、お父さんの再婚を受け入れられなかった。お母さんが悲しむ気がして、家族の思い出が崩れてしまう気がして、それを裏切りだと思い込んでいた。

 正直に言えば、お父さんの思いを聞いても、この手紙を読んでも、お父さんがお母さん以外を選んだのは少しだけ寂しく感じている。

 でも、お父さんには幸せになってほしいし、お母さんもそれを望んでいるのなら、もう私に言えることはひとつしかない。

「私も、お父さんの再婚に賛成する。真央さん、とってもいい人だよ。綺麗で、おしゃれで、料理も上手で、お父さんにはもったいないくらいの人だよ」
「菜々……」

 お父さんが私を振り返ったけれど、私は視線を空へ向けたまま、お母さんに語りかけた。

「私、今とっても幸せだよ。お母さんとのお別れが早すぎたのは悲しいけど、学校では友達に恵まれてるし、恋もしたよ。うまくいかなくてたくさん泣いたけど、後悔しないように、もっともっと幸せになれるように頑張る。だから……ずっと見ててね。私、お父さんとお母さんの娘に生まれて……本当に、よかった……っ」

 泣かないように、笑顔で手紙の返事をしたいのに、次から次へと涙が溢れてくる。

 耳に流れた涙を手のひらで拭いながら、目の前で私を見つめるお父さんに視線を向けた。

「昨日は、酷い態度をとってごめんなさい。今さらかもしれないけど、お父さん、結婚おめでとう」
「うん。ありがとう、菜々」

 お父さんが嬉しそうに頷き、両腕を広げている。なんのポーズなのか分からず、私はその場で固まった。

「……え、なに?」
「なにって、ここはお父さんの胸に飛び込んでくるところでしょ」

 さも当然のように待ち構えていて、私の涙は一気に引っ込んでいった。

「やだよ」
「なんで!」
「高校生にもなって、お父さんとハグなんてしないよ」
「……お父さんとしないのなら、誰とするの」
「誰とって……」
「やっぱり、あの佐々木楓くんというのは彼氏なの? いつから付き合ってるの? サラッと流そうとしてるけど、たくさん泣かされてるのならお父さんは反対です! そもそもまだ菜々に彼氏なんて」
「わー! もうストーップ!」

 さっきまでお母さんの手紙に肩を震わせて泣いていた人とは思えないほど、あからさまに不満を顔に出し、口を尖らせて問い詰めてくる。私はお父さんの方に両手を突っ張って制止した。

「それより、楓先輩は家に来たあと、どうしたの?」
「学校に行きなさいって言ったよ。平日なんだから」
「自分は仕事サボったのに」
「こら、人のことは言えないでしょ」
「……すみません」

 お父さんがポケットからスマホを取り出す。

「九時過ぎか。真央が心配してるだろうし、帰ろうか」
「うん」
「……佐々木くんには、菜々が落ち着いたら連絡させると伝えてある」
「えっ……?」

 スマホをしまい、代わりに車のキーを出しながら、お父さんが不本意そうに言った。

「とにかく心配してたよ。もしかしたら、自分の不用意なひと言で菜々を追い詰めてしまったかもしれないと」
「そんなこと……」
「それから、なにか勘違いしてそうだとも言ってたよ」
「……勘違い?」
「僕には詳しくはわからないけど……彼氏なんてまだ早いとは思うけど! あれだけ菜々を心配してわざわざ家まで来てくれたんだ。……連絡くらいはしてあげなさい」
「うん」

 私の返事を待たずにどんどん先を歩いていくお父さんの背中を追いかける。隣に並ぶと、自分の腕をお父さんの腕に絡めた。

「菜々……」
「今日だけだから」

 照れくさくて、お父さんの顔を見られない。最後に手を繋いで歩いたのはいくつの時だろう。腕を組むなんて、運動会の二人三脚以外では初めてだ。

 私はまっすぐ前を向いたままだったけど、こちらを見るお父さんが嬉しそうに笑っているのがわかった。