再び二時間半かけて空港へ向かう道中、躊躇いなく幸せだと報告できた喜びを噛み締めていた。

 希美に話したように、菜々と恋人同士になれて、日野という親友もいる。

 両親にさえ疎まれている俺は、誰も本当の自分を受け入れてくれる人間なんていないと思ってた。

 高校に合格し、唯一同じ中学からうちの高校に通う日野和樹と親しくなる中で、俺は一大決心をした。

 両親以外に打ち明けたことのない秘密を、日野だけに話したのだ。

 目立つ容姿の彼は人当たりがよく社交的なため、誰からも好かれていた。中学生の頃から常に周囲には人がいる日野だが、実は繊細でたくさん抱えているものがある。

 父親が一流企業の社長で、御曹司という立場なのもそのうちのひとつ。それを俺だけに打ち明けてくれた時、俺も秘密を明かそうと決意した。高一の夏の終わりだった。

 人の手に触れると心が読めること、どうしてそんな力が自分にあるのかわからないこと、そのせいで両親との関係が破綻していることなど、包み隠さずに語った。

 最後に、もしも気持ち悪いと思うのなら、今後一切近付かないという約束も添えた。

 最初は信じられないといった顔をしていた日野だが、俺がずっと周囲と一線を引いていたのを見ていたからか、詳細を語るごとに事実なのだと納得したようだ。

『なんていうか……お前も厄介なもん背負ってるね』

 そのシンプルな労いが、どれだけ俺の心を軽くしたか、日野は知らないだろう。

 秘密を打ち明けてからも、俺は日野に触れないようにしていた。それは日野を信頼していないからではなく、勝手に心を覗く真似をして彼の信頼を裏切りたくないと思ったからだ。

 きっと日野もそれをわかってくれて、近い距離で接しながらも触れないようにしているのだと思う。

 そうして、思いの外充実した高校生活の一年目を終えようとしていたところに、俺は再びあの女の子に出会った。

 心の中だけで俺の幸せを願い、希美の死を受け入れるきっかけを作ってくれた彼女。もしも会うことができたら、きちんとお礼を伝えたい。できることなら、もう一度あの笑顔を見たい。

 そう願っていたのに、再びその子に会えた時、彼女の柔らかな笑顔は鳴りを潜め、今にも泣き出しそうな顔をして歩いていた。

 フラフラと進入していった赤信号の横断歩道には、大型トラックが近付いている。大きなクラクションでその事実に気が付いた彼女だが、まるで生きることを諦めているかのようにその場に立ち尽くしていた。

 冗談じゃない!

 俺は全力で走って彼女の腕を引き、怪我をしないように庇いながら冷たいアスファルトへ勢いよく転がった。無我夢中で痛みは感じなかった。

 トラックの運転手が怒声を浴びせるのに頭を下げ、腕の中の彼女の無事を確認すると、呆然としていた彼女は次第にぽろぽろと涙を零し、ひたすらに泣いていた。

『どうして?』
『忘れたくない』
『助けて……』

 触れた手から流れ込んできた彼女の心の叫びは、聞いているこちらが辛くなるほど悲痛で深刻だった。

『好きっていう気持ちは、どこへいってしまうの? 死んじゃったら、それで終わりなの……?』

 勝手に心の声を聞いてしまったことに罪悪感を覚えながら、それでもアスファルトに座り込んで泣きじゃくる彼女の手を離すことはできなかった。

 繋いだままの手から、彼女の家族に対する思いが伝わってくる。繊細で柔らかいがゆえに絡まると簡単には解けない糸のように、彼女の感情はぐちゃぐちゃに絡まっていた。

 俺は両親に対してなにも期待していないし、逆に恨んでもいない。ここまで育ててもらった恩があるだけで、ほぼ無関心だ。

 そんな俺が、家族を思うがゆえに涙する彼女に言ってあげられることはなにもない。

 女の子が瞳に涙をいっぱいためてこちらを見上げてきた。腕の中で泣く彼女に気の利いたひと言も言えないけれど、守りたいという思いを込めて、そっと頭を撫でた。

 無責任に大丈夫だとは言えない。けれど、生きていてくれてよかった。そんな思いだった。

 彼女を守れるような男になりたい。あの日の笑顔を、もう一度向けてもらうために。

 その後、彼女がうちの高校に入学していたと知った時は、柄にもなく運命だと思った。日野に憧れているのかと一瞬焦ったけれど、どうやら友達の恋がうまくいくように協力しているらしい。

 きっかけなんて、なんでもいい。名前と連絡先を聞き、どんどん距離を縮めていった。

 菜々が悩んでいるのなら力になりたいと、部活終わりに彼女の自宅の方まで行くことも厭わない。

 たくさん話して菜々自身のことを知るたびに、その純粋さに惹かれていった。

 触れる勇気も力を打ち明ける度胸もないくせに、日野やテスト勉強を口実に一緒の時間を過ごし、彼女を想う気持ちだけがどんどん大きくなっていく。

 遊園地でのデート中、菜々からあの事故の日のお礼を伝えられ、黙っていられずに力のことを話した。

 父親の再婚にわだかまりを持っていることを親友の橘さんにすら話せていない菜々が、俺に全部知られているという事実を受け止めきれるはずがない。

 もう菜々との繋がりは切れてしまうのだと諦めかけたが、彼女は想像を遥かに超えた純真さで、再び俺を救ってくれた。

『あの、先輩。手を……繋ぎませんか?』

 口下手な菜々が、精一杯気持ちを伝えようと差し出してくれた小さな手に、溢れるほど大きな優しさが見えた。

 俺に対する嫌悪感がないだけじゃなく、可愛らしく戸惑う心の声が次々と聞こえてくる状況に、理性が崩壊寸前だった。

 あの日のことを思い出すだけで、勝手に頬が緩む。俺の彼女はこんなに可愛いんだと言って回りたいほど、菜々が可愛くて仕方がない。

 考え出すと彼女の声が聞きたくなり、俺は電車を待つ間にスマホを取り出した。

 行きの飛行機からずっと電源を切っていたことに気付き、慌てて起動する。学校を休む理由を伝えていなかったから、菜々から体調を心配するメッセージが届いていた。

 すぐに電話をかけるが、なかなか出ない。授業中だと思い返し、その後時間をおいて何度かかけてみたが、やはり繋がらなかった。

 菜々と想いが通じて以降、平日はもちろん、土日も部活のあとに顔を見るためだけに菜々の家の近くまで行っていたから、丸一日会えないだけで物足りなさを感じる。

「重症だな」

 高校二年にしてようやく初恋が実ると、こんなふうになるのか。

 自分でも気恥ずかしい感情に振り回されながら、これが希美が言っていた『青春』なんだと可笑しくなった。