もしもこの想いが赦されるなら君に伝えたいことがあるんだ

 ◆◆◆
「ーーお前の記憶を取り戻すか?」
 目の前にいるのが誰かわからなくなった。
「な、に……言ってんの……?」
 意味がわからなかった。
「お前の記憶を探すんだよ」
 探してどうするんだろう?どうせ過去のことなのに。
「お前だってこのままの状況は嫌なんだろ?」
 その言葉に笑ってしまう。
「……嫌だったら何?どうにもならないんだよ。仕方ないじゃん」
 過去を捨てたのは、記憶を捨てたのは、他でもない私なんだから。
 誰のせいでもない。私のせいで、記憶がなくなる。
「お前のそのなんでもすぐ諦める癖。それは記憶のことが原因?」
「……だったら何?」
 諦めてるつもりはない。そもそも何も望んでいない。
「俺が諦めさせねえよ。お前の記憶取り戻すこと。お前が普通に生きること。お前がやりたいこと。全部俺が叶えてやる」
 突拍子もないことを言う彼に目を丸くする。
「俺も、自分の記憶を取り戻す。お前だけじゃない。俺も記憶を探す」
 ただ真っ直ぐに私を映したその瞳がやけに真剣にみえた。
「そうしたら、俺も、お前もーー立っていられるようになるだろ」
 どうして急にそんなことを言い始めたのかわからない。
 真剣な顔。本気の声。全てが冗談じゃないことを語っていて、その姿が何かに重なった。
『ーー梓、自分のやりたいことを簡単に諦めるなよ』
 一瞬で消えてしまった映像がやけにリアルだった。
「……なんで……?」
 だれ?これは記憶?わからない。それなのに、流れてきた雫が静かに落ちた。
 なぜだか無性に懐かしくて、悲しくて寂しくてそんな感情が色々混ざってわけがわからない。
「一緒に探そう。俺たちの失くした過去」
 ブワッと風が舞う。
 街は夜の帷を纏い始めている。
 失くした過去。捨てた過去。
 今さら探したところで、拾ったところで何が変わるの?
 そんな想いもあったのに何故か私は頷いていた。
 私の反応に蒼井はほっとしたように笑って「帰るか」と前を歩き始めた。
 結局意味がわからないままだけど、今だけは蒼井の突拍子もない提案に乗ってみるのも悪くない。
 そんなふうに思えたのは前を歩く蒼井の背中が少しだけ頼もしく見えた気がしたからかもしれない。

『5月10日(水)
 今日はたぶん忘れちゃう。すごく怖かった。あの子が轢かれなくて本当によかった。あいつには偽善って怒られたけど。それでも、目の前で事故を見るより私が死んだ方が断然マシだ。そんなこと言ったらあいつは死にたがりとでも言いそう。あのあとあいつが記憶を取り戻そうって言った。あの時も今も意味がわからないけど、それでもあの一瞬に流れてきた映像がなんなのか、知りたい。忘れちゃうのに。私はあいつと記憶を探すことになってるから。忘れててもこれを見て理解だけしてね。私が捨てた過去を今さら拾ってどうするのかは私にもわからないけど、どうか、私が納得する結果になってね。それと、お母さんにはバレないようにしてね。
 大丈夫。私の過去はここにある。だから怖がらないで今日を生きてね』
 ーー思い出せない。
 朝起きて、いつものように日記を開いた。
 たったそれだけなのに、久しぶりの感覚に頭が追いつかない。
 忘れてしまった。また、昨日を失くした。
 こぼれ落ちていく。私という人間をかたどっているものが。
「ーー……はっ……」
 乾いた笑いが溢れる。
 過去を探す?そんなのどうやってやればいいの?何を忘れたのかも覚えてないくせに。それくらいわかってたはずなのに、どうして昨日の私は頷いたの?
 その時の自分の気持ちさえわからない。
 それでも、昨日の私が知りたいと思ったなら私も探そう。ここに書かれている一瞬の映像もわからないけど、まずは蒼井に話を聞かないと。
 朝を知らせるように窓の外からすずめの声が響いた。