夏休みが始まってちょうど一週間。
 相変わらずまだ息をしている。
 どうしてなんて考えるまでもなく今も隣にいる空来のせいだ。初めて会った日から今日まで空来は欠かさず私と好きなもの探しを続けた。
 ある日は水族館。ある日は動物園。そしてまたある日はお寺や神社巡り。
 たった一週間でいろんな場所に行ったな。行き当たりばったりの思いつきの旅だから当然いろいろあった。急に降ってきた大雨だったり、なぜか行くとこ全部すっごく混んでたり。
 頭上に広がるどこまでもいけそうな青い空から隠れるようにそっとため息をつく。
 暑い夏の日差しに混じって潮風が頬を撫でた。
 今日は一番近くの海に来ている。さすが夏だけあって人はそこそこいるけど、ごったがえしているわけでもない。地元の人しかいない感じ。
「星音、これあげる」
 突然私の前に差し出されたのはソフトクリームだった。
 ……いつのまに。 
「あ、りがとう」
「どういたしまして」
 にこっと笑う空来の顔はどうしても太陽みたいとは言えなかった。
 空来はさっきまで座っていたところにすとんっと腰をおろした。
「いやー暑くなってきたね」
「……ほんとに暑いね」
 日陰にいるはずなのにじわじわと汗が出てくる。
 溶ける前に手元のソフトクリームを食べた。冷たい。甘すぎなくてさっぱりしてる。
同じようにソフトクリームを食べてる空来に私は訊きたいことがあった。
「……空来はさ、どうしてずっと私といるの?」
「んー。僕が星音といたいから」
 それじゃダメ?と空来は首を傾げる。
「……そうじゃなくて、空来って友達いないの?」
 わりと真剣に訊いたのに「さすがにいるよ」と笑われた。
「その人とは遊ばないの?」
「うーん、あいつよりも星音といる方が大事だからね」
 ……なんで?
 聞こうと思った言葉は喉の奥でつっかえた。
「ていうかね、僕も星音に訊きたいことがあったんだよ」
「……私に?」
「うん、あのさーー」
「ーー星音?」
 空来の言葉に重なって頭上から響いた声に星音は体を強張らせた。
「あー!やっぱりそうだよね!」
 頭上から聞こえる嫌に高い声に星音は肩を震わせながらおそるおそる振り向く。
「えーこんなとこで何してんの?てかめっちゃ久しぶりじゃんね!元気だった?」
「うん、久しぶり!美香こそ元気だった?」
 美香が求める『星音』は今の一瞬で姿を現した。さっきまで空来と話していた私は……もういない。
「全然元気!てか、星音夏休み何してんの?全く会わないじゃん」
「たしかに!私たち全然会わなかったね!何してるかと言われればなにもしてないと答えるよ」
 笑顔でそう言い切った私はさっと立ち上がって美香の方に行く。美香は「なにそれーもっと青春しなよ」と言って笑った。
「たしかにそうかも!でも今年も暑いじゃん」
「あぁそれはわかる!あっついよね」
 オフショルダーの可愛い服にミニスカートをあわせたコーデの美香は今日も人生楽しそうで生き生きしてるように見える。
「てか待って!もしかしてさっき隣にいたのって彼氏?」
「えーそんなわけないでしょ!」
「えー!つまんない!まあ星音だしなぁ」
「いやなにそれ?!失礼すぎじゃない?」
「あははっごめんって!星音だって彼氏できるって……よくみたらあの人宮原先輩にめっちゃ似てる」
 私の後ろにいる空来を観察していた美香がぽつりと呟く。
 ……ミヤハラ先輩?
 よくわかってない私に気づいた美香が説明してくれた。
「あっ星音は知らなかったか、あのねひとつ上の先輩に『宮原そら』って言うめちゃくちゃかっこよくてモテる先輩がいるんだけど宮原先輩は絶対に彼女を作らないんだって」
「へー!知らなかった!て言うかなんで美香は知ってるの?」
「いや、知らないのなんて星音くらいだから!宮原先輩は誰にも笑わないし自分のことは絶対話さない超ミステリアスイケメンってめちゃくちゃ有名だから!!」
「えっまじか」
「今度からもう少し周りに興味持ちな」
 呆れたように言う美香に笑ってこたえる。
「だよねー!ってそういえば美香はなんでこんなとこにいるの?」
 ずっと思ってた疑問を口にすると美香は「やばっ」と言って口元を抑えた。
「ごめん星音!人待たせてた!じゃあまたね!!」
 そう言って手をあわせて美香は慌てたように走って行った。
 その様子を星音は笑顔を貼り付けたまましばらく見送った。
 ……嵐のように現れて嵐のように去っていったな。
 ぼんやりとそんなことを考えているといつのまにか近くにいた空来に「大丈夫?」と声をかけられた。
「うん、大丈夫。っていうか何が?」
「えっとね、女の子に言うと失礼だけど、能面みたいな顔してる」
 あーそれは。
「大丈夫って訊きたくなるね」
 へらっと力なく笑ったら空来が申し訳なさそうに眉を下げた。
「ごめんね」
「……なんで空来が謝るの?」
「だって……無理してるのわかってたのに」
「いいよ、というか空来がきたら余計ややこしくなるから」
 そういえば……。
「空来って苗字なに?」
 私の急な質問に「えっ……と、宮原だよ?」ときょとんとしながらこたえてくれた。
 宮原空来。美香が言ってたのはやっぱり空来のことなんだ。
 ……誰にも笑わない、か。
 普段からよく笑ってる気がするけどな。少なくとも私の前では。
「苗字がどうかした?」
 空来の不思議そうな顔を見て少しだけ頬が緩んだ。
「ううん。なんでもない」
「そっか。暑くなってきたしそろそろ移動しよっか」
「……そうだね」
 たぶんこの提案は空来の優しさだ。ここから移動したところでなにも変わらない。だとしても、わざわざここにとどまる意味もない。
 ……今さら波の音がすると思った。


 青天の下で蝉の声がかん高く住宅街にこだます。
 夏特有の重い風が体にまとわりついた。
「ねぇ星音」
「なに……?」
「さっき言ってたことなんだけど訊いてもいい?」
 ーー……さっき言ってたこと?
 歩く速さと同じくらいゆったりとした空来の言葉に首を傾げる。
「星音に聞きたいことがあるんだけど、訊いていい?」
 その質問にはたしかに聞き覚えがあった。そういえば美香が来る前にそんな話をしてた気がする。
「いいけど……なにが聞きたいの?」
「星音はどの季節が好き?」
 星音は嬉しそうに呟く空来にきょとんと目を丸くした。
「え、いや……なんで?」
「ん?なにが?」
 私のあまりにも困惑した様子に今度は空来がきょとんとした。
「なにがって……今さら改まって聞くから何かと思ったら、好きな季節って」
「あーそう言うことね。だって知らないなって思ったから」
「そんな理由?」
私の言葉に「うん、そんな理由」と空来は笑って頷いた。
「そう……」
「うん。教えてくれる?」
 私の様子を伺うような声音に息を吐く。
「わかった。って言っても好きな季節か」
 好きな季節って言われても特にない。
 ーー嫌いな季節ならあるけど……。
「うーんと、そうだなぁ、どの季節も綺麗だと思うよ」
 春も夏も秋も冬も、それぞれ綺麗だとは思う。
「そっか。じゃあさ冬はどう?」
「嫌いじゃないよ?」
「そうなんだ、よかった」
 そう言って安心したように笑った空来に首を傾げる。
「なんでそんなに嬉しいの?」
「僕がいちばん好きな季節だから」
 と笑った空来は本当に大切そうに言っていた。
「……冬が好きなの?なんで?」
 冬が好きな人ってあんまりいないイメージ。
「冬は僕にとって忘れられないくらい大切な思い出があるから」
 ーー……大切な思い出。
 私にもそんな思い出があったら死にたいなんて思わなかったのかな……。
 今まででいちばん穏やかな顔をした空来をみてふとそんなことを思ったけど、すぐにそんな考えは消えた。
 そんなわけないと私は自嘲する。
 前を歩いていた空来が少し進んだ先にある公園をみて「あそこの公園で休もっか」と振り返った。空来のその言葉で私たちは公園の木陰に座ってひと息ついた。
「うーん、今日も結構歩いたね。大丈夫?疲れてない?」
「うん。大丈夫だよ」
「そっか、よかった」
「あっそういえばソフトクリームいくらだった?」
 忘れてた。
「あーいいよ。僕が買いたくて買ったんだからあれくらい払わせて」
「そう言っていつも私に払わせてくれないじゃん」
「まあまあ、ところで星音は?」
 急な質問にはてなマークが飛ぶ。
「なにが?」
「さっき僕が星音に聞きたいこと聞いたから、星音は僕に聞きたいことあるのかなって」
 あーそう言うことね。
「じゃあさ、嫌だったら別にいいんだけど空来が作る詩ってどんな感じ?」
「いいよ、教えてあげる」
 にこにこする空来の言葉に耳を疑った。
「え、いいの?」
「うん。いいよ」
「……本当に?」
「うん。……て言うかどうしてそんなに疑うの?前も言った気がするけど僕ってそんなに信用ない?」
 困ったように笑う空来に申し訳ないと思いつつさっき聞いたことを口にする。
「信用はどちらかというとしてる、と思うけど。……超ミステリアスイケメンで誰も笑ったところ見たことないってさっき美香が言ってたよ」
「あーー……」
 気まずそうに顔をそらした空来をじっと見つめる。
 しばらくすると空来は諦めたように口を開いた。
「まず、超ミステリアスイケメンかどうかはおいといて……笑った顔を誰もみたことがないって言うのは言い過ぎ」
「……まあ、そうだよね」
「うん。そもそも笑わなかったのは小学生までで今は普通に笑えるよ。人よりも少ないかもしれないけど」
「でも私といる時って基本笑ってるよね?」
 作り笑いかどうかはおいといて。
「だって星音といるのに笑わないなんてもったいないじゃん。それに真顔になる状況がそもそもないし」
「……ふうん?」
 そんなもんなのかな?
「じゃあ、とりあえずいいよ。教えて、空来の詩」
「うん。って言っても暗記してるわけじゃないから今この場で適当に作るのになるけど」
 それでもいい?と続けられた言葉にこくっと頷く。
 星音が頷いたのを確認した空来は「それじゃあ」と言ってゆっくりと言葉を紡ぎはじめた。

 きっと君には届かない
 この世界の色をなくした君はきっとまだ探してる
 笑顔の裏に隠した感情も
 押し殺してきた自分の想いも
 君はまだ気づいてない
 だから気づいてほしいんだ
 君の隣に僕が立ってること
 君が倒れてしまわないように
 君を支えてあげられるように
 いつか君が探し物を見つけるその時まで
 いつかこの詩が君に届くまで

 空来の言葉がゆっくりとからだの中に入ってくる。私には詩の良し悪しなんてわからないし、こんなの詩じゃないって言う人もいるかもしれないけど。
 それでも伝わってくる想いはあった。
「素人だからあんまり上手くないけど、どうだった?」
「すごく良かった、言葉にするのはもったいないくらい」
 ただ、この詩は誰にあてて作ったの?そう聞く勇気と権利も私には無かった
「……ありがとう」
 そう言って笑う空来な顔にふと影がさした。「どうしたの?」そう聞けたら何かが変わるのかもしれない。だとしてもそんなこと私には聞けなかった。
 だって痛いくらいわかってしまうから。
 自分の弱さを傷を誰にも知られたくないから作ってる仮面だって。
 なにがあったのかは知らないし聞けないけど……空来が必死で作ってる仮面を壊すようなことを私はしたくない。
 少なくとも私はそんなことされたくない。
「ねぇ星音。さっきのこと思い出させるみたいで悪いんだけど……」
「なに?」
「星音はどうして笑うの?」
 ためらいがちに呟かれた言葉に星音は固まった。
「なにが星音を笑わせてるの?」
 耳の奥で声が聞こえた。
 ーー笑っててね。どんな時でも。
 その言葉を振り払うように星音は首を振る。
「ーー……笑うことは武器だから」
「武器……?」
「そう、私が私を守るための武器」
 誰のためでもない。
 私は私のために笑っているだけだ。
 そんな私を見ながら空来は悲しそうに眉をさげた。「そんなにつらそうに笑ってるのに……?」
 空来の瞳には私はつらそうに見えるのか。
 別につらくはない。
 そもそも麻痺した心に感情なんてほとんど残ってない。
「大丈夫だよ。これが私だから」
「……そっか」
 さぁっと風が吹く。
 夏はまだ始まったばかりとでも言いたげに蝉の声がひときわ大きく響いた。