ゆっくりと朝が顔を出した。
 また朝日を見るとは思わなかったな……。
 ぼんやりとそんなことを考えていると隣から「ゔーー」っと伸びをする声が聞こえた。
 何気なく隣をみると、私の視線に気づいた彼はふわりと笑って「いい朝だね」と言った。
「……うん」
 たしかにいい朝ではあると思う。
 雲ひとつない綺麗な空。
 その下を鳥たちが慌ただしく飛びまわっている。
 だけど、私はやっぱりこの景色を見たくなかった。
「ねぇ空来。ひとつ聞いていい?」
「いいよ」
 私がこれから言う言葉すらわかっていそうな空来に向けてそっと呟く。
「……どうして私を止めたの?」
「……どうしてだと思う?」
「質問に質問で返すのはフェアじゃないと思う」
「……たしかに。でも、星音はどうしてだと思う?」
 空来の言葉にあくまで自分から言う気はないんだと悟る。
 星音は少し考えてから口を開く。
「ーー……自殺は良くないこと、だから?」
 私の言葉に空来はきょとんとしてすぐに笑い出した。
「違うの?」
 すこしむくれながら言うと空来は笑いながら頷いた。
「全然違うよ。自殺は良くないこと、なんて教科書みたいなこと思ってないよ。それに否定する気はないけど尊厳死も安楽死もある意味自殺だと思うし」
「たしかに、そうかもだけど……じゃあなんで止めたの?」
 星音の問いに空来は少し困ったように眉を下げて笑う。
「うーん……。あっ一応言っとくけど僕は自殺を推奨してるわけじゃないからね。しなくていいならそれにこしたことないからね」
 しなくていいならそれにこしたことない……か。まぁ、そうだよね。
「……それが理由?」
「ううん。違う」
 ……即答するくらいなら教えてくれてもいいじゃん。
 腰まで伸びた髪が肩からすべり落ちる。
 明るくなってまともに空来な顔をちゃんと見て驚いた。声を聞いてなんとなく優しそうな人なのはわかった。だけど私の考え方のせいかもしれないけど、空来は気づいたら消えてしまいそうな人だった。
 髪は茶っこくて肌も瞳の色も全体的に色素が薄めだ。
「星音はこんな時間だけど家に帰らなくて大丈夫?」
「別に大丈夫。帰ったって誰もいないし」
 口に出してからしまったと思った。……でも、別にいいか。どうせ今まで見てきた人たちと同じような反応をされるだけだ。
「ふうん。じゃあ別にいいや。星音が大丈夫ならここで話してていい?」
「え……」
「えっ?ダメだった?」
「え、いや、違うけど……訊かないの?」
 私の呟きに「あー。それね」と笑った。
「訊かないよ。星音が話したいならもちろんきくけど。そうじゃないなら訊かない」
 そう言って笑みをむけてくる空来をじっと見る。
「……どうしたの?」
 不思議そうにする空来に首を横に振ってこたえた。
「なんでもない。……気が向いたら話すね」
「それでいいよ。ところでさ星音は好きなものある?」
 唐突な質問に星音は瞳をぱちぱちして首を傾げる。
「……好きなものって?」
 今度は空来が瞳をぱちぱちさせる番だった。
「うーん……。そう言われるとな……色とか、食べ物とか……動物、とか……とにかく色々かな」
「ちゃんと考えたことなかったな……」
 きっとすごく幼い頃はあったんだと思う。
「まぁそうだよね。僕もそういうの深く考えたことないし」
「空来は?好きなものないの?」
「うーん……。僕は一つしか思い当たらな、あっもう一つあった」
 そっか。空来はあるんだ。すごいな。
「……何が好きなの?」
「んー。秘密。……いつか教えてあげる」
 そう言って首を傾げる仕草が妙に似合ってる。やっぱり顔が整ってるからかな。
 今さらだけど、どうしてこんな人がこんな場所で私と話してるのか謎だ。急に黙り込んだ私に空来は言葉を重ねた。
「ちゃんといつか話すからさ。僕のことよりも星音のこと教えてよ」
 そんなこと言われても。
「……好きなものなんて思いつかないよ」
 そもそも好きなものをぱっと言えたらもっと死ぬことに抵抗があると思う。
「じゃあ、それからにしよ?」
「……なにが?てか、なにを?」
 微笑みながらされた提案の意味がわからない。
「星音の人生が無駄じゃないって証明。まずは好きなもの探しからにしよう?」
「……どうやって?」
 好きなものってそんな簡単に見つかるの?
「だから遊びに行かない?」
「……どこに?」
「いろんな場所」
 空来の綺麗な髪が朝日に照らされてキラキラしている。まるで一枚の絵みたいな光景。
 ……なんで私は、今も生きてるんだろう。今この瞬間だって私は見たくなかった。知りたくなかった。なのに……どうしても空来が消えてしまいそうで、なぜかわからないけどそれが怖い。
「……空来はどうして私にかまうの?」
 どうして自分のことより人のことを優先してるの?
「うーん。星音に気づいてほしいから……かな」
「気づくって……なにを?」
「星音に言ったらきっとそんなことないよって言われると思うんだけど……あのね、別に笑わなくてもいいんだよ」
 空来の言葉の意味がよくわからなくて首を傾げる。
「あーごめん。言い方を間違えた。無理してまで笑わなくてもいいんだよ」
 星音は伝えられた言葉に眉を寄せた。
 ……別に無理して笑ってるつもりはない。
「笑えない日があったっていいんだよ」
 不意に飛び込んできた空来の言葉が響く。
「どうしても笑えない日ってあると思うんだよ。どんなに周りが楽しそうにしても自分だけ笑えないみたいな日」
 何かを思い出してるみたいに空来は遠くを見て目を細めた。
「そういう時に無理して笑うと心が空っぽになったみたいな自分が自分じゃないみたいなそんな気持ちになるんだよ」
 心が空っぽ。その感覚を私は知ってる。
「……だけど、それでも周りに合わせてないとすぐに人は自分と違うものを否定するでしょ?おかしいって笑うでしょ?」
 それが嫌なの。
 それが怖いの。
 そうならないように私は生きてきたの。今さらそんなこと言われてももうとっくに遅いんだよ……。
「僕は笑わないよ。星音のことをおかしいって否定もしない。ただこれだけは言わせて。
無理しなくていいんだよ」
 無理しなくていい?じゃあ、どこまでいったら無理なの?なにが起きたら無理してるってなるの?
 そんな言葉に意味なんてあるの?
「……僕はこの言葉にどれだけ意味があるかはわからないけど、それでも君にそんなふうに笑ってほしくないんだよ」
 困ったような、悲しそうな、寂しそうな、そんな顔で私を見て微笑んだ。
 ーーそんな顔しないで。
 そう言われてる気がした。だけど、今の自分がどんな顔してるかなんてわからない。
 ただわかってるのは、月が欠けたように笑う空来が何かを隠してること。
 そして、それをきく権利が私にはないこと。
 空来の言葉に一言も返せないまま太陽は夜の名残を消していく。
 不意に見えた朝の光は眩しすぎて痛かった。