「空来ー。お水ありがとう」
「ううん。これくらい任せて」
 太陽はもうてっぺんに近い。
 山に近いだけあって蝉の声がいつもの数倍大きく響く。
「空来、今日は一緒に来てくれてありがとう」
「僕こそこんな大事な場所に誘ってくれてありがとう」
 天野家と刻まれたお墓にお水をかける。
 今日はみんなの命日。
「ひとりで来れなかっただけだよ」
 そう言って苦笑しながら水で流していく。準備がひと通り終わって背筋を伸ばした。
「さて、終わったね」
 そう言った空来はそっと私が座りやすい場所に移動した。
「僕は少し向こうにいるから星音はゆっくりして、終わったら呼んで。僕も挨拶したいから」
「うん。わかった」
 私が頷くのを見て空来は背を向けて歩き出した。
 星音はしゃがんでそっと手を合わせる。
 
 ……まずは、そうだな。久しぶり。元気だった?私は元気だったよ。怒ってるのはわかってるからそこはおおめに見てね。あと、ずっと、ひとりで勝手に決めちゃってごめんね。……なにを話せばいいか考えてたんだけど、忘れちゃった。
 ずっと怖かったし、寂しかった。だけど私にも大切な人ができたよ。いなくなってほしくないと思える人と出会えたよ。だから、私がそっちにいくのはもう少し先になりそう。
 いつか、そっちに行った時にたくさん話をしよう。今は……もう少しだけ、私のこと見ててね。

 ふと、風に乗って私を呼ぶ声が聞こえた。
 ーーゆっくりでいいからね。
 そんな風に言われた気がした。
 そう思った自分に思わず笑みがこぼれてそっと目を開けた。
 太陽の光を浴びて眩しいくらいに輝いてる姿を見てふっと息がこぼれる。
 星音はゆっくり立ち上がって少し下の方にいる空来を呼んだ。
「あっ星音。もういいの?」
「うん。空来もこっち来ていいよ」
 そう言って手招きをすると柔らかそうな髪を揺らしながら私のところまで戻ってきた。彼は真っ直ぐにお墓と向き合って手を合わせた。
「……ここでは、初めまして。宮原空来といいます。星音さんにはすごくお世話になっています」
 そう前置きをして静かに祈る空来の横顔を眺める。
 相変わらず綺麗な横顔でどこか儚さも感じさせる空来を見て、初めて会った時のことを思い出す。
 実は空来が私たちの出会いを話してくれてから少しだけ思い出したことがある。
 それは少しだけ泣きそうな顔をしている綺麗な男の子。今にも消えてしまいそうな彼に声をかけた。驚いた彼と言葉を紡いでいくと不意に柔らかく笑った。その顔に確かに空来の面影があった。
 この人が消えてしまわなくて、本当によかった。
 心からそう思えた。
 晴れた空を見上げて眩しさに目を細める。
「星音、お待たせ」
「ううん。もう大丈夫?」
 声の方に顔を向けるとすっきりしたような顔をした空来が頷いた。
「うん。大丈夫」
「そっか。じゃあ、帰ろっか」
「来年も一緒に来よう。今度はもう少し好きなもの増やして」
 そう笑った彼にそうだねと笑い返す。

 たくさんごめんと思うよ。
 あの時の決断を。
 あの時、言えなかったことを。
 あの時、拒絶したことを。
 あの時、伸ばしてくれた手を振り払ったことを。
 だけど。
 それ以上にありがとうと思うよ。
 あの日、君に出会えたこと。
 あの日、笑いあえたこと。
 あの日、泣きあったこと。
 あの日、手を伸ばしてくれたこと。
 寄り添ってくれたこと。
 追いかけてくれたこと。
 たくさん、たくさん。
 ありがとう。
 乾燥した風がゆっくり歩く私たちの髪を撫でていく。
 ひとりになってからずっと考えてた。
 止まない雨はない。
 出口のないトンネルはない。
 生きていて辛いことの方が少ないなんて、
 そんなのやっぱり綺麗事だ。
 でも、君と出会って知ったことがある。
 たとえ冷たい雨がずっと降り続いたとしても。
 たとえ出口のないトンネルがあったとしても。
 ひとりじゃないなら歩いていける。
 傷ついて、それでも必死に進んで、不意に立ち止まって、静かに諦めた私たちが出会って。
 もう一度、前を向こうとした。
 たくさん傷つけて、たくさん傷ついて。持て余した感情でぶつかって。それでもお互いに向かって手を伸ばした。
 その手をとりあえた私たちが、もう一度この世界を生きてみようと思えた。
 ひとりじゃないと。
 教えてくれた君がいて。
 思い出させてくれた君がいる。
 たとえば、また道を迷ってしまっても。
 私たちの生きる世界が優しい光であふれなくても。この広い空の中に淡くても輝く光が私たちの中にも灯っているはずだから。
 何度でも思うよ。
 君と出会えてよかった。
 分けあえない辛さを分かちあえる人がいる。
 たったそれだけで救われることもあると教えてくれた君が、生きていてくれてーー本当によかった。
 そう思えたことにきっと意味があると思うから。
 今はただ、この瞬間を生きるために夏の太陽が照らす街を一歩一歩たしかめるように2人で並んで歩いた。