僕の初恋

「あ」
「あ!」
僕の声に、彼女は顔を上げて空元気に返した。
「一緒に帰りたくて、誘いに来ました」
一通り勉強を終えて、帰り際に寄った図書室には、僕を待っていたかのように彼女が珍しく椅子に座っていた。
「じゃあ、帰ろっか」
別に立ち話をするわけでもなく、彼女は立ち上がって、また僕より先に図書室を出た。
外はもう、冬を間近に感じるほど、透き通った空気の匂いが鼻を通る。
彼女の冬服も、すっかり馴染む季節になっていた。
「どう?受験勉強は順調?」
彼女の声に、今までのような覇気はなかった。
「はい。模試の結果も安定してきて、順調です」
学問に打ち込んでいた甲斐があってか、ただのまぐれなのか、今回はA判定だったのだ。
共通テストまで、あと二ヶ月。
みんながピリついているのを、しっかり肌で感じていた。
「そっか。じゃああとは本番頑張るだけだね」
彼女の声は、涙ぐんでいるように聞こえた。
驚いて顔を見てみると、涙はうかべていないものの、ケロッとした顔を作っていた。
「はい」
これ以上、何を言えばいいのかわからなかった。
ただ、隣を歩けているこの時間が、甘い甘い幸せな時間だった。この時までは。
彼女は考え事をしていたのか、少し思い詰めたような顔をして歩いていた。
僕も、ころっと変わる彼女の表情が、喜怒哀楽のどれもが綺麗で、何も思わずに見とれていた。
「優澄先輩!前っ」
シャーっと音を立てながら、彼女に近づく自転車に気付けなかった。完全に、彼女に気を取られていた。
手を引こうと、伸ばそうとしたけど、その時にはもう、自転車は通り過ぎていた。
彼女の身体の真ん中を、綺麗にすり抜けて。
呆気に取られて行き場を失った僕の手は、ぶらんと宙に浮いていた。
彼女は無傷で、痛がる様子もなく、何も無かったような顔をしてまた歩き始めた。
「惺也くん、置いてくよ」
何も無かったように、言葉を並べた。
「優澄先輩、あの……」
無理だった。
僕には見なかったことにはできなかった。
見なかったことにするか、せめて自分の中だけで留めておくか、見間違いだと自分に言い聞かせるか、色々な案が一瞬で頭の中を駆け巡ったけど、選択する前に結論が口からこぼれてしまった。
「……明日、そこの公園に朝……は時間外だから、確か……お昼の十三時に集合ね」
ぶつぶつと小さい声で独り言を話したかと思ったら、唐突に明日の予定ができた。
「十三時ですね。わかりました」
三角形の敷地の公園で、はじめて好きな人と待ち合わせ。
嬉しいような、なんだか少し怖いような。
複雑な気持ちと、よく分からない緊張感に襲われた。