遠藤さんといっしょに姿を消していたわたしと湊に、クラスメイトたちは好奇の視線を向けてきた。わたしはあいまいに笑ってごまかす日々を送るしかない。

「悪いなあ、三糸」
「いえ」

 昼休み。職員室のコピー機で、わたしは午前中にとったノートを複写していく。その様子を見ながら、担任は言う。

「遠藤のこと、頼むよ」

 わたしはひとつまばたきをして、笑顔でうなずいた。

「はい」

 ――なんで、またなの。まあ、やるけどさ。一応、ちょっとは優等生ってことになってるし。

 コピー機から生み出されていくノートの複製品。積み重なっていく紙の束を、じっと見つめた。

 遠藤さんは、けっきょく学校をやめなかった。でも司書室登校をしている。教室ではなく、司書室に直行して、司書室から帰る。そういうのって保健室は聞くけど、司書室ってなかなかないなと思った。でもまあ、遠藤さんにとっては司書室のほうが落ち着くのかもしれない。草本先生と仲よさそうだったし。

 わたしは担任から、ノートのコピーをとって遠藤さんに届ける役目を任された。

 先生がプリントをつくって持っていけばいいのに、友だちとの接点は残したほうがいいだろうとのことで、わたしに一任されたらしい。おかげさまで、わたしは授業中に居眠りができなくなった。

 ノートのコピーを持って、わたしは職員室から図書室に移る。草本先生にあいさつしてから、司書室で待つ遠藤さんを訪ねた。

「おはよ、遠藤さん。はいこれ、午前中のノート」
「ありがとう。三糸さん」

 遠藤さんは、わたしに小声で言った。あいかわらず顔色は悪いけど、前みたいにわたしが気持ち悪くなるほどの《恐怖》は感じなかった。それどころか、命を助けるなんて字面にするとなんともかっこいいことをしたわたしに気を許してくれたのか、会いに行くとすこしの会話をしてくれる。

「三糸さんの字は、ちょっと丸っこいよね」
「そうかな?」
「うん。この前、一湊くんのノートもらったけど、一湊くんの字もきれいだった」

 ああ、そういえば。たまにはちがう子とも接点を、とかなんとかで、一回だけ湊にノートのコピーをとるように、担任が言っていたんだ。でもけっきょく、その一回以外はわたしがやってるんだけど。おひとよしのオーラでも出ているんだろうか。それとも、ちょっと優等生なキャラづくりのせいか。面倒ごとは全部わたしに回ってきがち。

 それでも笑って、遠藤さんに手をふる。

「じゃあ、また放課後くるね」
「うん」

 遠藤さんは、ほんのかすかに笑みを浮かべてくれた。

 ――また放課後、か。あんまり、来たくないけどなあ。

 図書室を出て、自分の教室にもどる。その前に、廊下で須川さんとすれちがった。

「あ、三糸さんだ。大変だねー、彩のお世話」

 わたしは意識して口角を持ち上げた。手を背中の後ろにまわして、爪でぎゅっとつねる。

 須川さんから流れてくるのは《不愉快》。それを一応は薄いベールで隠そうとしているけれど、中身が透けて見えるから意味がない。

「先生に頼まれちゃったから」
「へえ。三糸さん優等生だもんねー」

 とりあえず、かわせたようだ。須川さんは、あふれだす感情はそのままだけど、それ以上なにも言わずに去っていく。ほっと肩から力を抜いた。

 けっきょく、こんなものだ。遠藤さんがいなくなったって、世界はたいして変わらない。須川さんに考えを改めさせるだとか、そんなことはむずかしい。

 教室の自分の席につく。後ろの席では、湊が机に突っ伏して眠っていた。すやすやと安眠しているようだ。にくらしいなあ、もう。

 美里は、ちらっとこっちを見たけれど、話しかけてくる様子はなかった。わたしもひとりで頬杖をついて、窓の外を見つめる。

《警戒》

 クラスのみんなの感情が、ぴりっと肌を刺してくる。美里もそうだ。

 そう、こんなもんなんだ。

 遠藤さんが去年、だれかをかばって須川さんを敵に回したのなら、遠藤さんを助けたわたしも、いつ須川さんたちの逆鱗に触れるかわからない。そんなわたしには関わらないほうがいい。美里がしているのは、わたしが遠藤さんにしていたのと同じこと。

 世界はそうやって、なにも変わらずぐるぐると回っていく。なんて、つれない世界だろう。

 ――つぎは、わたしの番か。いや、うまくやれば回避できる? もう無理かな?

 美里とは、距離をおいたほうがいい。そのほうが、美里のためだ。わたしは空気みたいに溶けていなくちゃ。これ以上目立つのはまずい。

 左手の甲を、右手の爪でつねる。じんわり伝わる痛みを感じながら、海を見つめる。

 きらきら、きらきら。
 ああ、今日も青い。
 青い。青い。

 消えてしまえたら、楽なのに。

 ぎゅっと、肌に爪を立てた。