それはなんの前触れもなく訪れた。

「オフィーリア・シュテイン、今日この場を以てお前との婚約破棄を宣言し、私はこのリリア・エメルードを妻に迎える」

 この場は王家主催のシーズンの始まりを告げる夜会であった。
 王太子とその周囲がエメルードの小娘にぞっこんであったのは把握していた。だからこそそれとなく殿下を誘導し、エメルードと距離を置くよう画策していた。だがどうやら失敗した、ないしは間に合わなかったようである。まあ間に合わせる気もなかったのだが。

 玉座に目線を小さく投げると、陛下も妃殿下も顔面蒼白、いまにも倒れそうな様子で力なくうなだれていた。私を見つめて唇を薄く開き、首を横に振る。安っぽい三文芝居の大根役者でももう少しましな舞台に立っているだろうとどこか冷めた気持ちでその場面を見た。

 私は失敗した。けれどそれは私の責にはなるまい。
 そう思うとひどく安心した。王族と言う枷から逃れることができるのだ。こんな自由なことはない。

 私の二度目のこの夢は、どうやら私の望む未来に舵をとっている。

「ご命令とあらば、謹んで」


 一度目の私は、それはそれは優秀だった。
 この小娘を排除し、婚約者としてエドウィン殿下の手を引いた。そうして彼が玉座に就くのをどうにか支えることが自分の仕事であると信じて疑わなかったから。

 弟、第二王子であるセシル殿下と一緒にエドウィン殿下に声をかけ続けた。そうしているうちに生まれたセシル殿下への感情に名前のないものだと蓋をして投げ捨てた。そうでなければ耐えられなかったからだ。

 一度目の人生は、表面上の筋書きではうまくいったのだろう。
 エメルードを排し、秘密裡に彼女を処刑し、彼女の家ごと取り潰した。婚約者のいる王族、しかも王太子に粉をかけ、その婚約者の行いを詐称しようとしたのだから当然だ。王室の影がいればすぐわかることである。

 エドウィン殿下はそれを知らない。どうやら王都にいられなくなった、という報告に寂しそうに頷いたが自身の立場を思い出し公務に励み、その後彼女を探さなかった。

 だが私はどうだ。
 そのすべてを裏で片づけて、あまつさえあらぬ疑いをかけられていた。そこまでして尽くしているのに待っている王妃の椅子は、果たしてそんなに良いものなのだろうか。
 答えは否である。なにがいいものか。いいことなどあるものか。重責に押しつぶされそうになりながら私は微笑み続けなければならなかった。

 世継ぎは必要だ、わかっている。息子にはなんの罪もない、愛している。だがもう無理だ。うんざりだ。あれに抱かれるなどまだ磔にされたほうがマシだと本気で思った。
 息子を産んだあと、高熱で寝込んだ……ということにした。そして二度と子を儲けられなくなった、ということにした。医者には望むだけの手当てを施した。

 幸い、燻りながら慕い続けたセシル殿下が後継者争いの火種になるからと生涯独身を貫いていたことだけが救いだった。おしどり夫婦と言われる政で見せる王妃の顔はすべて作り物で、私の心はいつまでもセシル殿下にあったのだ。


「わたくしは、いち臣下にすぎませぬ。王太子殿下の決定に異を唱えるはずもございません、お二人の婚姻に尽力するのが臣下の務めでございます」

 あの夏の日。私の一度目の夢の中で、いっとう穏やかな夏の日に、国王エドウィンは息を引き取った。
 あの日ほど安堵した日はなかった。終わったのだと、もうこの男の顔を見ることはないのだと、寡婦になった私はなにに気遣うこともなく、心でセシル様を慕っていいのだと、あの地獄のような夢の中で、一番幸せだったあの日。

 お互い歳をとってしまったわね、と国王の葬式のあとに二人で話をした。
 そこで知った。彼もまた私を愛してくれていたことを。

 どうにもならなかったし、するつもりもなかった。
 私は王太后であり、私も彼ももう年を重ねすぎていた。
 来世があったら、良いものね、とそれっきりであった。

 それがどうだ、目が覚めた私は十五歳であり、同じ日常をやり直した。違ったのは私が一度目ほど勤勉ではなかったということだ。だってそう、私が王妃にならなければ、たとえ平民に落とされたとしても、そのほうが貧しく辛くても、心の自由が約束される。
 私はただ、声に出して、セシル様を慕っていると一言言えればよかったのだ。

「お待ちください」

 すぐ隣で声がした。名前を呼ばれ顔を上げれば、今も昔も変わらぬその相貌に深いため息が出る。
 美しい。愛おしい。私はこんなにもあなたを愛しています。

「シュテイン嬢は、王家のことを知りすぎています。簡単に婚約破棄をしてよいものではありません。幸い私はまだ一人です。ですからどうか、どうかオフィーリア。今度は私の手をとってくださいませんか」

 既視感、というにはあまりに些細なものであった。
 ああ、でも、そうだ、彼はあの夏も同じように言ったのだ。出来ないと言ったのは私のほうで。

「もしかして、セシル殿下も、二度目の夢を見ておられるのですか」

「……ええ、きっと。あなたにとっても二度目であれば、同じ夢を」

 だとしたらその手を取ることに、なんのためらいがあるだろう。
 唖然としたエドウィン殿下と、陛下たち、そして参加者の貴族たち。きっとセシル様を狙っていたご令嬢もたくさんいたのでしょうけれど、あいにくと二度目の私たちになりふり構っている余裕はない。
 なんせ待っていた。一度目の八十年と、二度目の十七年間。ずっとずっとあなただけを、あなたと結ばれる結末だけを。