「か、壁の本棚には、紗和ちゃん、興味ない? さ、紗和ちゃんは、机、は、全部見終わった、の?」

 その本は、日記帳だった。
深く濃い緑の表紙に細かな金色のインクでツタの葉が描かれた表紙に、中はよく分からない言語で文字が書かれている。
充先輩のお父さまはスウェーデン出身というから、これはスウェーデン語というやつなのだろうか。

「紗和ちゃん、私たちの存在忘れたのかな」
「いや。そんなことはないと思うんだけど、何か気になるものを見つけたか、わざと聞いてないかの、どっちかだよ」
「ワザと聞いてない?」
「ヒント探しに夢中だから、話しかけるなってこと」

 その日記らしい手記には、スウェーデン語だけではなく、たどたどしい日本語で日常も綴られていた。
多分日記を書きながら、日本語で文章を書く練習をしていたんだろう。
日本語で書かれているページをめくった。

「さ、紗和ちゃん! き、聞いて、る? なに、か、見つけたの?」
「卓己。こんな遠くから声かけたって無駄じゃない? 近くまで行ってみる?」
「う、うん。えっと、いま相当に気が立ってると思うから、あんまり近寄らない方がいいと思うよ」
「……。卓己は本当に、紗和ちゃんには弱いんだね」
「怖いからさ」

 二人の会話はちゃんと聞いてるけど、全く気にならないし、どうでもいい。

「さ、紗和ちゃん。なに、か、見つけた?」

 恐る恐るのぞき込んできた卓己に、その日記を見せる。

「わ! こ、これは、お父さんの日記だね」

 千鶴も卓己と一緒にのぞき込んだ。

「本当だ! リンドグレーンの手記とか、貴重過ぎるんじゃない? 凄い。こうやって日本語の勉強してたんだ。日本好きだとは知ってたけどさぁ」
「リンドグレーン?」

 私は千鶴の言葉に首をかしげた。

「さ、紗和ちゃん。リンドグレーンさんはね、充先輩のお父さんだよ。現代アートの先駆者っていうか、とても面白い造形をなさる方で、一度日本で行われた個展に、ぼ、僕も……見に、行ったこと、が、あるから……」

 卓己はなぜか、顔を真っ赤にしてうつむいた。

「美大のみんなで見に行ったんだよねー。リンドグレーンの個展だなんて、行っとかなきゃ損だし。それにあの時は……」

 千鶴が嬉しそうに語り始めたのを、卓己は「シー」っと黙らせる。

「ご、ゴメン……ね。紗和ちゃんに、な、内緒にしてて……」
「なんで?」

 私はパタンとその日記を閉じた。

「別に私が卓己の行動全部を知ってる必要なくない?」
「そ、それは、そうなんだけど……」

 おろおろと言い訳をはじめた卓己を、千鶴は初めて見る人であるかのように見上げた。

「私は卓己の行動をイチイチ監視しようなんて思ってないし、私も卓己に監視されたくない」
「か、監視なんてしてないよ!」
「ふーん。だったらいいよ」
「そ、それは、監視じゃな、なくて、紗和ちゃんを、し、心配してんの!」

 私はそんな卓巳を無視して、二人が途中放棄してしまった本棚の未探索ゾーンを丹念にチェックする。

「ね、ねぇ、紗和ちゃん、は、ぼ、僕の話、ちゃんと聞いてる?」
「聞いてない」

 特に変わった本棚ではないし、隠し戸棚とかもなさそう。
本と本の間に何かが挟まっていそうな、そんな違和感もどこにも感じられなかった。