「15万円! 他にいらっしゃいませんか?」

 よし! このまま落札だ! 
これであのカップは私のも……。

「17万円」

 は? 
誰だ、こんなマニアックな作品に札を上げた奴。
私以外他にいるの? 
あのカップを欲しがってる人が?

「20万」

 仕方なく、もう一度札を上げる。
これでハンマープライスだ。

「25万」

 あ? ちょっと待て。
会場を見渡す。
私以外に、まだ複数のパドルが上がっていた。

「28万」

 くそ。こうなったら意地だ。
せっかくの掘り出しモノ、ここであきらめるワケにはいかない。
札を上げた私の後に続いて、すぐ他の札が上げられる。

「30万!」

 誰だ? 
昔ちょっと流行っただけの、マイナー作家の迷作をこんな高値で買い付けようっていうバカは! 
そういう私もパッパパッパと札を上げまくっているけど、そろそろ本気でお終いにしたい。

「40万! 50万円! もういらっしゃいませんか?」

 場内がざわつき始める。
最高落札価格48万円だったものが、50万を越えた。
お願い、もうあきらめて! 
手数料とか税金とか、色々追加したらもうこれ以上は無理!

「50万! 50万円! いらっしゃいませんか?」

 残ったのは私ともう一人。
前方の席に座る若い男性だ。
くっそ。
高そうないい仕立てのお洒落スーツ着てるじゃないか、勘弁してくれ。
私は泣きながらもう一度札を上げた。

「53万!」

 相手はまだ下りない。
札を上げ続ける私は、もはや涙目だ。
このあたりで勘弁してほしい。

「55万、57万! 58万。もういらっしゃいませんか?」

 ダメだ。
そもそも今回の軍資金は、私の全財産である50万円。
次の給料日までを考えても、これ以上はムリ。

「8番、58万円で落札されました!」

 オークショニアの興奮した声に、無慈悲なハンマーの音が響く。
ここは、より多くのお金を出せる者だけが勝利する世界。
ボロボロと勢いよく流れ落ちる涙を誤魔化す余裕なんて、私のどこにも残っていなかった。
どよめく会場の中を、ガタリと大きな音を上げて立ち上がる。

 派手な音なんて、たてるつもりは全然なかった。
だけどそうなってしまったものは、仕方ないじゃない。
会場の注目が一身に集まる。
私を泣かせた男は、ちらりとこちらに視線を投げた。
それに後を追われるように、会場を抜け出す。
欲しかった。
どうしても自分の手で取り戻したかった。
大切なおじいちゃんとの思い出のカップ。

 試作品としていくつか作っていたものだ。
今はもう撤去されてしまった自宅の窯で焼いていた。
沢山作った中で残っていた、出来の悪いものだ。
おじいちゃんがまだ幼かった私のおもちゃ代わりにと、割ってしまうくらいならとままごと道具にくれた。
私が捨てないで、壊さないであげてって頼んだからだ。
庭の草をむしって入れたり、ビー玉を入れて遊んだ。
その思い出が目の前をすり抜けていく。
もう二度と私の手には戻ってこないだろう。

 チラリと冷ややかな視線を投げた男には、見覚えがあった。
なんだよ、お前か。
初めて生で本物を見た。
絶対にかなわない相手だ。
まぁ、あの人の手に渡るのなら、大事にしてくれるかな。
少なくとも転売や投機目的ではなさそうだ。
大切に使ったり飾ったりしてくれるんなら、私が遊んでいたあのカップも本望に違いない。
悔しいけど、悔やんだところでどうにかなる世界ではないのだ。

 文字通り会場から逃げ去り、飛び出してきたビルの外は、さんさんと明るい太陽の光が降りそそいでいた。
春だ。
桜の花びらがどこからか飛んできて宙を舞っている。
流れる涙をぬぐい、思いっきり鼻水をかんだ。
ひらひらと地面に落ちた花びらは、投げ捨てられたゴミと一緒になって、歩道の隅に掃き寄せられている。
桜の花びらも、本当はこんなふうになりたかったわけじゃなかったよね。
ずっときれいなままで、誰からも賞賛され美しく咲き誇る花でありたかったんだよね。
分かるよ。
私も同じ気持ちだから。
だからもう、おうちに帰ろう。