ようやく迎えた卒業式。学校は満開になった桜に彩られて卒業してゆく生徒を祝福しているようだった。
今日卒業する生徒はみんな別れを惜しんだり、また会おうと再会の約束をしたり、新天地でも頑張れと応援している。
俺はどれにもなれなかった。全く眠れなかった。
そして、波音からのメールの返事もまだ来ていない。
きっと母さんからのあの言葉は夢か嘘だったのだと思いたいという一心でまだ登校してこない波音の靴箱を見に行く。もう少しで式が始まるというのに彼女が来る気配はない。
やっぱり昨夜の宣言通り、波音は卒業式に出席できないのだろう。
亡くなったという現実を受けられない俺は変に希望を見出そうとする。
職員室が騒がしい感じするがわざと気付かないふりをすた。だって、今、それに気付いてしまったら感情が爆発してしまいそうだからだ。
気も紛らわす為に持っていたスマホでまた波音にメールを送る。

『大丈夫?死んだって嘘だよな?もう少ししたら式が始まるから終わったらまたメールする』

嘘でも夢でもない。全て現実だ。
なら、昨日の夜、あの神社で出会った波音は何なのだ。どう見てもこれから死ぬ様な面じゃなかった。けれど、嬉しそうに笑っていてもどこか悲しげな雰囲気だった。何かに後悔した様な悲しいもの。全てが最期だと言いたげな言動。返ってこない返事。

(大丈夫。式が終わったら…)

『さっき渡した手紙だけど、明日の卒業式が終わってから読んでね。それだけは約束して』

昨夜、波音と交わした約束を思い出す。彼女から手渡された手紙の事だ。彼女に託されたその手紙に何か書いてある筈。
桜色に染まっていた筈の卒業式。そこに中邑波音はいない。あるのは遺書にも似た手紙だけ。

(怖い。これを読んだら俺は波音の死を認めろってことになるのに)

現実から逃げて読まずに捨てるという選択もある。だが、その選択を選んでしまったら波音は悲しむに決まってるし俺に愛想を尽かすだろう。
どう足掻いても覚悟を決めなければ。
とにかく今はこの卒業式を無事に終えることを考えよう。
そう考えていると、担任の鷹木がなかなか教室に戻ってこない俺を探しにきていた。俺を見つけた途端「おい!内藤!どこ行ったたんじゃ!もう少ししたら先始まるから一旦教室戻れ」と俺に叫んだ。
変に明るくてうるさい人だけれど、優しくて生徒思いの先生だ。
きっと先生も昨夜の波音のことを知っている筈だ。でも、そんな感じを見せずいつも通りに接してくれて何となく救われた。

「内藤」
「え、なんすか?」
「もし式の最中に気分が悪くなったらすぐに言えよ。後ろで見るから」
「……ありがとうございます」
「無理だけはするな。今はそれだけ言わせてくれ」
(鷹木先生。その口ぶりからすると…)

もしかしたら友達が何か言ったのかもしれない。途中退出は避けたいが今回ばかりは無理な気がしてならなかったから先生の労わるその言葉がとても救いになった。こんなに泣きそうになったのは久しぶりだった。
本当は声を上げて泣きたかった。こんな気持ちで卒業式を迎えたくなかった。大好きな人と一緒に卒業式を迎えたかった。
その気持ちを押し殺しながら俺は教室に向かう。
今、先生に全てをぶちまけたらきっと卒業式どころじゃなくなる気がする。
俺と先生はクラスメートが待つ教室へ急ぐ。
満開の桜に見守られながら迎える卒業式。昨日の夜に見た桜とは違う切なさと希望を込めた花びらがひらひらと舞っていた。



使い慣れた体育館はいつもの雰囲気とは打って変わり、いかにも式典という形になっていた。先生方や大勢の父兄と在校生に囲まれながら高校生活の卒業を迎えようとしている。
卒業生が花道を歩く姿をスマホやカメラに収められてゆく。
席はクラスごとに分かれていたが、波音のクラスだけやけに空席が目立った気がした。
波音のクラス以外は殆ど卒業生で埋め尽くされているのにどうしだろうとは思った。

(…もしかしたらあの手紙に何か書いてあるかも)

なんて変な詮索を考えているうちに卒業式は滞りなく進められる。
波音のいない卒業式。
卒業の証である証書を一人ずつ校長先生から受け取り、3年間ずっと学ばせてくれた人達と次の3年生達への感謝の言葉と合唱を送った。
啜り泣く父兄と生徒の声、スマホのシャッター音、ピアノの音。全てが一生忘れらない卒業式。
けれど、俺はまだ完全に高校生活を終わらせた気にはなれなかった。あの手紙だ。あの手紙を読まない限りきっと先へと進めない気がする。
まだ読むことへの、真実を知ることへの恐怖心は拭えない。寧ろ増してる様にも思える。
けれど、ここで逃げたら一生後悔する。
卒業式が終わり、一旦教室に戻り先生との最後の短いHRを行った。
クラス中に啜り泣く声響き、鷹木先生も最後は堪えきれず涙を流していた。
きっと、クラスの中で上の空だったのは俺ぐらいだろう。確かに感動し寂しさを感じたが、波音から貰った手紙が気になってしまってそれどころではなかった。

「高校生活を終えても気を抜かん様に!!新生活を思う存分楽しんで欲しい!!!!」

涙混じりの先生の言葉にみんな"はい"と大きな声で返事をした。このクラスでの最後のHRなのに俺だけ違う。

卒業式とHRを終えた生徒は桜の木がある校門の前で友達同士で写真と撮っていた。
本来なら俺もあの中の一人だった筈。親しかった友人達とふざけ合いながら写真を撮っていただろう。けれど現実は違う。
手紙という呪具が俺をあの神社の桜の木の下へと急げと誘わせる。
和気藹々と喋りながらまた会おうねと再会の約束を交わしている中、俺は先に出席していた父親を探したがすぐに見つかった。

「広也!」
「父さん。よかった探してたんだよ」
「……卒業おめでとう。清水くん達とは写真撮ったか?」
「まだ、だけど……それよりごめん。コレ預かっててくれる?ちょっと行かなきゃいけない所があるから」
「え?急にどうしたんだ」
「波音に…波音に会いに行ってくるから。コレ、ごめん、たのむ」
「な、波音ちゃんにって…!!あ!おい!広也!!!」

俺は手に持っていた卒業証書が入った黒い筒を押し付けて走り出した。俺を呼び止めようとする父親の声を背に俺は手紙片手に神社へ急ぐ。

『この手紙は卒業式が終わったら呼んでね』

波音と交わした約束。
この手紙の中に何が書かれているか分からない。
読まないまま新生活を送る気にもなれなかった。
友達と恩師との別れの言葉を交わさないまま俺は神社に急いだ。




夜の時とは全く違って、明るい昼間に見る桜は心が晴れやかになる筈だが今はそう感じなかった。
波音を連れ去ったであろう桜色の吹雪を連想させてしまいあまり視界に入れたくなかった。
黒い学ランに散った桜の花びらが落ちる。肩に付いた桜を払うことなく俺は波音と最後にあった場所に急ぐ。
平日だったせいか神社には殆ど人気がない。昨夜ほどではないが妙に静かに感じた。
亡くなったなんて、まさか自ら死を選んだなんて。俺はまだ信じられなかった。
だって、その知らせを聞く直前まで俺は波音と話していた。しかも、やっと想いが通じ合っていたのに。
どうしてという言葉と疑問ばかりが頭を過ぎる。
そうこうしている内に目的地の大きな桜の木にたどり着く。
恐怖を必死に抑えながら、震える手で封筒を開け手紙を取り出す。
手紙には見慣れた字と、転々と涙の跡であるシミが付いていた。
どんな気持ちでこの手紙を、否、この遺書を書いたのかと思うと胸が苦しくなった。
俺はゆっくりと気持ちを落ち着かせ、彼女らしい可愛らしい字で書いてあった手紙に目を通した。


《広也へ

この手紙を読んでいる頃には私はもうここには居ないでしょう。
こんな選択を選んでしまった私をどうか許してほしい。今の私にはこれが1番の解決策だった。
広也やお母さんやお父さん、友達にすごく迷惑をかけてしまうけれどもう耐えきれなかった。
私は、高校で広也と離ればなれになってから色んな人から攻撃されてた。
物隠されたりとか、SNSで悪口言われるとか、口には言いたくない事ばかりされた。
本当は誰かに相談したかった。助けて欲しかった。でも、素敵な人達に囲まれて幸せそうな広也達に心配をかけたくなかった。傷ついてゆく私を見てほしくなかった。
だから、私はその事実を隠し続けたの。こうするしかなかった。
耐えきれなくなって私は死を選んでしまった。
けれど、せめて天国に行く前に貴方に、大好きな広也に告白したかった。

卒業式前日なのに突然の連絡と呼び出し本当にごめん。

一緒に卒業式に出れなくてごめん。

一緒に高校を卒業できなくてごめん。

一緒に大人になれなくてごめん。

私の初恋の人になってくれて本当にありがとう。
幼い頃からずっとそばにいてくれた事とても感謝してる。
私は貴方に会えて本当に幸せでした。

これから私は空から貴方の幸せを願うから。
だから私のことは早く忘れてください。
広也には素敵な人と出会って、その人と幸せになって欲しいから。


本当にありがう。さよなら。 中邑波音》



「馬鹿野郎…何がさよならだよ…!!ふざけんな…!!」

卒業式では流れなかった涙がボロボロ頰を伝ってゆく。その涙は手紙の上に落ちて滲ませてゆく。
悔しい。すぐそばに居たのに、何も彼女の異変に気が付かなかった。
俺は中邑波音を救うことも慰めることもできなかった。
自分の身に起きている惨事を隠して生きてきた波音の苦しさはとても計り知れないだろう。死によってその苦しみから解放されたのだと思うと悔しくて悔しくて仕方がなかった。
もう後悔しか残っていない。どんなに俺が泣き叫んでも、波音はもう、戻ってこない。

「どうして言ってくれなかったんだよ…!!どうして全部1人で抱え込んだんだよ…!!!波音ぇ…!!!」

あまりの悲しさで俺は膝から崩れ落ちる。
あの夜の告白は波音の最後の願い。願いを叶えた彼女は幸せな気持ちを抱えたまま空へと桜色の吹雪と共に還ってしまった。
優しくて、太陽の様に明るかった彼女はもうこの世にいない。
俺はこれからそんな世界で生きてゆくのだという事実を受け入れられなかった。
泣き続ける俺の背中にヒラヒラと桜の花びらが落ちてゆく。それはまるで愛する人を守れなかった憐れな俺を慰めている様だった。



俺はまださよならなんて言えない。
突然消えたお前を忘れるなんてできない。
波音を忘れて、知らない誰かと幸せになるなんてビジョンなんて想像できない。



中邑波音への想いを断ち切れない手紙という呪具はいつまでも俺を縛り付けた。