正体不明の役人によって生まれ故郷から連れされた翠鈴は、そのまま籠に乗せられて山をふたつ越えた。籠といっても罪人を運ぶ時に使う唐丸籠(とうまるかご)と呼ばれるものだ。
 手足こそ縛られてはいないものの、食事もその中で取るように言われ、生まれ故郷の村で平和に暮らしていた翠鈴にとっては生まれてはじめて受ける屈辱的な扱いだった。
 いったいどこへ向かっているのか、自分はどうなってしまうのか不安でたまらなかった。
 自分が緑族の末裔などという話はにわかには信じがたい。でも白菊と呼ばれていた役人はなぜか確信があるようだ。そしてどこかへ連れて行こうとしている。
 その先が明るいものではないのは確かだった。

 皇帝への反逆を犯した大罪人の子孫は、祖先と同じように罪を背負わなくてはならないのだろうか?

 皇帝は、自分に刃向かった一族を都から追い出しただけでは満足できず、見つけ出し根絶やしにしようとしている?

 だとしても千年が経った今になってどうして……。

 そして三日目の夕刻、籠に揺られ続けてぼんやりとする翠鈴に、馬に乗り並走していた白菊が口を開いた。

「まもなく都に着きます」

「都……」

「あなたはこのまま後宮へ入っていただきます。皇帝陛下の妃として」

「こ、後宮へ……!? 妃として?」

 掠れた声で聞き返して、翠鈴は目を剥いた。
 なんとなく都へ向かっているのは感じていた。歩みを進めるにつれて、道は整備されて、道ゆく人の服装もきちんとしているように思えたからだ。
 おそらく都で罪人の子孫として裁かれるのだろうと思っていた。翠鈴にとっては理不尽すぎる出来事だが、まだそれならば納得だ。
 それがまさか後宮に入るとは!
 百歩譲って女官、いや奴隷として働くならまだわかる。でも妃として迎えられるというのはまったく意味不明だった。

「ど、どうしてですか!?」

「あなたが緑族の末裔だからですよ。龍神伝説は知っているでしょう? 人は、龍神さまに国を治めていただく代わりとして百人の妃を捧げると約束した。それなのに現在後宮には九十九人の妃しかおりません。本来であれば、あなたは皇帝陛下の妃としてとっくの昔に後宮に入っていなくてはならないのです」

「そ、そんな……! 後宮なんて……お、お妃さまなんて私には無理です! そ、それに、緑族は……」

 国中で忌み嫌われている一族だ。そのような一族の娘が後宮に入るなどあり得ないことは、田舎者の翠鈴にもわかる。
 だけどその先は言えなかった。自分の祖先が皇帝に刃向かったなどという言葉は、恐ろしくて口にすることがない。
 白菊が翠鈴をちらりと見て口を開いた。

「人間同士のことなど、私どもにはどうでもいいことにございます。とにかく天界と地上との決まりごとを守っていただかなくてはなりません」

「決まりごとを……」

 私どもという言葉と、彼の目が光るのを見て、翠鈴は彼がただの役人ではないと気がついた。おそらくは皇帝である龍神の使いであるあやかし……。
 白菊が目を閉じてため息をついた。

「ご安心ください。妃といってもあなたが皇帝陛下の寵愛を受けることはございません。詳細をお教えするわけにはいきませんが、決まりごととして一度お会いいただきます。その後は、もといた場所へお帰りいただいて結構です」

「え? そうなんですか……?」

 これまた意外な白菊の言葉に、翠鈴の身体から力が抜ける。

「よかった……」

 つまりは天界と地上との決まりごとを守るために、翠鈴は形式上、後宮入りするということだろう。

「あなたは、村人たちにとっては欠かせない人物のようですから、生まれ故郷へお送りいたします」

 今までの扱いから考えれば、意外なほど親切な言葉である。
 翠鈴がホッと息を吐いた時、一行は小高い丘の上を通りかかる。視界が開けて前方に大きな町が見えてきた。夕日に照らされて真っ赤に染まっている。
 白菊が合図すると一行は歩みを止めた。
 目の前に広がる光景は、翠鈴が生まれた村とは比べ物にならないほど栄えた場所だった。ひしめくように建つ頑丈な家々。通りを行く大勢の人々。
 その一番奥、低い山の上に要塞に囲まれた赤い瓦屋根の豪華な宮殿が建っている。

「あれが水凱国の都、五宝塞(ごほうさい)です。そしてあの建物が皇帝陛下が鎮座される紅禁城(こうきんじょう)。後宮もあそこにあります」

 白菊の言葉を聞きながら、翠鈴は息をするのも忘れて紅禁城を見つめる。
 荘厳な美しさと誰も寄せ付けない厳粛さに、ぶるりと身体を振るわせた。

「参りましょう。日が暮れるまでに着かなくては」

 白菊が言うと、一行はまた動き出した。