星巫女候補の地位にいながらも肩身の狭い思いをしてきた詩桜は、いずれ別の娘が星巫女として選出されれば始末される定めだとずっと村長の義雄に言われてきた。
そんな詩桜に外の世界を教えてくれたのが辰秋だった。彼と出会い、詩桜はいずれ殺される定めに抗い、星巫女として認められるよう頑張ろうと思った。
けれど……そんな日は、訪れなかった。
粛清が執行される当日の夜、車に乗せられ人気のない竹林まで連れられる。
抵抗もせず泣き叫ぶこともない詩桜の様子を隣に座る監視役の男が気味悪そうに見ていた。
運転手も監視役も皆、高瀬家の関係者のようだ。新たな星巫女候補の陽菜は、前を走る車に乗っており、義雄は詩桜の最後を見届けることもなく屋敷に残っている。
(これでもう、わたしが次の朝を迎えることはないんだ……)
窓の外に浮かぶ月を眺め思った。
自分は何のために生まれてきたのだろう。一瞬そんな思いが過ったけれど、考えたって意味がないとやめた。
「降りろ」
気が付けば粛清の儀式を行う場所に着いていたようだ。
人も寄り付かない不気味な竹林の中で人目を忍んでそれは行われるらしい。
魔の化身が粛清されるのだ。もっと見せしめのように殺されるのかと思っていたが……
「お嬢様、刀をお取りください」
漆黒のスーツを着た男が跪き、巫女の正装を着た可憐な陽菜に日本刀を差し出す。
陽菜はそれを無言で受け取った。
詩桜はそれを、星巫女だけが扱える『誓い刀』と呼ばれる刀かと最初思ったがどうやら違うようだ。誓い刀は、星巫女として覚醒した者にしか扱えない代物。さすがの陽菜も、まだそれを村長から託されてはいないらしい。
「ふぅ……さすがに生きている人間を斬ったことはないので少し緊張しちゃいます」
そう言いながらも、陽菜は躊躇なく鞘から抜いた日本刀の先端を詩桜へと向ける。
「ああ、でも違いましたね。詩桜さんは、狂鬼を引き寄せる魔の化身。化け物と変わらない存在でした」
「っ……」
詩桜は、きゅっと下唇を噛みしめ静かに目を閉じた。
「…………?」
が、心臓を貫かれるかと思った衝撃は訪れない。その代りに聞こえてきたのは。
「グルルルルルルルル」
「な、なんですの!?」
低く不気味な呻き声と、陽菜の少し怯えた声。
目を開け辺りを見渡すと、闇に浮かぶ紅蓮の双眸が、いくつもゆらゆらと火の玉のように詩桜の香りに寄せられ近づいてくる。
「狂鬼っ、あなたが魔の力で呼び寄せたんですか?」
「ち、違います」
「しらばくれないでください! さすが、魔の化身」
「っ……」
「お嬢様、危険です! おさがりくだっ、ぐあっ!?」
護衛に着いてきていた三人の男たちが陽菜を守るように飛び出して来た。だが、男たちは無残にやられその場に崩れ落ちる。
「いやっ、いやっ、こっち来ないで!!」
日本刀を振り回しなんとか身を守っている陽菜だったが、護衛たちが一瞬でやられたのを見て足が震えている。彼女が狂鬼を目にしたのは、これが初めてだったのかもしれない。
『清めの舞い』
詩桜は闇を祓う舞いで、一体二体と狂鬼を浄化してゆく。武器を持たされていない今の自分にできるのは、それだけだから。
けれど、次から次へと狂鬼たちが引き寄せられてくる。本当にキリがない。
それでも自分が舞いを止めれば、陽菜諸共喰われてしまう。新たな星巫女を失うわけにはいかない。
だから必死で詩桜は舞い続けた。
けれど……やがて力を消耗した詩桜の身体から閃光が消え、そこでピタリと力が止んでしまう。
「っ……」
よろけた詩桜は、その場に倒れてしまわぬようなんとか踏ん張る。
「きゃーー!!」
その時、陽菜の絶叫が聞こえた。いつの間にか腰を抜かしへたり込んでいた陽菜に向って、狂鬼が飛びかかろうとしている光景が詩桜の視界に入ってきた。
「危ないっ!!」
こういう状況は、初めてじゃない。昔、目の前で狂鬼に襲われた少女を助けることができなかったトラウマが蘇る。
その瞬間、詩桜の身体が勝手に動いた。
(本物の星巫女を死なせちゃだめ、守らなきゃっ!!)
狂鬼と陽菜の間に飛び込み蹲る彼女を庇う。
本物の星巫女を生かすために死ねるなら本望だ。
いつか、こういう日が来ると思っていた。自分が死んで悲しむ人なんていない。だから、覚悟を決め目を閉じた。でも。
「グアァアァアァアァッ!?」
闇夜を切り裂くような叫び声がして再び目を開く。
こちらに襲い掛かろうとしていた狂鬼たちが倒れている。
(いったい誰が……こんな数の狂鬼を相手に)
怯えながら、横たえる狂鬼たちの中心に佇む存在に気が付いた詩桜は息を呑んだ。
「……だれ?」
一目でその人物も吸血鬼だと分かったけれど、その双眸は燃えるような紅蓮の瞳ではなかった。
美しい月のような黄金色の瞳をしている。
(狂鬼化は、していない?)
ならば男から発せられているのであろう、このやけに耳につく音はなんだろう。
ぐるるるる。ぐるるるる。獣の鳴き声とも違う、呻き声とも違う。そんな音が狂鬼の倒された今でも響き続ける。
「あぁぁ……た、助かったの、わたっ、わたくしっ……あなたは灯真さまっ」
陽菜はガチガチと歯を鳴らし怯え、けれど男の顔を確認した途端安堵したように表情を和らげ、そのまま意識を失ってしまう。
(灯真様? どこかで聞いた覚えが……)
詩桜は、よろよろとしたまま、けれど男が手を差し伸べる前に身構えた。
この男が吸血鬼であることは間違いない。それも、かなり良家の吸血鬼かもしれない。吸血鬼特有の人を魅了する美しさ。そして和装姿から漂う気品、只者とは思えない。
青墨色の髪に金色の瞳が神秘的だ。匂いたつような彼の色気が原因か、詩桜は見つめられるだけで眩暈を感じた。
男は無言のまま目を細め歩み寄って来る。
「……詩桜」
名を呼ばれる。どうして、わたしの名前を知っているの? そう聞く間も与えられなかった。
次の瞬間には、その吸血鬼にキツク抱きしめられていたから。頭の中が真っ白になる。
長身の男に華奢な詩桜の身体は、すっぽりと包み込まれてしまい上手くもがくこともできない。
「――たかった」
耳元で囁かれた言葉。「会いたかった」と、そう言われたのだろうか。
なぜだろう。自分を包むこの見知らぬ温もりに、懐かしさのようなものを感じる。
けれど、もう一度、耳を傾けて確かめたその言葉は。
「……いたかった。喰いたかった、詩桜。ずっと、お前を」
「くい、たかった?」
会いたかったじゃなかった。喰いたかった? 一文字違いの、随分と意味の違う言葉。
その時になって詩桜はようやく、辺りに響く謎の音の正体を理解した。
「無事でよかった……今すぐにお前が欲しい」
詩桜の耳に届いていたのは、狂鬼化した者の呻き声でもなんでもなくて、強烈に鳴り響く謎の男の腹の虫だったのだ。
「っ!?」
なにをする気かと問う前に彼が顔を寄せてきたので、吸血されるのかと硬く目を瞑ったが、喰われると思った詩桜に降りかかってきたのは、唇への噛み付くような口付けだった。
詩桜の熱を確認するように何度も角度を変え繰り返される口付けに、抵抗するのも忘れ酸欠でくらくらとしてくる。
されるがままに口付けられた詩桜は、その行為が終わった後、呆然と自分の唇に指で触れた。
「ほんの味見だろ。そんな顔するな」
そんな顔ってどんな顔? 今、自分がどんな顔をしているのか分からない。
(もう、やだ……なにもかも疲れた……)
詩桜は、あまりの衝撃にそこで意識を手放してしまった。
それが白波瀬灯真と名乗る吸血鬼との、詩桜にとっては最悪な出会いだった。
そんな詩桜に外の世界を教えてくれたのが辰秋だった。彼と出会い、詩桜はいずれ殺される定めに抗い、星巫女として認められるよう頑張ろうと思った。
けれど……そんな日は、訪れなかった。
粛清が執行される当日の夜、車に乗せられ人気のない竹林まで連れられる。
抵抗もせず泣き叫ぶこともない詩桜の様子を隣に座る監視役の男が気味悪そうに見ていた。
運転手も監視役も皆、高瀬家の関係者のようだ。新たな星巫女候補の陽菜は、前を走る車に乗っており、義雄は詩桜の最後を見届けることもなく屋敷に残っている。
(これでもう、わたしが次の朝を迎えることはないんだ……)
窓の外に浮かぶ月を眺め思った。
自分は何のために生まれてきたのだろう。一瞬そんな思いが過ったけれど、考えたって意味がないとやめた。
「降りろ」
気が付けば粛清の儀式を行う場所に着いていたようだ。
人も寄り付かない不気味な竹林の中で人目を忍んでそれは行われるらしい。
魔の化身が粛清されるのだ。もっと見せしめのように殺されるのかと思っていたが……
「お嬢様、刀をお取りください」
漆黒のスーツを着た男が跪き、巫女の正装を着た可憐な陽菜に日本刀を差し出す。
陽菜はそれを無言で受け取った。
詩桜はそれを、星巫女だけが扱える『誓い刀』と呼ばれる刀かと最初思ったがどうやら違うようだ。誓い刀は、星巫女として覚醒した者にしか扱えない代物。さすがの陽菜も、まだそれを村長から託されてはいないらしい。
「ふぅ……さすがに生きている人間を斬ったことはないので少し緊張しちゃいます」
そう言いながらも、陽菜は躊躇なく鞘から抜いた日本刀の先端を詩桜へと向ける。
「ああ、でも違いましたね。詩桜さんは、狂鬼を引き寄せる魔の化身。化け物と変わらない存在でした」
「っ……」
詩桜は、きゅっと下唇を噛みしめ静かに目を閉じた。
「…………?」
が、心臓を貫かれるかと思った衝撃は訪れない。その代りに聞こえてきたのは。
「グルルルルルルルル」
「な、なんですの!?」
低く不気味な呻き声と、陽菜の少し怯えた声。
目を開け辺りを見渡すと、闇に浮かぶ紅蓮の双眸が、いくつもゆらゆらと火の玉のように詩桜の香りに寄せられ近づいてくる。
「狂鬼っ、あなたが魔の力で呼び寄せたんですか?」
「ち、違います」
「しらばくれないでください! さすが、魔の化身」
「っ……」
「お嬢様、危険です! おさがりくだっ、ぐあっ!?」
護衛に着いてきていた三人の男たちが陽菜を守るように飛び出して来た。だが、男たちは無残にやられその場に崩れ落ちる。
「いやっ、いやっ、こっち来ないで!!」
日本刀を振り回しなんとか身を守っている陽菜だったが、護衛たちが一瞬でやられたのを見て足が震えている。彼女が狂鬼を目にしたのは、これが初めてだったのかもしれない。
『清めの舞い』
詩桜は闇を祓う舞いで、一体二体と狂鬼を浄化してゆく。武器を持たされていない今の自分にできるのは、それだけだから。
けれど、次から次へと狂鬼たちが引き寄せられてくる。本当にキリがない。
それでも自分が舞いを止めれば、陽菜諸共喰われてしまう。新たな星巫女を失うわけにはいかない。
だから必死で詩桜は舞い続けた。
けれど……やがて力を消耗した詩桜の身体から閃光が消え、そこでピタリと力が止んでしまう。
「っ……」
よろけた詩桜は、その場に倒れてしまわぬようなんとか踏ん張る。
「きゃーー!!」
その時、陽菜の絶叫が聞こえた。いつの間にか腰を抜かしへたり込んでいた陽菜に向って、狂鬼が飛びかかろうとしている光景が詩桜の視界に入ってきた。
「危ないっ!!」
こういう状況は、初めてじゃない。昔、目の前で狂鬼に襲われた少女を助けることができなかったトラウマが蘇る。
その瞬間、詩桜の身体が勝手に動いた。
(本物の星巫女を死なせちゃだめ、守らなきゃっ!!)
狂鬼と陽菜の間に飛び込み蹲る彼女を庇う。
本物の星巫女を生かすために死ねるなら本望だ。
いつか、こういう日が来ると思っていた。自分が死んで悲しむ人なんていない。だから、覚悟を決め目を閉じた。でも。
「グアァアァアァアァッ!?」
闇夜を切り裂くような叫び声がして再び目を開く。
こちらに襲い掛かろうとしていた狂鬼たちが倒れている。
(いったい誰が……こんな数の狂鬼を相手に)
怯えながら、横たえる狂鬼たちの中心に佇む存在に気が付いた詩桜は息を呑んだ。
「……だれ?」
一目でその人物も吸血鬼だと分かったけれど、その双眸は燃えるような紅蓮の瞳ではなかった。
美しい月のような黄金色の瞳をしている。
(狂鬼化は、していない?)
ならば男から発せられているのであろう、このやけに耳につく音はなんだろう。
ぐるるるる。ぐるるるる。獣の鳴き声とも違う、呻き声とも違う。そんな音が狂鬼の倒された今でも響き続ける。
「あぁぁ……た、助かったの、わたっ、わたくしっ……あなたは灯真さまっ」
陽菜はガチガチと歯を鳴らし怯え、けれど男の顔を確認した途端安堵したように表情を和らげ、そのまま意識を失ってしまう。
(灯真様? どこかで聞いた覚えが……)
詩桜は、よろよろとしたまま、けれど男が手を差し伸べる前に身構えた。
この男が吸血鬼であることは間違いない。それも、かなり良家の吸血鬼かもしれない。吸血鬼特有の人を魅了する美しさ。そして和装姿から漂う気品、只者とは思えない。
青墨色の髪に金色の瞳が神秘的だ。匂いたつような彼の色気が原因か、詩桜は見つめられるだけで眩暈を感じた。
男は無言のまま目を細め歩み寄って来る。
「……詩桜」
名を呼ばれる。どうして、わたしの名前を知っているの? そう聞く間も与えられなかった。
次の瞬間には、その吸血鬼にキツク抱きしめられていたから。頭の中が真っ白になる。
長身の男に華奢な詩桜の身体は、すっぽりと包み込まれてしまい上手くもがくこともできない。
「――たかった」
耳元で囁かれた言葉。「会いたかった」と、そう言われたのだろうか。
なぜだろう。自分を包むこの見知らぬ温もりに、懐かしさのようなものを感じる。
けれど、もう一度、耳を傾けて確かめたその言葉は。
「……いたかった。喰いたかった、詩桜。ずっと、お前を」
「くい、たかった?」
会いたかったじゃなかった。喰いたかった? 一文字違いの、随分と意味の違う言葉。
その時になって詩桜はようやく、辺りに響く謎の音の正体を理解した。
「無事でよかった……今すぐにお前が欲しい」
詩桜の耳に届いていたのは、狂鬼化した者の呻き声でもなんでもなくて、強烈に鳴り響く謎の男の腹の虫だったのだ。
「っ!?」
なにをする気かと問う前に彼が顔を寄せてきたので、吸血されるのかと硬く目を瞑ったが、喰われると思った詩桜に降りかかってきたのは、唇への噛み付くような口付けだった。
詩桜の熱を確認するように何度も角度を変え繰り返される口付けに、抵抗するのも忘れ酸欠でくらくらとしてくる。
されるがままに口付けられた詩桜は、その行為が終わった後、呆然と自分の唇に指で触れた。
「ほんの味見だろ。そんな顔するな」
そんな顔ってどんな顔? 今、自分がどんな顔をしているのか分からない。
(もう、やだ……なにもかも疲れた……)
詩桜は、あまりの衝撃にそこで意識を手放してしまった。
それが白波瀬灯真と名乗る吸血鬼との、詩桜にとっては最悪な出会いだった。