「俺のモノに手を出すなら、誰であろうと容赦しない。お前は、俺の果実だ」
「あなたのモノじゃないです」
 気丈に答えたつもりだが、怯えた顔をしてしまっているかもしれない。それぐらい今の灯真は殺気立っているのだ。

「なんだ、その顔……そんなに俺が怖いか?」
「…………」
「俺の事は拒むくせに、他の吸血鬼には随分と綺麗に痕をつけられるんだな」
 吸血された首筋の噛み跡に指で触れられる。まるで傷を抉るような触り方に、詩桜は痛みを感じ眉を顰めた。

「なあ、俺にもさせろよ。いや……俺以外には、吸わせちゃだめだろ」
 言いながら彼は先程の吸血鬼のように、詩桜をフェンス越しまで追い詰める。

 いつものことだが……いつもよりも、恐怖を感じた。

(吸血鬼にとっては、これが普通なの?)

 吸血鬼の男は皆、吸血しようと寄ってくる。自分の食欲を満たすために。だから詩桜は吸血鬼が怖い。星巫女候補である自分が、そんなことではダメだと頭では分かっているけれど。

「っ、そんなにお腹が空いているなら……わたしじゃなくて、他の子に頼めばいいのに」
 灯真のモノになってもいいと懇願する子がいくらでもいる事ぐらい、詩桜だって知っている。
 そういった女子たちに、自分が疎まれていることも。

「……お前は、本当になにも覚えてないんだな」
 詩桜の言葉一つで灯真は傷ついた顔をする。自分だって無神経なことを平気で言うくせに、そんな顔しないでほしいと詩桜は思った。

「お前は……俺から逃れるために、記憶を捨てたのか?」
「え……わたしは」
 灯真が想っているのはわたしじゃない。灯真が大切にしている思い出の中の星巫女は自分じゃないのだと洗いざらい言えたなら、この胸にずっとある罪悪感は消えるだろうか。

 言いたい。けど言えない。自分が偽物の星巫女なのだと知られてしまえば、村中が混乱して辰秋にも迷惑を掛けてしまうだろう。

 そう思うと、やはり真実を灯真に伝える事は出来なかった。

「そうかも……きっと、灯真から逃げたくて記憶を捨てたの」
 どう答えて良いのか分からずそう言うと、灯真はムスッとしているようで、ひどく傷ついた表情になり、詩桜まで胸が苦しくなった。
 いったい灯真と本物の星巫女の間には、どんなに大切な過去があるのだろう。

「そうか……だが、俺と共にいたいと最初に言ったのはお前だ。裏切りは許さない」

(それは、わたしじゃない)

 抵抗する間もなく首筋の痛む傷跡に舌を這わされた。
 ますます詩桜の手首を掴む灯真の力が強くなる。

「や、だ……」
 詩桜の声が僅かに震える。けれど嫉妬で頭が沸騰している今の灯真は、そんな些細な変化に気付けないようだった。

「逃さない。詩桜、俺を見ろ」
 なぜ、自分ばかりこんな目に遭わなければならないのだろう。
 彼が見ているのは自分じゃないのに……

(灯真こそ、わたしを見てない。どうしていつもそればっかりなの? わたしを食べることしか考えられないの? 少しぐらい星巫女候補としてのわたしを見てほしい。目の前にいるわたしをっ……それともわたしって、やっぱり血が美味しいぐらいしか価値がないのかな)

 そんなの悲しい……

「っ……灯真なんて嫌い。吸血鬼なんて、みんな大ッ嫌い!」
 灯真を思い切り突き飛ばし叫んだ瞬間。詩桜の中で今まで溜め込んでいた、ドロドロとした感情が溢れ出して止まらなくなった。

「あなたたちがいるから、この世界はこんなにも不安定なのよっ。あなたたちのせいで、わたしは今も昔も、魔のモノを呼び寄せる不吉な存在だって疎まれている……全部全部、あなた達吸血鬼がっ、吸血鬼さえいなければっ」

 感情が荒ぶり、詩桜の大きな瞳には光るものが浮かび上がってきたが、詩桜はそれを零さぬよう静かに息を吸い込み耐えた。

「……悪かった」
 そんな詩桜の様子を見て、我に返った灯真は冷静さを取り戻したようだった。

 そして同じく我に返った詩桜は、自分の今の発言にサーッと血の気が引いてゆく。

 今のが、自分の本心? 吸血鬼なんて、全員いなくなればいいというのが?

 もしそうだとしたら、自分は星巫女失格だ。

「お前を怖がらせたかったわけじゃない。ただ……俺にとってお前との過去は……軽く捨てられるような、薄っぺらなモノじゃなかった」
 灯真はそれだけ言うと、詩桜を残して屋上から出て行ってしまった。

「灯真なんて……」
 大嫌いともう一度呟こうとして、でもやめた。
 こんなのただの八つ当たりだから。
 自分に自信が持てないことを人のせいにする自分は、なんて醜いのだろう。

 灯真よりも、こんな酷い考えを持っていた自分が、もっと嫌いで嫌気がさす。
 一人取り残された詩桜は、その場にうな垂れ自己嫌悪に陥っていた。