「神崎、それ回収したいんだけど」

 うとうとと微睡んでいた僕を現実に引き戻したのは、クラス委員長の江原の声だった。
 僕はぼんやりと彼を見る。江原は不思議そうに僕を眺めていた。

「あ……ごめん。まだ書いてないや」
「じゃあ、ささっと書いちゃってよ。適当で大丈夫だって、たぶん」
「適当……」

 僕はまだ何も書いていない、真っ新の進路希望調査表を見つめる。そこには第三希望までの進路を書くスペースがあって、一番下に真面目に全部を埋めないと保護者を呼び出すと、簡潔な脅し文句が添えられていた。

「神崎はさ、大学進学だろ?」

 江原が人懐っこい笑顔で僕に言う。正直、彼とはそんなに親しくない。なのに、どうして江原が僕の進路を予想出来るのだろう。疑問に思ったので僕は訊いた。

「なんで、そう思うの?」
「なんでって、そうだな……髪が黒いから」

 そう言う江原の髪は金色に近い茶色だ。耳にはシルバーのピアスが輝いている。両方とも校則違反。彼はいわゆる派手なグループに居る人間だ。あまり目立たないように毎日を過ごす僕とは違う。だから、同じクラスで過ごしていても、特別に接点が無い。あまり親しくない理由がそれだ。

「……江原は、進路どうするの?」
「ん? 俺?」

 僕の問いに、江原は息を吐く。

「家を継げって言われてるけど、正直、気が乗らない」
「家? 何かやってるの?」
「そう。美容室。だから専門学校で勉強してこいって言われてる。進路希望も、一応はそう書いた」
「そうなんだ。その髪は家で染めたの?」
「いや、他の美容室で染めた。そしたらめちゃくちゃ母ちゃんに怒られてさ。他所の店で金を使うなら、自分のとこで染めろって。怒るとこそこかよ、って」

 言いながら江原は笑う。僕もつられて笑った。何だかんだで仲が良い家族なのだろう。そんなやり取りが出来る家族のことが、少し羨ましかった。

「神崎は国立大希望?」
「……たぶん、無理。狙えない」
「なんで今から諦めモード? まだ高二の春だぜ? 夢はでっかく持てば?」
「もう五月だよ」
「まだ五月じゃん?」
「まぁ……そうだけど」
「ほらほら、書いちゃえって! 第一希望は国立大!」

 江原に背中を押され、僕は小さい字で希望欄を埋めた。続いて第二希望は私立大。これで二個は埋められた。第三希望は……。

「あとひとつ。ほらほら、適当に」
「うーん……」
「小学校の頃の夢とかで良いじゃん? 俺は天下統一って書いといた」
「え……マジで?」
「マジで」

 さすがに冗談だろう。そう思ったが、江原が見せた彼の調査表には濃く大きな字で「天下統一」と書かれていた。怒られるぞ。僕は苦笑する。

「夢、かぁ……」
「気になるな、神崎の昔の夢」
「……なんだと思う?」

 僕の問いに、江原は即答した。

「宇宙飛行士!」
「規模が大きいなぁ」
「違う? 子供は誰だってロケットに乗りたいって思ういきものなんだよ」
「自分は天下統一なのに?」
「俺は戦国武将が好きだったの!」

 僕はロケットではなく、馬に乗った江原を想像した。武将というよりは騎士って感じ。似合うんじゃないかな。白馬に乗った、王子様。
 僕は心の中で笑ったつもりだったけど、どうやら顔に出ていたらしい。江原は僕の頬を軽くつねった。

「何を想像してんのかな?」
「うひ……ごめん」
「で、昔は何になりたかったん?」
「う、聞いたら笑うと思う……」
「笑わないって」
「……パティシエ」
「え!? 意外!」

 江原は僕の頬を解放して目を輝かせた。

「お菓子、作れんの!?」
「……昔は作ってた」
「今は!?」
「作ってない」
「なんで!? そういう専門学校あるから行けば良いじゃん!」

 江原の言葉に、僕は一瞬だけ戸惑った。けど、別に隠すことでも無いから正直に言う。

「反対されたから、母親に」
「え……反対?」
「うん。小学生の間はパティシエになるって言っても怒られなかったけど、中学に上がったら馬鹿みたいな夢を口にするな、って」
「馬鹿みたいって……」
「うち、親が離婚していて母子家庭で……母親の言うことは絶対なんだ。逆らえない。今はお金を出してもらう身だから、大学進学しか許してもらえない」