「では、飛ぶか」
歩き案は完全に白紙となったのも束の間。鬼がさらりと告げる。ちょ……ちょっと待って……!簡単に言わないでよ……。いざ飛んで行くとなると、心の準備か……っ!
「……恐くは、ない?」
ついつい問うてしまうのも当然だろう?
「うーむ。そうだな高所恐怖症なら恐いかもな」
「……」
いや、そら当たり前やろ。
「高いのは苦手か?」
「分からない」
そんなに高いところに行ったことがあるわけじゃぁないから。校舎なんてたかだか3~4階建てだったし。うちは一軒家だもの。
「では、快適な空の旅をお届けしよう」
「……うん」
何故か、ホッとしてしまったのだ。この鬼の優しい微笑みに。でも、どうやって飛ぶんだ?羽は……生えないようだが。
タッ
鬼が足で地面を蹴る。
――――――すると。
ふわりっ
「ひゃっ!?」
鬼の身体が私を抱いたまま浮き上がり、あっという間にそこいらが見渡せるまで上昇した。
「わぁっ、すごい……!」
上空が恐い……そんな感覚を覚えるよりもまず先に、その光景に圧倒された。
夕陽が臨める丘は、山の一部だった。周囲には険しい山々が臨めるが、鮮烈な夕焼けに照らされて優しげな色を帯びている。そして山々の向こうを見渡せば、遠くに川や町のようなものも見える。
「アリス」
「へ?」
「ちゃんと俺の首に腕を回さないと、落ちるぞ」
ひぇっ。
やっぱりこの鬼は、性格が悪いのではないだろうか。上昇してから急にそんなことを言うなんて。でも、落ちたら恐い。さすがにこの高さでは。
これじゃぁ鬼の言うとおりにするしかないじゃないか……。
渋々、ドキドキしながらも鬼の首に腕を回せば、満足げな鬼が笑い、鬼はすいすいと空を駆け出した。すごい……。どういう仕組みなのかは分からないけど。上空から見える、空と、地上の風景はとても美しかった。そして同時に、現し世ではないのだと実感させられる、不思議な光景。
「ところで、お屋敷までどのくらいかかるの?」
「うむ3時間だな」
「3時間……」
歩きが3日で、飛行で3時間……?なら距離は……。いやその前に風速を……。
「言っておくが、計算はしないように!!距離とか風圧とか風速とか……!」
「え……そんな……!?まさか……現し世で習った数式は……」
まさか……そんなまさか……!?
「隔り世ではいろいろなことが現し世とは違うのだ。こうして飛んではいるが、それは俺の妖力で守られているから、心地よく飛べるのだ」
そっか。妖力とか、鬼が扱う摩訶不思議な鬼術やらがあるのだ。必ずしも、現し世のことわりが当てはまるわけではない。
因みに今は……心地よく風に髪が靡くくらいの速さだが……これも鬼の妖力に守られているのか……。
「だが、足し算引き算、かけ算割り算までは結構役に立つ!」
「さすがにそれはそうであってくれなきゃ困る!!!」
隔り世に来て足し算の仕組みが違ったら、買い物の時に計算できない!
1+1=5なんてのは固くお断りである!!
――――――しかも、驚いたことはまだまだある。町に近付くにつれ、線路のようなものが走っていたのだ。そこに、やがて……。
「列車が走っている!」
「そりゃぁ列車くらいはな。隔り世の天然資源で動く」
現し世とは原動力が違うけれど、隔り世にも似たような燃料があるってことなのか。初めて知ることばかりである。
あぁ、そうだ。列車があるのなら……。
「車はないの?」
「車はさすがに、ない。俺のように空を飛べる妖怪も多いし、そいつらがタクシーなんかも運用しているからな。それ以外の通勤や遠出なら、列車があれば充分だ」
確かに車が普及したら、空を飛んで稼いでいる妖怪たちの仕事がなくなってしまう。そもそも、現し世から隔り世に一瞬で移動できる不思議な妖術や鬼術を持つ妖怪たちには、車はそこまで必要なものでもないのかもしれない。
そしてのらりくらりと空を駆けていくと、町を通り越し、立派な山々が見えてくる。その麓に広がる、たくさんの屋根。上空から見たヨーロッパの赤い屋根……みたいだが、屋根の色は全て紺色に整えられており、和風な感じがする。
いや、隔り世にヨーロッパ風の町並みが広がっていても困るけれど。
そしてそこらじゅうに屋根のある場所の上に止まると……。
「さぁ、ついたぞ!」
やっとか……!しかし……。
「ここ屋根のの、どこらへん?」
が、おうちなのだろう。
「全部だ」
「……はい?」
思っても見なかった鬼の言葉に、目をぱちくりかせてしまう。
「全部……いや、それ以上だな。別邸やら庭やら……あぁ、山や社もある」
どんだけだ……!
この鬼、まさか並々ならぬ富豪では!?隔り世いちの財力と言うのも……冗談や誇張ではなかったのかもしれない。
やがてゆっくりと地上に降下し、石畳の上に着地すれば、そっと私の身体を下ろしてくれる。こう言う細かい所作は、合格……かも。
そしてまるで映画のように和服の鬼やら妖怪やら人外がずらりと並び、一斉に礼をする。
『お帰りなさいませ、主さま』
ひえぇっ。マジだ。マジもんやぁ――――。何なのここはっ!!まさか……そう言う筋!?いいや、少なくとも鬼は美男美女揃いで全く恐い顔ではないけどぉっ!!
驚愕して口をぱくぱくさせていれば、ひとりの鬼の青年がすたすたとこちらに近付いてきた。
「それで、その人間のお嬢さんはどなたで?」
そう問うてきた青年は灰緑の髪にオレンジの瞳に黒い角。美男美女揃いの鬼にありがちな、人知を越えた美しすぎる顔立ち。ほんっと、鬼ってどうしてこうも美形揃いである。……いや、それは人間を誘い、誘惑するためだとも言われているのだが。
現に、私を連れてきた鬼はねこでつってきた。いや、ねこ。でもねこなのだ。その美貌引っ提げて、まさかのねこで誘惑してきたのである。
「あぁ、紹介しよう。琉架。俺の花嫁のアリスだ」
「はい?」
琉架と呼ばれた鬼が表情を1ミリも変えていないのに、圧だけを強くする。うん、こう言う場合ってだいたい歓迎されないのがセオリーなのだ。でも、私はねこと触れ合いたい。ちびねこちゃんをにゃんにゃんもふにゃんしたいのである。
私は、ちびねこちゃんと触れ合えればそれでいいのだ。
「あんた……もしかしてと思いますが……」
琉架さんは主さまと呼ばれた鬼を訝しげに見つめたあと、私の顔をまじまじと見る。
「あなた、おいくつで?」
「じゅう、ろくです」
なったばかりのぴちぴち小娘であることは自覚しております。
「はぁ……全く。そう言うことですか!隔り世も現し世に習って、現し世の花嫁を迎える年齢を引き上げると言う案に、一向に判をおさなかったのはそのためですか!」
……はい?それって、隔り世ではまだ可決されていないって言う例の法案……?
「ふん、この隔り世では俺がルールであるからな」
相変わらずなんという、俺さまさま。むしろもう鬼さま。
「だまらっしゃい!全く!ですが連れてきてしまったものはしょうがないです!でも判はおしてくださいね!!」
琉架さんがさっと目の前に突き出してきた書類に……。
「ふむ、仕方がない」
鬼はさっと印を取り出す。すかさず琉架さんが判をおせるよう硬いボードの上に書類を置き、他の鬼が朱肉と判を差し出してきたのでそれを受け取り……。
カポン
鬼はあっけなく判を、おした。
「では早速処理をしてまいります!!」
ドタドタと駆けていった琉架さん。どうやら私の嫁入りを最後に可決されるようである。
まぁ、私と言う犠牲はあるものの、これからは18歳になるのを待ってくれるのなら、良かったのだろうか……。
――――――とは言え、白梅が16歳になってとっとと鬼側に行くことにホッとした私もいるのだから、一概にそれがいいとか、悪いとか、そう言うことは判断できないのかもしれない。