シャン、シャン、シャン
シャン、シャン、シャン
トワナビミヤサマ、トワナビミヤサマ、トワナビミヤサマ
トワナビミヤサマは命じられる。
女を殺せ。我よりも美しい女はいらぬ。我の男にすり寄る女はいらぬ。いっそのこと、全て殺してしまうがよい。
老けた男もいらぬ、殺せ、殺せ。我の眼前を汚すでない。
醜い男もいらぬ、殺せ、殺せ。生きている価値などない、家畜。
涙を流しながら慟哭する。みな、人間を棄て、身体も心も奪われ人形のように命に従う。獣以下になってもなお、涙は、慟哭は止まらない。
トワナビミヤサマは老いない。それもそのはず。トワナビミヤサマは老いたらその身体を棄て、そして若い娘の身体を支配する。
トワナミビヤサマは女を全て殺すが、トワナミビヤサマに選ばれた娘だけは、魂を食われる。
そうして、トワナミビヤサマは生き延びる。さてはて、トワナミビヤサマが元々は何だったのか、誰だったのか、元の身体は何だったのか。
誰も知らない。みな、知らない。トワナミビヤサマも、知らない。魂を食いすぎて、もう何も分からない。
ただ、男を、永遠の美を求めて彷徨い、食らい尽くすのみ。
愛しい君、愛を誓い合ったその顔で、口で、声で。
君は言った。
『お前は、もういらない』
しかし、抵抗は許されない。みな、トワナビミヤサマを崇め、奉り、そして従う。従わないなどあり得ない。
魂が拒否しても、身体も心もトワナビミヤサマのものになる。君も、すべてをトワナビミヤサマに奪われた。
あぁ、憎い、憎い。
お前が憎い。
トワナミビヤ。
お前が憎い、憎い、憎い。
トワナミビヤ。
返せ。返せ。私の妻を。
怨みはやがて魂を人外のものへと変えていった。
人外のものへと変質していきながら、まだ現し世にとどまるトワナビミヤ。
妻の殻を追い、魂を探し求めた。一体どれくらいの月日が流れたであろう。
分からない。何も分からずに、私は彷徨い続ける。
『ほう?お前、鬼か』
それは、美しい。美しい夕焼け色。
『面白いな。お前は、まるで昔の俺のようだ。こちらに来い。お前も隔り世に来い』
手を差し伸べる鬼は、美しく、そして温かい。
冷えて、冷えて、凍えた魂さえも溶かす、夕焼け色。
「――……だ、……ヲ、みつ、け――……」
『記憶すらまともに思い出せぬのに、か?今こちらへ来れば、せめて魂の伴侶くらいは見付けられる本能は残るぞ。そして鬼神の加護を得れば、それだけ伴侶を見付けられる本能も研ぎ澄まされるであろうな』
「――……んで、――……し、ヲ」
『はて、どうしてか。そなたは、懐かしい匂いがするのでな』
鬼は嗤った。夕焼け色の鬼はーーどこで出会ったのか、出会っていないのか。
それすら分からない。
こうなるまでの記憶すら、もう思い出せない。ずっと誰かを探していた気がするのに。分からない。どうして、どうして……。
誰を探していた。
けれどそれを求める本能が、その鬼の手を取った。
いつか……再会出来るように。
私の、唯一。
最愛の、ひと。
※※※
頭領の後任が決まった……。私は正式に頭領ではなくなる。いや、鬼神の加護を失っている以上、とっくに頭領ではないのだが。
その昔私は、宛てもなく現し世を彷徨う怨鬼だったが、鬼神に名をもらい、隔り世の鬼となった。
隔り世の鬼として、当時の頭領の養子となり、名を金雀児と改めた。
そして晴れて頭領を継ぎ、鬼神の加護を授かった。そして、花嫁を見つけた。……なのに、私は、何故。
鬼神の花嫁を虐げた。狂ったように白梅の言葉を信じ、鬼神の社に鬼を差し向けるなどと言う間違いを犯した。
私が彼らを鬼神に殺させた。彼らの親族からは恨み言を言われ、先代や一門のものからも責められた。
それからは慎重になったが、白梅は止まらなかった。そして私も狂ったように白梅を寵愛した。今なら分かる。私は……どうかしていた。
一門の中から除名され、金雀児と言う名も失った。
長の不興を買い、その花嫁に手を出した重罪者として、隔り世の一門の土地の一郭、簡素な小屋に幽閉される形で生かされている。
「羊歯よ、久しいな」
鬼神さまは、懐かしい名で私を呼ぶ。金雀児と言う名を冠していた頃は誰だったか、知らんなどと辛辣な口を叩かれた。
だが仕方のないことなのかも知れない。あの日私を拾い、隔り世に招いた。名すらなかった怨鬼。あの方のつけてくださった名を棄て、違う名を冠してあの方の加護を受けた。そんな私を、あの方は羊歯であるとみなさなかったのであろう。
私は何と言うことをしたのだ。
本当に、羊歯が鬼神さまに目通りするのは、久しい。
「お前にこれを返そう」
鬼神さまが天井から降らせたのは……。
「……っ、白梅っ!」
「あ――……、うぅ――……」
まるで魂の入っていない、脱け殻のような白梅。
しかもかつての美しさは消え失せている、素朴な顔立ちの少女。しかし彼女は間違いなく白梅だった。魂が知っている。彼女だと。
「俺の加護を受けてもなお、お前がその娘に固執するならば、その娘は本当の、魂の伴侶だったと言うことだ」
鬼は、伴侶に妄信的だ。寵愛し、狂ったように愛する。私も狂った。だが彼女ではないものに、狂ってしまった。
全く思い出せない、顔も思い出せない。しかし魂だけが知っているのだ。彼女が、彼女であると。
「本来の魂を食らうように上書きはされていたが、かろうじて残っていたのだろうな。もしかしたら、お前が早くに迎えに行ったからかもな。まぁ残っているのはそれくらいだが、それが恐らく本来のその娘だろう」
「……ありがとう、ございます」
私は精一杯の平伏で鬼神さまを見送った。鬼神さまが颯爽と去った後……何が行われていたのか分からない彼女は、優しく私の髪を撫でた。
「だ――……、ぇ」
「私は、羊歯だ。君の、夫だよ」
「……だ、しぃー……だ」
彼女が、笑い、そして今一度、私の名を呼んでくれるのなら。
「愛している……愛している。花」
遥か昔に忘れたはずの名が、彼女の本当の名が甦った。