いつもと変わらない日常は、今日も当たり前にやってきた。結局、一睡もできないまま朝を迎えた俺は、不安と緊張を抱えたまま教室に入った。

「拓海くん、おはよ。って、どうしたのその顔?」

 教室に入るなり、目があった若林がしっぽをふる犬のように飛びついてきた。

「いや、まあ、なんというか……」

 ぎこちなさ満載で頭をかきながらごまかしつつ、若林の様子を確認する。若林はまったくの普段通りで、心配していたことがアホらしくなるくらいいつも通りだった。

「ねえねえ拓海くん」

 席につくなり、いつものように若林がすり寄ってくる。その変わらない仕草にようやく安堵した俺は、相変わらず近い距離に困惑しつつも若林を受け入れた。

「キスしよっか」

 いきなりの若林の言葉に、俺の意識は一瞬で銀河の彼方に飛んでいった。しかも、潤んだ瞳での上目遣いに加え、あろうことか若林は女性モードの声を発していた。

「姫、どうした?」

 驚いて椅子から派手にズレ落ちたことで、田代が騒ぎに気づいてやってきた。

「なんでもないよ。ただ、拓海くんが朝から強引だったからびっくりしちゃって。まさか、かわいいなって言いながら抱きついてくるなんて思わなかったから、つい押し返しただけだよ」

 声はハスキーに戻っているとはいえ、頬を赤く染めた若林の姿に、田代はあっさりと若林の嘘に引っかかった。

「藤原、よくも朝から男クラで楽しいことしてくれるよな」

「ちょ、待て待て、勘違いするなよ。俺はなにもしてないからな」

 闘神のごときオーラを目と体から発する田代に、命の危険を感じて必死に状況を説明する。よく見ると他の連中も同じオーラを発していて、想像以上に危機的状況だった。

「そういえば藤原、お前には男クラの掟をしっかり思い出させてやる必要があるからな」

 嫌な予感しかしない台詞を浴びせながら、田代が鋭く睨んできた。

「ど、どういう意味だよ?」

「土曜日のこと、覚えてないのか?」

「土曜日のことって、あの騒ぎは解決しただろ?」

「馬鹿、そっちじゃない。自己紹介のときのことだ」

 ふんと鼻をならしながら、田代が俺の肩を力強く握ってきた。

「お前、篠田に名前呼ばれてたよな?」

 ぎろりと睨みながら、田代があの日のことを思い出せと詰め寄ってくる。言われるまま記憶を掘り起こすと、確かに篠田に名前を呼ばれていたことを思い出した。

「そ、それがどうしたんだよ?」

「なんで篠田はお前のことを知ってたんだ?」

「え?」

「俺は言ったよな? 女の子はお前が来ることは知らなかったし、みんなほとんどが初対面だって。なのに、篠田はお前のことを知っていた。変に思って今朝姫に聞いたら、お前、既に篠田と仲良くしてたそうじゃないか」

 俺の両肩を掴む手に力が入る中、なにかを勝手に確信したかのように田代がさらに詰め寄ってきた。

「ちょ、ちょっと待てって。俺は篠田と仲良くなんかしてないって。いや、それより姫、どういうつもりなんだよ!」

 しらじらしく笑いを堪えている若林に声をかけると、若林はさらにしらじらしく首を横にふった。

「どういうつもりって、それは拓海くんが悪いんだよ。男クラの掟を破って合コンした罰はちゃんと受けないとね」

「ちょっと待て、男クラの掟を破ったのは田代も同じだろ?」

「それはそうなんだけど、田代くんはどっちかというと被害者でしょ? 拓海くんが合コンをぶち壊しにしたんだから」

 くすくす笑いながら、若林がとんでもないことを口にする。合コンのことは詳しく話していないのに、なぜか若林は全てを知っているみたいだった。

「田代くんから聞いたよ、拓海くんの武勇伝。ボクのために怒ってくれたんだ?」

「まあ、そのなんというか、怒って当然だろ? ていうか、それならなんでこんな仕打ちをするんだ?」

 じっと俺を眺めながら小悪魔的に笑う若林に、すがるように問いかける。このままだと男クラ全員に鉄の掟を教えられることになりそうで、なんとか助けを若林に求めた。

「それはね」

 したり顔で見つめながら、若林がゆっくりと俺の耳もとに近づいてきた。

「やきもち、なんてね」

 ウインクしながらささやく若林に、一瞬、体が固まってしまった。それをどう勘違いしたのか知らないけど、田代が今度は胸ぐらを掴んできた。

「こんなときにも姫とイチャつきやがって。後でといわず、今ここで鉄の掟を思い出させてやる!」

 鬼と化した田代が、俺の話に聞く耳をふたして他の連中を呼び寄せる。完全に四面楚歌になった俺は、一縷の望みを託して若林に助けを求めたけど、手を伸ばした先では、いつも通りの若林が笑顔で手をふっているだけだった。

 〜了〜