ふわふわとした意識で迎えた合コン当日、ほとんど頭の中は彼女の正体で埋め尽くされたまま参加した俺は、ファミレスの対面席に篠田真希が座るという幸運にも気づかないまま時間を過ごしていた。

「藤原くん?」

 いつの間にか会話は始まっていたようで、不意に篠田に声をかけられた俺は、そこでようやく田代を含めた参加者が俺を見ていることに気づいた。

「藤原、自己紹介しろ。同じ学校でも互いに初対面もいるだろうし、お前が来ることは女の子も知らなかったからな」

 なにが起きているのかわからずにまごつく俺に、田代が怪訝な目で状況を伝えてくる。とりあえずの自己紹介をしたものの、うまく言えてるかどうか自分でもわからなかった。

「藤原、緊張してるのか? それともなにかあったのか?」

 みんなの自己紹介が終わったタイミングで、隣にいる田代が耳打ちしてきた。とりあえずなんでもないと濁しつつ引きつる顔で笑みを作ると、田代はじっと俺を見ながらも、目当ての女の子との会話に混ざっていった。

 ――なにかあったって、まさか好きになっている相手が姫かもしれないとか言えないよな

 田代が俺への興味を失ったのを確認し、ひとりモヤモヤとした感情と向き合ってみた。

 あの日、確かに若林から聞いた声は彼女の声だった。一瞬、聞き間違いかと思いたかったけど、俺と彼女の接点は声しかないから、その声を聞き間違えることはなかった。

 ――だとしたら、姫はなんでこんなことをしているんだ?

 もし、彼女の正体が若林だとしたら、なぜこんな真似をしているのか理由がわからなかった。ただ電話したいだけなら普段通りしてくればいいのに、わざわざ新しく携帯を用意して正体を隠す理由がわからなかった。

 ――いや、理由はきっとひとつしかないよな

 理由を考えるふりして、本当は結論から逃げているだけだった。わざわざ正体を隠してこんなことをする理由は、若林の恋心以外に考えられなかった。

 これまで、若林からそれとなく好意を感じることは何度かあった。けど、その度それとなく拒絶しながらも関係を続けてきた。

 理由は、俺にとって若林は一番の親友であるし、そうした関係を壊したくなかったからだった。

 けど、今回はさすがに今までのようにはいかない予感がしていた。いくら若林が正体を隠しているとはいえ、そう長くは続かないはず。となれば、いつかは若林もネタバレをすることは覚悟しているはずだろう。

 だから、若林は俺が相談したときにまだ会うのは考えないほうがいいかもしれないと言ったはずだ。それはつまり、若林もまた、電話だけの関係を作っておきながらもその先を決めきれていないということかもしれない。

 だとしたら、正体に気づいた今、若林がネタバレをする前に決着をつけたほうがいいような気がしていた。

「藤原くん、どうかしたの?」

 気づくとコーヒーカップの中でスプーンをただ回し続けていた俺に、篠田が心配そうに声をかけてきた。

「あ、いや、なんでもないというか、ごめん、ちょっと緊張してて」

 適当にごまかそうと必死に理由を考えてみたものの、うまく話すことができない俺にそんな真似はできるはずもなく、ただ苦笑いをしながら頭をかくしかなかった。

「よかった、実は私も緊張してて」

 俺の不自然ないいわけに疑念を持つことなく、篠田が笑みを浮かべる。たったそれだけのことで、篠田の性格の良さが伝わってきた。

「それより、篠田は――」

 若林のことは今考えても仕方がなかったから、とりあえず気持ちを切り替えて篠田との会話に集中しようとしたときだった。

 突然、田代たちのグループから大きな笑い声が聞こえてくると同時に、他のクラスの男子がとんでもないことを口にし始めた。

『ほら、男クラにいる若林って奴だよ。男のくせになんか気持ち悪い奴がいるよな?』

『ああ、確か俺も去年一緒のクラスだったけどさ、変な目で見てきたり、妙に男にまとわりついてくるしさ、完全にあっち系の奴だろ』

 さっきの馬鹿笑いが、若林をネタにしていたことに気づいた俺は、視界が揺らぐぐらい一瞬で怒りを感じた。そんな俺の腕を、田代がすぐに掴んで目配せしてくる。どうやら俺は、反射的に拳を握りしめていたようだった。

「落ち着け、今は耐えるんだ。俺もお前も、こんなチャンスは二度とないだろ?」

 すがるような目をした田代が、さりげなく耳もとでささやいてくる。田代にしたら、ここで喧嘩になって場がぶち壊しになるのは勘弁ということだろう。ほとんど女子と接点のない男クラの一員として、今日のチャンスがどれだけ大きいかはわからなくもなかった。

 とはいえ、目の前で若林を馬鹿にされることに耐えるのには限度がある。既に話の内容は若林への誹謗中傷となっていて、聞いているだけで体中が熱くなっていた。

「そういえば君たち男クラだったよな? 男が好きな奴と一緒にいて気持ち悪くないか? いや、ひょっとしたらあの気味悪い奴に手を出した奴もいたりして」

 歪んだ笑みを浮かべながら、さらに若林を馬鹿にして笑い声を上げる二人に、俺の怒りは我慢の限界を突破していった。

「気持ち悪くなんかないだろ!」

 テーブルに拳を打ちつけ、押さえきれない怒りのまま声を荒げると、場の空気は一瞬で凍りついたように静かになっていった。

「姫が誰を好きになろうとそんなのお前たちに関係ないだろ。第一、人を好きになることがそんなに馬鹿にされることか? あいつは、望んで同性愛者になったわけじゃないんだよ。生まれたときには、体は男でも心は女だったってだけの話じゃないか。なのに、姫のことよく知らないくせに適当なこと言うなよ。いいか、お前たちみたいな考えのせいで、姫は何度も心ない言葉に傷ついてきてるんだよ! 別に人が人を好きになるってだけの話だから、気持ち悪いとか好き勝手なこと言うなよ!」

 口を開いた瞬間、もう押さえがきかなくなった俺は、勢いのまま言葉を固まった空気に叩きつけた。その間、脳裏には苦悩を打ち明けてきた若林の姿が浮かんでいた。若林がいつもこんな連中の言葉に傷つけられているとしたら、若林が自分の気持ちを口に出せないと悩むのも仕方がなかった。

「おいおい、なに熱くなってんだよ」

「別に熱くなってんじゃないんだ。ただ、なにも知らずに人を馬鹿にするのはやめろって言ってるんだよ」

 急にキレた俺に迷惑そうな目を向けてくる二人に、さらにたたみかけようとしたところで、田代が遮るように立ち上がった。

「ごめんな、いきなり場をぶち壊しにして。けど、こいつは普段は絶対にキレることはないし、こんなに意見することはないんだ。なのにそうしたってことは、お前たちが言ってたことはさ、それだけ姫を傷つける内容ってことなんだよ。だから、それでもまだ言うつもりなら、今度は俺が相手になってやるぞ」

 いかつい顔で睨みながら巨漢の圧力をかけていく田代に、二人も言いかけた言葉を飲み込むのがわかった。そこでようやく、俺のせいで場がシラケてしまったことに気づいた。

「今日はもう帰るけど、これだけは覚えておけよ。また姫を馬鹿にするなら、今度は男クラ全員で相手してやるからな。ったく、男クラの鉄の掟をなめんなよ」

 完全に萎縮した二人に釘を刺し、田代が店を出ていく。唖然としたまま固まっている篠田が気になりつつも、無言で頭を下げて田代の後を追った。

「田代、ごめん。せっかくセッティングしてもらったのに台無しにしてしまって」

 外に出たことでようやく落ち着いてきた俺は、またしてもやってしまったことを実感して体から力が抜けていくのを感じた。

「なにを言ってんだ?」

「いや、だから俺がキレてしまって」

「そんなこと気にすんなよ。むしろ、あの場を我慢して乗り切ろうとした俺が馬鹿みたいだったからな」

 ぎこちなく頭をかきながら、田代がすまんと謝ってきた。俺としては田代に助けてもらったようなものだから、謝られる必要はないから首を横にふってうなずいて返した。

「姫は誰がなんと言おうと姫だし、なにより男クラの大切な仲間だからな。それにしても、藤原、お前ちょっと変わったか?」

「変わったって、なにが?」

「いや、あんなはっきり意見を言うなんて思わなかったからさ。いつもあまり自分の意見は言わないだろ? 俺が姫だったらちょっと惚れてたかもな」

 そう言いながら、急に田代が抱きついてきたことで、いつの間にか修羅場だった空気はいつもの日常に変わっていった。

「別に、俺はただ姫がかわいそうだって思っただけなんだけどな」

 なにがどう変わったかはわからないけど、ただ、ひとつ言えるとしたら、彼女とのやりとりによってちょっと自信を持てるようになったぐらいだろう。

 そんなことを考えていたところで、俺のスマホにメッセージが届いたことを知らせる音が鳴り響いた。

 さりげなく画面に目を落とすと、表示されていたのは男クラグループからのメッセージだった。

 一瞬、今日のぬけがけがばれたかとひやひやしながら中身を確認した瞬間、その内容に意識が真っ白に染まりそうになった。

 端的なメッセージが伝えてきた内容。

 それは、『若林が倒れた』という素っ気ない文章ながら破壊力のある一文だった。