翌日の放課後、田代から週末に合コンのセッティングが完了したとサムズアップされた後、ひとりで文化祭の準備をしている若林のもとを訪れた。

 文化祭の準備も佳境に入り、出し物であるカフェのセット作りもほとんど終わっていた。その中で、最後の仕上げを担当している若林だけが作業で残っているみたいだったから、さりげなく若林の手伝いをしながら彼女のことを相談することにした。

「拓海くんが手伝ってくれるなんて、ボク泣いちゃうかも。だから、よしよしして」

 手伝いにきた俺に、若林が作業そっちのけで抱きついてくる。相変わらず距離が近いことに戸惑いつつも、ここはチャンスだとして若林を受け入れた。

「あれ? なんか拓海くんいいことあった?」

 あっさり若林を受け入れたことを逆に変に感じたのか、若林が疑惑の目を向けてきた。

「なんだよ急に。別に、ていうか、まあ合コンに呼ばれたぐらいかな」

「うわ、それはよかったね。ついに拓海くんにも春が到来するチャンスが来たんだ」

 喜びの声をあげながらも、急によそよそしく距離を空けようとする若林だったけど、その手を掴んで引き寄せ、あぐら座りになって若林を抱き寄せた。

「ちょっと、拓海くん?」

 突然のことに驚く若林だったけど、かまわずむりやり膝にのせ、背後から強く抱きしめながら若林の小さな肩に顎をのせた。

「姫、悪いけどちょっと相談にのってよ」

 若林の抵抗を力でねじ伏せ、赤くなった顔に頬を寄せると、ようやく観念したように若林が俺の胸に身を預けてきた。

 正直、なぜこんなことをするのか自分でもわからなかった。ただ、これまで本気で困ったときにはいつもそばには若林がいて、ふざけて抱きついたりしたのがきっかけだった。なぜかわからないけど、こうして若林の体温を感じていると、心が落ち着いてなんでも話せるような気になれた。

「本当は、合コンに誘われたことはそんなに嬉しくないんだよ」

「え? どうして?」

「姫も知っての通り、まだまだ女の子と話しをするのは苦手だし、それに、篠田も来るみたいだからなおさらまともに話せる自信がないんだよ」

「だったら、どうしてその話を受けたの?」

「受けるつもりはなかったんだけど、田代に女の子と話す練習と思って参加しろって言われたんだ。それで、今のままだとよくないのはわかってるから、思い切って受けたってわけ」

「そうなんだ。てことは、拓海くんになにか心境の変化が起きることがあったんだ?」

「それなんだけど、実は姫に相談したい内容ってのが、まあ変な話なんだけど、毎晩かかってくる電話の主が気になって仕方ないってことなんだ」

 なんだかすごく恥ずかしいことを言ってるような気がして、俺は一気に自分の体温が上がるのを感じた。そんな俺に対し、若林は小さく丸まったままなにも反応を示すことはなかった。

「やっぱり、変な奴だと思った?」

「え?」

「だってさ、顔も名前もなにもわからない相手なのに、声だけで彼女のことが好きになってるなんて、なんかキモいよな」

「そんなことないよ!」

 ずっとうつむき加減だった若林が、急に潤んだ瞳に力を宿して見上げてきた。

「だ、誰かを好きになることにさ、変とかおかしいとかないと思うよ。恋愛の形は様々っていうくらいだから、出会いやきっかけがどんな形だったとしてもおかしいことはないと思う」

 ぎこちない口調だったけど、若林ははっきりと自分の主張をしてきた。こんなとき、うまく自己主張できない俺からしたら、意見をちゃんと言える若林が羨ましく思えた。

「そうか、なんか姫にそう言ってもらえたら安心するよ。それでさ、今のところ電話だけのやりとりなんだけど、この先どうしたらいいのかわからなくて困ってるんだ。本音としては会ってみたいんだけど、なんか微妙に避けられているような気がしてうまく言えないというか、なんというか」

 若林が変に思わなかったおかげで、俺はずっと抱えていた悩みを打ち明けた。彼女とのやりとりが日課になったとはいえ、いまだに彼女のことはわからないし、会うという話にもなっていない。最近、勇気を出してかなり遠回りに探りを入れてみたけど、それすらかわされていた。おかげで、彼女には俺と会う気がないような気配がして、それ以上は踏み込めないでいた。

「ひょっとしたら、会わないのにはなにか理由があるかもしれないね。だから、その理由がわかるまでは、会うというのは考えないほうがいいかも」

 こんなとき、若林はいつも前向きなコメントをくれるのに、なぜか今はあっさりと否定的な意見を口にした。その態度がちょっと引っかかったけど、真剣に考えこむ横顔を見て、つっこむのはやめた。

「会わない理由?」

「うまく言えないけど、見た目に自信がないとか、実は病気で外に出れないとか、色々可能性はあるから、今はあまりこだわらないほうがいいのかなって思うんだけど」

 やけに歯切れの悪いアドバイスだったけど、若林の言うことにも一理あった。となると、今はまだ会うとか考えるのはやめたほうがよさそうだけど、だからといって今の状況に足踏みするだけという日々に耐えれるかは自信がもてなかった。

「そっか、そうだよな。会いたいとか思ってるのは俺だけかもしれないし、彼女にしたら単なる暇つぶしかもしれないな。また暴走して恥かく結果になったら嫌だし、もう少し様子見ることにするよ」

「そ、そうだね、そのほうがいいかも……」

 むりやりから笑いしながら結論を出した俺に、若林はやけに暗い顔で同意してきた。いつもならからかってくることもあるだけに、若林の反応の悪さが妙に気になった。

「姫、なんか調子悪そうだな。さては、姫にも好きな人ができたな」

 妙に重苦しい空気になったため、雰囲気を変えるために若林の横腹をつつきながら冗談を口にする。若林は、「ひゃう」とかわいい声をあげると、顔を真っ赤にしてうつむいた。

「なんだ、ひょっとして図星か?」

「ず、図星ってわけじゃないけど、仮にボクに好きな人ができたとして、拓海くんは人を好きになってもそれを誰かに言えると思うけど、ボクはそうはいかないんだ」

「どうして? 姫だって人を好きになるんだから、隠すことはないだろ?」

「そうはいかないよ。だって、ボクが好きになるのは男の子だって知ってるよね?」

「それはそうだけどさ、別に世の中そんなこといっぱいあるだろ。同性愛なんて、今さら隠す必要あるのか?」

「まあ、拓海くんの言うとおりなんだけど、でもね、同性愛が認められているといっても偏見がなくなってるわけじゃないんだ。特に、こんな田舎町だとまだまだ少数派だし、ボクが誰かを好きって口にしたらさ、大変なことになるよ」

「そうか? 確かに辺鄙な田舎だけど、姫のことはみんな受け入れてるだろ?」

「そうじゃないんだ。ボクが男の子しか好きになれないとして、それで変に言われることはもう慣れているんだ。でもね、ボクが誰かを好きだと口にしたら、今度はその相手が偏見の攻撃にさらされてしまうかもしれない。ボクが攻撃されて傷つくのはかまわないんだけど、ボクのせいで相手が傷つくのは耐えられないんだ」

 うつむいた若林からもれる悲しげな声に、ハッとなった俺は返す言葉を失ってしまった。

 ――姫、もしかしてお前はずっとそうやって悩み苦しんでたのか?

 時にはあっけらかんと女装して明るく振る舞ったり、堂々と男子を冗談半分に追いかけ回してる若林の普段の姿から、悩みや苦しみといった感情は一切感じられなかった。

 けど、それは大きな間違いだった。当然のことだけど、若林も男であるとはいえ中身は恋もする女の子だ。そこには、同性愛ゆえの偏見にさらされることへの恐怖に対する若林の苦悩があった。

「ご、ごめんね、拓海くんの相談だったのに変なこと言って」

「全然変なことじゃないさ。むしろ俺はまだ知らなかった姫のことが知れてよかったよ」

 ひょんなことから若林の苦悩を知った俺は、暗くなった若林の身体を強く抱きしめた。

「ちょっと、拓海くん?」

「姫、貸しがあったよな? 今ならめちゃくちゃ甘えていいから」

 とりあえず悩みのことは忘れて、若林の驚く横顔に頬を寄せる。若林は小さく悲鳴をあげながらも、再び俺に身体を寄せてきた。

「拓海くん、君はズルいよ」

「え?」

 かすかに聞こえてきた若林の声。その意味するところはわからなかったけど、明らかに女子モードが強くなっている若林の声は、なぜか彼女の声そのものだった。

 ――どういうことだ? いや、まさか、そんなはずは

 ドンと空気を震わすように鼓動がせり上がった後、めまいがするような衝撃に頭がくらくらとしてきた。

「ううん、なんでもない。ただ、こんなボクにみんな優しいなって思っただけ」

「それは当然だ。男クラの友情は鉄の掟だろ?」

 かすれそうな声で返しながら、ふるえる手で若林のサラサラの髪をくしゃくしゃにしてやる。

 彼女の正体が若林の可能性があるとわかった今、なんだか全ての出来事が現実味を失っていくのを感じた。