***
「悪い、トイレ行ってくる!」
出番が終わり、俺は楽器を片付けた後、トラックへ楽器を積み込む搬出作業を手伝わずにトイレに駆け込んだ。お腹が痛かったわけじゃない。個室に入ってスマホの電源を入れ、メッセージアプリを開く。
海美から200件を超えるメッセージが届いていた。最終メッセージは午後四時九分。『海美がスタンプを送りました』となっていた。
ニュースアプリを開けば一発で結果が分かることは知っている。それを見てすぐ搬出の手伝いに行けばいいことも分かっている。でも、どうしても結果だけ見るのが嫌だった。こうして海美が実況してくれたのだ。どんな試合だったのか知りたい。
「ふぅ……」
コンクールは終わったというのに俺の緊張はまだ続いている。意を決して海美のトーク欄をタップした。
『ここから未読』から順に読んでいく。
『始まった!』
『向こうが先制』
『先発は大地』
『1球目、空振り』
『2球目、空振り』
『3球目、空振り三振、1アウト』
ここまで読んで、マジかと思った。あいつ、一球ずつ実況したのか? まとめてでいいんだけど。試合に集中してやれよ、兄貴の試合だろ。
しかし海美もそう思ったのか、次からは一人ずつの実況になった。
『2人目。打ったけどフライで取って2アウト』
『3人目。同じく上がった球を取って3アウト。チェンジ!』
『1回目裏、大地たちの攻撃』
『大地、あ、打った! ツーベース!』
『2人目、送りバント! 1アウト3塁っ』
『3人目、打った! 取られた! 大地ホームベース! 先制!』
なんだこの実況は。分かるけどさ。3人目は犠牲フライだったわけだ。そうか、先制したのか。次のバッターは打ち上げて3アウト。
0-1。攻守交代。
『うわ、打たれた! 1塁に出た』
『おい大地しっかりしろ! フォアボールで1、2塁』
『よし、打ち取った! 1アウト2、3塁』
『ぎゃああああやられた! 同点! くうううう』
『よし、3アウトチェンジ!』
おい、こいつ実況下手くそかよ。でもまぁ、先制したのも束の間、すぐ同点に追いつかれたということが分かるだけでもいいか……
なんか、まだ1回が終わっただけなのに疲れたな。
しかし、そこからお互いが拮抗を繰り広げ、8回裏が終わってもまだ1-1のままだった。スマホを持っていない左手が何か痛いと思ったら、知らない間に握りしめていたようで、手のひらに爪の跡がついた。
『9回表。相手の攻撃。ピッチャーは変わらず大地』
すでに投球数は140を超えているはずだ。疲れを見せるなよ、大地……
『えっ! 初級でソロホームラン打たれたぁあああああ! おい、大地! しっかりしろ!』
おいおいおいおいマジかよ。逆転された。ホームランはキツイ。ピッチャー交代か?
『あああ打ち取った。1アウト』
よし、ひとまずは安心……
『ああああああ! ヒットだ! ツーベース踏まれた! ああああ大地いいいいい』
うおおおおお塁に出すなよ大地! もっと踏ん張れ!
『うげ、送りバントだよ! 2アウト1、3塁からの次、4番バッターだと!?』
何ぃいいいいい! 大地! 何としても打たせるな!
『ひぃいいいいいいぃぃぃ!』
何だ!? どうなった!?
『ホームラン。彼は英雄だよ。3点追加』
何で急に冷静なんだよ……あぁ、そうか……1-5ってわけか。
『見逃し三振。大地ら最後の攻撃』
お前が落ち込んでどうする。まだ巻き返せるのに。最後まで熱を持ってだな……
『おいおいおいおい! こっちもソロホームランだよ! 2-5! 巻き返せぇぇぇっ!』
おおお、打ったか! うん、誰が打ったか教えて欲しいな。でも、そうか。いいぞ、頑張れ!
『んーっ! フライ! 1アウト』
『おっ! 打った! ヒットだ! あーん、でも近いなー。1塁』
近いってなんだ近いって。
『あら、相手ピッチャーも疲れてるのかな? フォアボールで出塁。1アウト1、2塁』
うわー。なんか心臓痛いな……スクロールする指が止まる。
もう少しで終わる気配を感じて、一度目を閉じた。俺も悔いのない演奏をしたんだから、大地も悔いのない試合をして欲しい。俺は課題曲の出だしも、自由曲の出だしも、ソロだって失敗せずにホールに響かせた。自惚れていると笑われるかもしれないが、みんなの心がひとつになってとてもいい演奏だった。絶対に全国に行ける——それくらいの自信はあった。
だから、大地も、優勝旗を勝ち取れ。
深呼吸して目を開けた。ゆっくりと下から上にスクロールする。
『送りバント成功! 2アウト満塁っ!』
『おーっとここでエースの大地登場!』
『逆転サヨナラ満塁チャーンス!』
白熱ぶりが伝わってくる。うわ、手に汗かいてきた。大地、頼む!
『ストライク!』
『ボール!』
『ボール!』
『ストライク!』
『ボール!』
フルカウントだ。ラスト一球。追い込んだのか、追い込まれたのか。
我が吹奏楽部は各選手ごとに曲を変えていて、確か大地がバッターに立った時に吹かれる曲は『狙いうち』だったはずだ。金管楽器がメインでパーンと音が跳ねるアップテンポな曲。甲子園球場には吹奏楽部の演奏と、応援団の声援、チアリーディングの声援が響いていただろう。その応援を背負った大地の姿は、想像に難くない。暑さも感じず、ただ真っ直ぐ相手ピッチャーを見据え、バッドを握り、白球のアーチを描くことだけを考えていたはずだ。
お前が打たなきゃ誰が打つ。
ピッチャー振りかぶって、投げたっ!
『空振りさんしん。ゲームセット』
最後に、イルカがアイスのように溶けたスタンプが送られてきていた。