確かにソロの練習をするときは校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下を選ぶことが多かった。ソロを任された責任と、俺なんかに務まるのかという不安が俺の中に渦巻くとき、自然と足がそこに向かうのだ。

「おーい! 声出してくぞーっ!」
「っしゃおらー!」
「こーい!」

 グラウンドが見下ろせる外廊下。白いユニフォームが黒くなる様子や打ち上がった白球の行方を目で追える場所。

 なぜかそこが落ち着いた。荒立っていた心の波が穏やかになるような気がした。

 かつてバッテリーを組んでいた幼馴染が、マウンドでチェンジアップの練習をしている。それを見ると、トランペットの重量を感じなくなっていた。楽器を構え、すぅっと曲がらないストローのように真っ直ぐ息を吸い込む。その勢いのまま息を出して音を鳴らす。

 青空と太陽の下で、俺はトランペットで歌を歌った。

「……っは」

 余韻を残して唄口から口を離す。その眼下では野球部員がノックの練習や素振りの練習をしている。

 よし、もう一回——

「……なんか分かんねぇけど、大地らの練習を見ながらソロ吹くと、上手く鳴ってる気がしたんだ。高音もすんなり当たるし、息も苦しくない。だから本番でも上手くできるように目に焼きつけておこうと思って」

 目を閉じればいつだってその情景が思い浮かぶくらいには、大地らの練習を見ながらトランペットを吹いたと思う。

 大地がぼそりと呟いた。

「太一がさ、そうやって俺をたきつけるから、甲子園決勝まで行っちゃったよ」
「え?」
「元バッテリーの大事な幼馴染が、俺が似合わないって言ったトランペットをこれ見よがしに吹きこなしてて、悔しくて悔しくて、それが俺の力になった!」

 いつの間に距離を詰めていたのか、ドン、と胸を叩かれた。俺より少しだけ高い背丈。茶色く焼けた顔、腕。洗っても落ちない、汚れたユニフォーム。汗臭い身体。

 セミが近くの木に止まって声を上げた。

 大地の表情がフッと暗くなる。そして頭を下げた。

「ごめんな、太一。あの時、似合わないって笑って」

 本当にごめん、といがぐり頭が俺の眼下に差し出される。中学よりも体格がよくなった大地だが、頭の形といがぐり具合は変わっていないことに気がついた。

 あんなに言えなかった言葉が、俺の口からスッと出る。

「いや、俺こそ殴ってごめん」

 大地と同じように頭を下げると、大地の足元が目に入った。スニーカーでもスパイクでもなく、サンダルを履いた足。大方、海美に引っ張られるがまま来たのだろう。そう思うと鉛を抱えていた心が急に軽くなった。

 大地は俺と目を合わせて言う。

「太一にはトランペットが似合うよ。パーッって真っ直ぐブレない音、カッコいい」
「いや、大地こそストレート速いし変化球も上手いじゃん。あれを受けられるキャッチャーが羨ましいよ」
「じゃあ今度キャッチボールしようぜ」
「あ、出た。キャッチボールという名の投球練習」

 顔を見合わせて、俺たちは吹き出した。マンションの廊下に、俺たちの笑い声が駆ける。今まで一体何をいがみ合っていたのか。いや、いがみ合いなんてしていなかった。お互いにいないものだと思いながら、でも実は常に気にしていたのだ。俺が甲子園の決勝の日を知っていたように、そして大地が俺のトランペットを聞いて嫉妬したように。

「大地が先発?」
「おうよ。背番号1のエースだからな」
「初球からホームラン打たれたら大爆笑だな」
「太一こそコンクールのソロで音外したら腹抱えて笑ってやるよ」

 あー、そうそうこんな空気だった。お互いに譲らない感じ。懐かしいと感じてしまうほどに大地とは疎遠になっていたということか。こうして話してしまえば一瞬であの頃に戻れたというのに。何か、意地を張っていたのがバカみたいだ。

「頑張れよ、太一」
「大地も頑張れよ」

 俺たちはニヤリと笑って拳を合わせた。