野球部が甲子園三回戦を突破したらしい、と聞いたのは昨日の練習中だった。ちょうど課題曲の合奏が終わり、休憩に入った時だ。

「野球部、準決行くってよ」

 野球部応援組の吹奏楽部員から部長に連絡があったらしい。「おお~」とコンクール出場組は小さな歓声をあげた。その中で俺は無表情で、無言だった。まぁ心の中で「ふぅん」くらいは言っておいたが。

 去年、一昨年とベスト16止まりだった野球部が、今年は甲子園に行くと聞いた時も「ふぅん」だった。学校をあげて壮行会とか盛大に行われたけど、夏の甲子園は野球部だけのものじゃない。吹奏楽部にだって甲子園がある。

 全日本吹奏楽コンクール。日本中の高校吹奏楽部の各都道府県から選ばれた代表が集まって、12分間のステージに立ち、今までの努力を披露する大会。

 だから野球部の甲子園出場なんて、どうでもよかった。
 だってもう、俺には関係ないのだ。野球部を辞めて吹奏楽部に入った俺には。


***


「ねぇ太一。大地、準決勝行くんだって」
「……知ってる」
「それだけ? もっと、こう、ないの? 『おめでとう!』とか『お前の兄ちゃんすげぇなぁ!』とか」
「あー……お前の兄ちゃんスゲェナァ」
「うわー。めっちゃ棒読みー」

 部屋の学習机で楽譜と睨めっこしていたら、同じマンションに住む幼馴染が部屋に入ってきた。高校三年生の男子の部屋に、堂々と高校一年生の女子が入ってくるのはいかがなものか。まぁ今さらコイツに欲情なんてしないけど。

「うわ、何その楽譜! 真っ黒じゃん。何書いてあるか分かんないし。楽譜ってそれでいいの? 音符見えないよ?」
「いいんだよ。指が覚えてるから」
「うわ、自称天才トランぺッターだよ。キモーい」
「うるさいな。二月からずっとやってんだ。勝手に覚えるに決まってんだろバカ海美(うみ)
「あー! バカっていう方がバカなんですぅ」

 本当にコイツはうるさい。「とっとと帰れバーカ」と言うと、海美は頬を膨らませて「レギュラー落ちろクソ太一!」と暴言を吐き、ドスドスと音を立てて部屋を出ていこうとした。

「海美」
「何!?」
「……大地に『頑張れ』って言っといて」

 一瞬で静かになる暴言マシーン。しかし、彼女は舌を出した。

「自分で言えバーカ!」

 可愛げのない幼馴染は、何やらいい匂いのする髪の毛の香りだけを残して自分の家へ帰っていった。

「…………」

 嵐が去った部屋で、真っ黒だと言われた楽譜に目を落とす。音符だけでなく、字で埋め尽くされた課題曲と自由曲。

『ていねいに!』
『テンポキープ!』
『縦の線そろえる!』
『低音聴いて!』
『ピッチ注意!』……

 気をつけることがたくさん書いてある中、曲名の隣に赤字で書いてある文字をそっとなぞった。

『!!全国行くぞ!!』

 地区大会でわが校吹奏楽部は見事金賞をいただき、支部大会出場を決めた。その支部大会を突破できれば、次は全国だ。この二年、支部大会までは進み金賞をもらうも全国への切符は掴み損ねていた。そもそも俺は地区大会から出場したのは今年が初めてだった。というのも、大会には規定があって、ステージに上がれるのは最大55人まで。わが校の吹奏楽部員は70人近くいる大所帯である。そのためオーディションが開催され、選ばれた55人だけが舞台に上がれるのだ。俺は一昨年と去年、ステージに上がれなかった。高校三年生、最後のチャンスでようやくレギュラーの座を勝ち取った。

 昔から努力は得意な方だった。朝練も昼練も放課後練も、誰より早く誰より効率的にやってきた。その成果が評価され、俺は夢の舞台へ上がる。

 一足先に全国で闘っている幼馴染の大地。応援してないわけじゃない。あいつも努力人間だから評価されてさぞ嬉しいだろう。ましてや甲子園なんて。行けるだけでもすごいのに、さらに勝ち進んで準決勝まで駒を進めた。

 ちょっとだけ悔しい。あいつがそこまで行けるなら俺だって、なんて思う。

『太一が? 吹奏楽? ぶはっ! 似合わねぇ!』

 その一言で俺たちは絶交状態となった。元々言い合っていた中での大地の発言だったが、いまだに謝罪の言葉はない。
俺の憧れを笑ったあいつにだけは、絶対に負けたくなかった。