それから、私の灰色だった高校生活に、少しだけ彩りが出た。
ゴールデンウィーク中、久々の休みでぐったりしている両親に替わって家事をこなし、姉のお見舞いに行っていたら消化できたところ、ゴールデンウィーク明けに「はい」と榎本くんから、ビニール袋をもらった。中にはさくらんぼがごろごろ入っている。
「なにこれ」
「うちのばあちゃん、寝たきりになる前は庭で家庭菜園やってたから。さくらんぼもできた」
「そういえば……」
思えば玄関からポストまでの飛び石の端っこには、あれこれ植わっていたように見える。手前の桜の木しか確認できなかったけれど、他にもいろいろあったのかも。
その日は久し振りにまともな弁当……単純にお母さんがゴールデンウィーク最終日は久々に料理をしてくれたから、夕飯の残りを弁当に詰めてきただけだ……だったけれど、これはデザートにちょうどいい。
榎本くんが言う。
「ばあちゃんが言ったんだよ。わざわざ尋ねてくれた友達は大切にしろって」
「あー……いいなあ、そういうの」
友達との付き合いすらいろいろ口出しされていた私からすると、少しだけ榎本くんのおばあさんが羨ましい。それに榎本くんは「うん」と頷いた。
「ばあちゃんの家庭菜園の整備は、正直無茶苦茶困ってるけど。特に実のなる奴なんて、ちょっと頑張らないと、すぐ鳥が寄ってきて全部食い散らかしていくから、追い返すの大変だった」
「気付かなかったけど……これも?」
「花が散ったらすぐにネットしろって。それで守り通した」
「なるほど」
私は弁当を食べ終えたところで、さくらんぼに手を伸ばしてみた。これだけの量、買うんだったら結構なお値段になってしまうんだけれど、つくった場合はどうなるんだろう。
そう思いながら、ひと粒口にしてみた。
「……酸っぱ!」
目が白黒するというか、目が覚めるというか。とにかく、ものすっごく、酸っぱい……!
私がヒィヒィ言いながらペットボトルのお茶を傾けるのを、榎本くんは「うん」と言いながら自分も手を伸ばして食べはじめた。
「俺が肥料あげて世話しても、あんまり甘くならなかったんだよ。ばあちゃんが面倒見ていたときは、ちゃんと甘かったし、ここまでヒィヒィ言うほど酸っぱくなかったんだけど」
「そうなの? なにが違うんだろ……」
「ばあちゃん曰く、本当は花が咲いたら、さっさと花を摘んで数を減らさないと駄目なんだってさ。他の野菜でも、実をひとつひとつおいしくするためには、厳選して数減らさないといけないんだと……今だと全然無理」
そう言いながら、またプチリとさくらんぼを食べ「すっぱ」と顔をしかめた。
……家族が休みのときしか学校に来られない状態の榎本くんだったら、たしかにこれ以上やらないといけないこと増やすの、無理なんだよな。
私は再びビニール袋のさくらんぼに手を伸ばそうとしたら、榎本くんに気を遣われた。
「そんなにヒィヒィ言うんだったら、無理して食べなくっても」
「くれたものだから。食べないともったいないかなと。あと」
「なに?」
「もし残ってるんだったら、くれたら甘くできるけど」
私は残ったさくらんぼを指差して言ってみた。
****
本当だったら、果物のシロップ煮はもっと果物の量が多くて、その分砂糖も多めにしてつくるんだけれど。私はなんとか量少なめでできる作り方を検索して、それを見ながらつくっていた。
夕飯のあとに、こうやって誰かのためになにかをつくるのは、初めてな気がする。
私が鍋でコトコトと煮ながらアクを取っていたら、「ただいまぁ……」と声が聞こえてきた。今日は早めに帰ってこられたのはお父さんのほうだった。
「お帰り。晩ご飯用意できてるよ」
「ありがとう……なにつくってるんだ?」
「友達から果物もらったけど、酸っぱ過ぎて食べられないから、砂糖で似てたの」
「はあ……今時そんな酸っぱい果物……」
「うん。友達の家、家庭菜園やってた人ができなくなったから、代わりにやったけれど、なかなか上手くいかないって」
「なるほどなあ……たしかに果樹だったら、実が生ったらちゃんと取っておかないと、すぐに鳥の餌になってしまうし……」
「それも友達が言ってたよ。ひとつ食べる?」
「食べる食べる」
お父さんはぐったりしていたものの、私が小皿に「熱いよ」と言いながらさくらんぼのシロップ煮を差し出したら、それを「んー……」と言いながら食べた。
「なんか懐かしい味だなあ」
「そうなの?」
「喫茶店のプリン・アラモードに添えてあるさくらんぼの味」
「私それ、食べたことない」
そういうのがあるらしいとは、図書館で本を読んでて見つけたことがあるけれど、そもそも喫茶店に行ったことがないために、食べた覚えもない。
私がそれを何気なく口にすると、途端にお父さんは悲しそうな顔をした。
「蛍、ごめんなぁ……」
「なに、なんで謝るの?」
「……雪奈のことが原因で、蛍がしっかりしちゃったのに、ずっと甘えてるなあと」
そうしみじみ言われても困る。
私は一旦鍋の火を止めると、冷蔵庫から第三のビールを取り出して、それをテーブルに載せた。
「ビール飲んだら」
「うん、ありがとうな」
お父さんがテレビを付けてバラエティー番組を見はじめたのを横目に、私はさくらんぼのシロップ煮をタッパに詰めはじめた。
できたさくらんぼのシロップ煮を、榎本くんと食べようと。
そういえば、彼は喫茶店に行ったことがあるんだろうか。もし行ったことがあるんだったら、聞いてみたいなと思った。
****
五月も半ばになると、風もだんだん生ぬるく湿度を含んでくる。窓を全開にし、その生ぬるい風を受けながら、私たちは教科書を広げて読みながら弁当を食べていた。
私たちの事情なんてお構いなしに、中間テストはやってくるのだ。
その日のお弁当は昨日の残り物にチーズを載せて焼いただけのなんちゃってグラタンであり、それを食べながら、私はタッパと爪楊枝を差し出した。
「これは?」
「さくらんぼのシロップ煮。もらったのでつくったの……色はちょっと取れたけど」
本当はシロップ煮をつくるとき、色留めの作業が必要らしいけれど、うちにある鍋や材料だったら無理だったから諦めたんだ。あと食紅。あんなものはうちにはない。
もらったばかりのときは、つやつやした瑞々しい色をしていたのに、皮はなんとなくしわくちゃで、梅干しみたいになってしまっている。味だけはなんとなく懐かしい味になったとは思うけれど。
榎本くんは、差し出した爪楊枝を受け取ると、それでプスリとさくらんぼを突き刺して、頬張った。
「……あ、甘い」
「そりゃ甘いよ。シロップつくって煮たから」
「よくできたね?」
「別に……夕飯食べて、暇だったから。それに」
「それに?」
これを言うと、多分榎本くんは困りそうな気がする。そう思いながらも、口にしていた。
「……手作り菓子つくるのって、友達っぽいから。中学時代までは、なにかあったら、皆でお菓子をつくっては交換するのって流行ってたんだけどね。うちはこんなんだったから、なかなかつくる機会なかったの。バレンタインデーは大概寒い時期だから、お姉ちゃんの体調がだいたい崩れて、お菓子づくりするどころじゃなかったから。そういうの……羨ましいなあって思って見てたから」
「食べるだけじゃ駄目だったの? 食べる専門とか」
「なんかねえ……もらい続けるだけって、だんだん憐れまれているような気がして、僻み根性が出てくるから、全然よくないと思うんだ」
「ふうん」
「……私は、お姉ちゃんみたいには、なれないなあ」
あれだけ与えられ続けていたら、だんだんなにもできない自分にむずむずしたり、逆にもらって当たり前になって傲慢になったり、思うように動けない不自由な体で癇癪を起こしたりするようになるのに。
姉はそれがちっともなかった。会いに行くたびに、血管が透けて見えるくらいに細くなった腕とか、着替えのときに少し見えるあばらの浮いた腹とか見えるのに、それでも姉からは、笑顔が消えなかった。感謝の言葉もちっとも消えなかったし、八つ当たりされたこともない。
健康な私が罪悪感を抱えているのに、なんで私は姉みたいになれないんだろう。
私のぽつんとした言葉を、榎本くんは黙ってさくらんぼを食べながら、口を開いた。
「東上さんは、お姉さんが大好きなんだな」
「……ええ?」
「いろいろ押しつけられたって、余計なもの渡されたって、元々仲が悪いんだったらともかく、そうじゃなかったらなかなか嫌いになんかなれないもんだよ。多分、家族仲が元々悪い人たちだったら、そうじゃないのかもしれないけれど。俺たちはたまたまそうじゃなかった。運がいいのか悪いのかは、わからないけど」
「……榎本くん」
「ごめん。しゃべり過ぎた」
榎本くんは、自分に言い聞かせていただけかもしれない。家庭菜園を任されたくらいだから、きっとおばあさんとも仲がよかったんだろう。
私は……どうなんだろう。
姉と健康的に過ごした時間なんて、ごくわずかない。それでも、好きだったんだろうか。
考え込んでから、私は口を開いた。
「……嫌いになれたら楽になれたかなあと思う」
「うん」
「好きとは言いがたいけど、嫌いまでにはいかないんだよ。たくさん……本当にたくさん取られたはずなのに」
「うん」
「嫌いになれたらよかったのかな……」
私の言葉に黙って相槌を打ち続けていたら、ガラリと音が響いた。
美術の先生だった。
「ああ、最近東上さん友達連れてきたのか」
「ああ、こんにちはー」
「こんにちは」
「こんにちは。あれ? 今日梅干しでも漬けてたの?」
私がつくったしわしわのさくらんぼのシロップ煮を指差して先生が言う。
私が「よろしかったらどうぞ」と爪楊枝を差し出して、タッパを出すと、先生は「喜んで……ん? なんか匂いが違う?」と首を振りながら食べて……目を白黒とさせた。
「あっま……これ、さくらんぼか……!」
「シロップ煮です。失敗したんですよ。本当はもうちょっと綺麗にできるはずだったんですけど」
「ああ……! それだったらねえ……!」
何故か先生がシロップ煮の作り方を教えてくれて、私たちはゲラゲラ笑いながらそれを聞いていた。
生ぬるい風が吹いている。雨雲を呼び寄せる。
季節は変わる。もうすぐ六月。梅雨になる。
ゴールデンウィーク中、久々の休みでぐったりしている両親に替わって家事をこなし、姉のお見舞いに行っていたら消化できたところ、ゴールデンウィーク明けに「はい」と榎本くんから、ビニール袋をもらった。中にはさくらんぼがごろごろ入っている。
「なにこれ」
「うちのばあちゃん、寝たきりになる前は庭で家庭菜園やってたから。さくらんぼもできた」
「そういえば……」
思えば玄関からポストまでの飛び石の端っこには、あれこれ植わっていたように見える。手前の桜の木しか確認できなかったけれど、他にもいろいろあったのかも。
その日は久し振りにまともな弁当……単純にお母さんがゴールデンウィーク最終日は久々に料理をしてくれたから、夕飯の残りを弁当に詰めてきただけだ……だったけれど、これはデザートにちょうどいい。
榎本くんが言う。
「ばあちゃんが言ったんだよ。わざわざ尋ねてくれた友達は大切にしろって」
「あー……いいなあ、そういうの」
友達との付き合いすらいろいろ口出しされていた私からすると、少しだけ榎本くんのおばあさんが羨ましい。それに榎本くんは「うん」と頷いた。
「ばあちゃんの家庭菜園の整備は、正直無茶苦茶困ってるけど。特に実のなる奴なんて、ちょっと頑張らないと、すぐ鳥が寄ってきて全部食い散らかしていくから、追い返すの大変だった」
「気付かなかったけど……これも?」
「花が散ったらすぐにネットしろって。それで守り通した」
「なるほど」
私は弁当を食べ終えたところで、さくらんぼに手を伸ばしてみた。これだけの量、買うんだったら結構なお値段になってしまうんだけれど、つくった場合はどうなるんだろう。
そう思いながら、ひと粒口にしてみた。
「……酸っぱ!」
目が白黒するというか、目が覚めるというか。とにかく、ものすっごく、酸っぱい……!
私がヒィヒィ言いながらペットボトルのお茶を傾けるのを、榎本くんは「うん」と言いながら自分も手を伸ばして食べはじめた。
「俺が肥料あげて世話しても、あんまり甘くならなかったんだよ。ばあちゃんが面倒見ていたときは、ちゃんと甘かったし、ここまでヒィヒィ言うほど酸っぱくなかったんだけど」
「そうなの? なにが違うんだろ……」
「ばあちゃん曰く、本当は花が咲いたら、さっさと花を摘んで数を減らさないと駄目なんだってさ。他の野菜でも、実をひとつひとつおいしくするためには、厳選して数減らさないといけないんだと……今だと全然無理」
そう言いながら、またプチリとさくらんぼを食べ「すっぱ」と顔をしかめた。
……家族が休みのときしか学校に来られない状態の榎本くんだったら、たしかにこれ以上やらないといけないこと増やすの、無理なんだよな。
私は再びビニール袋のさくらんぼに手を伸ばそうとしたら、榎本くんに気を遣われた。
「そんなにヒィヒィ言うんだったら、無理して食べなくっても」
「くれたものだから。食べないともったいないかなと。あと」
「なに?」
「もし残ってるんだったら、くれたら甘くできるけど」
私は残ったさくらんぼを指差して言ってみた。
****
本当だったら、果物のシロップ煮はもっと果物の量が多くて、その分砂糖も多めにしてつくるんだけれど。私はなんとか量少なめでできる作り方を検索して、それを見ながらつくっていた。
夕飯のあとに、こうやって誰かのためになにかをつくるのは、初めてな気がする。
私が鍋でコトコトと煮ながらアクを取っていたら、「ただいまぁ……」と声が聞こえてきた。今日は早めに帰ってこられたのはお父さんのほうだった。
「お帰り。晩ご飯用意できてるよ」
「ありがとう……なにつくってるんだ?」
「友達から果物もらったけど、酸っぱ過ぎて食べられないから、砂糖で似てたの」
「はあ……今時そんな酸っぱい果物……」
「うん。友達の家、家庭菜園やってた人ができなくなったから、代わりにやったけれど、なかなか上手くいかないって」
「なるほどなあ……たしかに果樹だったら、実が生ったらちゃんと取っておかないと、すぐに鳥の餌になってしまうし……」
「それも友達が言ってたよ。ひとつ食べる?」
「食べる食べる」
お父さんはぐったりしていたものの、私が小皿に「熱いよ」と言いながらさくらんぼのシロップ煮を差し出したら、それを「んー……」と言いながら食べた。
「なんか懐かしい味だなあ」
「そうなの?」
「喫茶店のプリン・アラモードに添えてあるさくらんぼの味」
「私それ、食べたことない」
そういうのがあるらしいとは、図書館で本を読んでて見つけたことがあるけれど、そもそも喫茶店に行ったことがないために、食べた覚えもない。
私がそれを何気なく口にすると、途端にお父さんは悲しそうな顔をした。
「蛍、ごめんなぁ……」
「なに、なんで謝るの?」
「……雪奈のことが原因で、蛍がしっかりしちゃったのに、ずっと甘えてるなあと」
そうしみじみ言われても困る。
私は一旦鍋の火を止めると、冷蔵庫から第三のビールを取り出して、それをテーブルに載せた。
「ビール飲んだら」
「うん、ありがとうな」
お父さんがテレビを付けてバラエティー番組を見はじめたのを横目に、私はさくらんぼのシロップ煮をタッパに詰めはじめた。
できたさくらんぼのシロップ煮を、榎本くんと食べようと。
そういえば、彼は喫茶店に行ったことがあるんだろうか。もし行ったことがあるんだったら、聞いてみたいなと思った。
****
五月も半ばになると、風もだんだん生ぬるく湿度を含んでくる。窓を全開にし、その生ぬるい風を受けながら、私たちは教科書を広げて読みながら弁当を食べていた。
私たちの事情なんてお構いなしに、中間テストはやってくるのだ。
その日のお弁当は昨日の残り物にチーズを載せて焼いただけのなんちゃってグラタンであり、それを食べながら、私はタッパと爪楊枝を差し出した。
「これは?」
「さくらんぼのシロップ煮。もらったのでつくったの……色はちょっと取れたけど」
本当はシロップ煮をつくるとき、色留めの作業が必要らしいけれど、うちにある鍋や材料だったら無理だったから諦めたんだ。あと食紅。あんなものはうちにはない。
もらったばかりのときは、つやつやした瑞々しい色をしていたのに、皮はなんとなくしわくちゃで、梅干しみたいになってしまっている。味だけはなんとなく懐かしい味になったとは思うけれど。
榎本くんは、差し出した爪楊枝を受け取ると、それでプスリとさくらんぼを突き刺して、頬張った。
「……あ、甘い」
「そりゃ甘いよ。シロップつくって煮たから」
「よくできたね?」
「別に……夕飯食べて、暇だったから。それに」
「それに?」
これを言うと、多分榎本くんは困りそうな気がする。そう思いながらも、口にしていた。
「……手作り菓子つくるのって、友達っぽいから。中学時代までは、なにかあったら、皆でお菓子をつくっては交換するのって流行ってたんだけどね。うちはこんなんだったから、なかなかつくる機会なかったの。バレンタインデーは大概寒い時期だから、お姉ちゃんの体調がだいたい崩れて、お菓子づくりするどころじゃなかったから。そういうの……羨ましいなあって思って見てたから」
「食べるだけじゃ駄目だったの? 食べる専門とか」
「なんかねえ……もらい続けるだけって、だんだん憐れまれているような気がして、僻み根性が出てくるから、全然よくないと思うんだ」
「ふうん」
「……私は、お姉ちゃんみたいには、なれないなあ」
あれだけ与えられ続けていたら、だんだんなにもできない自分にむずむずしたり、逆にもらって当たり前になって傲慢になったり、思うように動けない不自由な体で癇癪を起こしたりするようになるのに。
姉はそれがちっともなかった。会いに行くたびに、血管が透けて見えるくらいに細くなった腕とか、着替えのときに少し見えるあばらの浮いた腹とか見えるのに、それでも姉からは、笑顔が消えなかった。感謝の言葉もちっとも消えなかったし、八つ当たりされたこともない。
健康な私が罪悪感を抱えているのに、なんで私は姉みたいになれないんだろう。
私のぽつんとした言葉を、榎本くんは黙ってさくらんぼを食べながら、口を開いた。
「東上さんは、お姉さんが大好きなんだな」
「……ええ?」
「いろいろ押しつけられたって、余計なもの渡されたって、元々仲が悪いんだったらともかく、そうじゃなかったらなかなか嫌いになんかなれないもんだよ。多分、家族仲が元々悪い人たちだったら、そうじゃないのかもしれないけれど。俺たちはたまたまそうじゃなかった。運がいいのか悪いのかは、わからないけど」
「……榎本くん」
「ごめん。しゃべり過ぎた」
榎本くんは、自分に言い聞かせていただけかもしれない。家庭菜園を任されたくらいだから、きっとおばあさんとも仲がよかったんだろう。
私は……どうなんだろう。
姉と健康的に過ごした時間なんて、ごくわずかない。それでも、好きだったんだろうか。
考え込んでから、私は口を開いた。
「……嫌いになれたら楽になれたかなあと思う」
「うん」
「好きとは言いがたいけど、嫌いまでにはいかないんだよ。たくさん……本当にたくさん取られたはずなのに」
「うん」
「嫌いになれたらよかったのかな……」
私の言葉に黙って相槌を打ち続けていたら、ガラリと音が響いた。
美術の先生だった。
「ああ、最近東上さん友達連れてきたのか」
「ああ、こんにちはー」
「こんにちは」
「こんにちは。あれ? 今日梅干しでも漬けてたの?」
私がつくったしわしわのさくらんぼのシロップ煮を指差して先生が言う。
私が「よろしかったらどうぞ」と爪楊枝を差し出して、タッパを出すと、先生は「喜んで……ん? なんか匂いが違う?」と首を振りながら食べて……目を白黒とさせた。
「あっま……これ、さくらんぼか……!」
「シロップ煮です。失敗したんですよ。本当はもうちょっと綺麗にできるはずだったんですけど」
「ああ……! それだったらねえ……!」
何故か先生がシロップ煮の作り方を教えてくれて、私たちはゲラゲラ笑いながらそれを聞いていた。
生ぬるい風が吹いている。雨雲を呼び寄せる。
季節は変わる。もうすぐ六月。梅雨になる。