「はあ……」
「なに? 朝からため息? 辛気臭いわね」

 隣の席の石田奈美が、頰杖をつきながら、訝しげに声を掛けて来た。

 昨日、ほとんど眠れなかった。

 渡辺のことと言うか、あの本のことを考えていたからだ。

「なに? 恋わずらい?」と、石田は愉快そうにオレに絡んで来る。

 ……正直もうウンザリだ。

 渡辺のことで思い悩むのも、あの赤い本のことや、願いのことを考えるのもすべてが面倒だ。

 元々、なにかを深く考えることは苦手だ。こんなことで思い悩むなんて、オレらしくもない。ここ最近、本当にどうかしてる。

 オレが突っかかって来る石田を無視していると、教室の前の扉がガラッと開き、「ほらー、席に着け〜!」と担任の佐々木が、気だるそうに叫びながら入って来た。

 石田は仕方なく前に向き直り、騒いでいた他の生徒たちも、渋々着席し出す。オレはその気配を背中で感じていた。

 ――振り返りたくない。

 振り返って、教室の様子を確認したくない。そんなことする必要もない。

 オレは努めて冷静に、担任の出欠確認に応えた。

 後方の連中の名前も呼ばれていく。今日の一限目はなんだったか?

 確か、英語だったかな? あーだるい。ただ、一限目から体育なんかよりは、よっぽどいいか。

 寝そう……こういうとき、本当に一番前の席って地獄だよ。この出席番号順の席、マジなんとかして欲しい。

 佐々木って本当にズボラだよな。よく教師が務まるわ。

 オレの脳内は、眠気と、担任の佐々木に対する非難と、席順に対する不満で頭がいっぱいになった。

 そんな、いつもと同じような一日の始まりだった。

 ――そのはずだった。

「渡辺 明日奈」
「はい」

 ドキッと胸が不整脈のように高鳴った。いや、不整脈が実際どういうものか、知らんけど。

 その“名前”を聞いただけで、彼女の“声”を聞いただけで、体から心臓が飛び出しそうになった。血流が一気に駆け巡るかのように、体が熱くなる。


 ……っ!

 ……ああああああ! もう無理!

 もう無理だ。この気持ちを忘れるなんて、なかったことにするなんて出来ない。

 これはもう、ほとんど“呪い”だと思った。


つづく