「……」

 オレは赤い本を差し出されて、思わず身を引いた。白猫先輩は早く願えと言わんばかりに、オレに本を開かせようとする。

「……あのさ」
「ん?」
「願いって……叶えなくてもいいんだよな?」
「……」
「……」

「……は⁉︎」

 白猫先輩は、信じられないものを見るように、目を見開きオレを見定めた。

「……今、なんて言った?」
「いや、だからさ……叶えなくてもいいんだろ? って……」
「本気で言ってるの⁉︎ 目の前にこんな“奇跡”がぶら下がってるのに? それを掴まないとか……人として、ある⁉︎ 信じ……られないんだけど!」

 ハアアッと白猫先輩は落胆しながら、力なく椅子に座り直した。しばらくののち、ゆっくりとオレの方に視線を向ける。

「キミね……この本を手に入れるってことが、どれだけ幸運なことか分かってる⁉︎」

「……そんなこと言われても、オレ、渡辺に譲られただけだし」

「そう! それ‼︎」

 白猫先輩は再び身を乗り出した。忙しい人だ。

「彼女も、彼女だ。あれだけの覚悟をしておいて手に入れた途端、願いも叶えず、赤の他人に本を譲るなんて……本当にどうかしてる!」

 白猫先輩はああっと、絶望を表現するように、額に手を当てがって項垂れた。

「覚悟?」
「……そう、覚悟!」

 白猫先輩は額に当てた手の隙間から、オレをキッと睨んで来た。

「この本はね、その恋のためにあらゆるものを捨てる覚悟がないと、真の恋心を持ってないと、手に出来ないんだ」

 その恋のために、あらゆるものを捨てる覚悟……

 渡辺には、そう想うだけの相手がやっぱりいたのかと、オレは頭の片隅で何故か分かっていた。

 図書室に行くと、いつも窓の外を見ていた彼女――

 その姿を思い出すと、オレは心の奥にズシンと、重たい錘でも落とされたような心持ちになった。

「……なんで、渡辺は……願いを叶えなかったんだろう?」
「そんなのボクが聞きたい! きっと彼女しか分からない。……ただ」

 白猫先輩は手に持っていた赤い本を、目を細めて見つめていた。

「なにか……その恋の願いをすること以上に、彼女に重要なことが急に出来たのかも知れない」
「……それって?」
「さあ? だから分からないって。そうとう重要なことだろう。皆目見当もつかないね!」

 そう面白くなさそうに、白猫先輩はフンと鼻を鳴らした。

 ……なんだ、それは?

 いったい渡辺に、何があったんだろうか?

 かくいうオレも、白猫先輩同様、渡辺がなにを考えてオレにこの本を譲ったのか、正直まったく分からなかった。


つづく